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sent40-01602251020/ハル子の一番長い日の巻1……

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世界では、毎日、これでもかこれでもかと人が死ぬっという話はした。シリアでの事。わざと医療施設をねらっての空爆。ロシアが空爆したとかしないとか。以前に旅客機を狙ってのミサイル攻撃もあった。このときは、ロシアの人たちが犠牲になった。子どもも大人も。重たい命は守られ、軽い命はすぐに吹っ飛ぶ。子どもも大人も。これほどまでに人の命の軽重が明確になった時代は他にない。なにか金銭の軽重と重なる。良く言われるのが、アメリカの去年のGTPが一人当たり600万円強(1ドル120円として)、日本のそれが約500万円強。億万長者がアメリカも日本も数%弱。お金も命も数%以下の人間とそれ以外の人間がいるということだろう。
 戦国時代みたいに、群雄割拠の時代であれば、生きることイコール勝ち残ることなので、過去を振り返ることが出来る、つまり今を生きる人間は、みずからの生を死ぬ夢からの覚醒で体感し、ホッとするのと同じように生や死を評価出来た。ところが、今はがんで死にゆく自分を振り返ることが出来る、というような人と、シリアでの子どもたちのように、現世から消滅する瞬間すら実感を許されない人にハッキリ分かれ、それをこんどは、テレビなどの媒体を通じて、じっと見ている人達がいる、みたいな、精神の多元同一化ともいうべき状態が生まれている。これは、 カラビヤウ多様体のように、頭のなかを勝手に生と死が次元を交差しながら時間のみを共有しているような不思議な感覚に陥る。
 ちょっとややこしいか。まー、簡単にいうと、今、フツーの生活をしながら、皆んなでテレビを見ている人間は、全て精神が分裂しているのだということだ。英語なら、splitted personality。(分離したパーソナリティ)これは、精神科の述語ならschizoとphreniaというわけだ。どっかで聞いたぞschizophrenia.そう、精神分裂ならぬ「統合失調症」がたしかそう呼ばれている。最近よく聞くようになった気がするが、私の言いたいのは、現代の、少数じゃあなくて、大多数側の人々、彼らの側の社会病理的名と言う分けだね。つまり、四六時中、自分の生活空間で、生と死を継続的に意識させられて、精神が分裂してしまっているのである。異常なのはどっちだ、ということ。大多数側が正常と言うわけでは無い。実弾の中で暮らす人々がいて、それともそれをお茶の間で見ている人々って何なの?っていう話だ。そう、splitted personalityでもなければ、ポテトチップたべながら、人が大量に死んでいる映像を冷静にみることは出来ないだろう、と私は思っている。もちろん私も含めて。

この一年は、とても有能な秘書のKが来てくれて、たまりにたまった診療以外の仕事を驚く程速くこなしてくれるので助かる。だれかに雰囲気が、と思ったら、小保方晴子氏を思い出した。小保方さんのような、ということは、悪い意味ではなく、あるツボにハマると能力にびっくりブーストがかかるが、他の部分が天然な、、とでも言っておこうか。本人は意外にもなっとくするだろうね。これは、偶然この1月にでた、小保方さんの手記を読んで、途中その感想が浮かんできた。本人がどう思うかは別ではあるが。。
 小保方さんの手記をよんで、すこしでも免疫や遺伝をかじった人間なら、彼女の並外れたこの方面への能力には間違いないと思うだろう。しったかぶりの評価や悪意の評価がとても多く、画像たるや、同じ人間のすることか、と言えるものまである。詐欺、無能よばわりから、本人が匂わすハメられた論まで、世間の批判は多い。無能論は、主に研究者からなのか。ま、若い研究者からのそれは、多分にやっかみ半分だね。そう簡単にあの研究レベルまでのことは書けない。『研究にはレベルがあって、その深みにというかレベルからは、こう思うよ』、的な論評はほとんど全てが、それこそ、どうだろう。やっかみと言うか、僕の方がウエダヨ!的な意味不明な裏返しの劣等感に過ぎないだろう。くだらない気がする。結局は、誰かじゃないけど、「真実はひとつ!」だから。そして、それはまだハッキリしてない。
 もう一度言えば、細胞の変異可能性について、日がな実験をしながら、アイデアをどんどんだしていく、彼女のダイナミックな細胞たちへのアプローチは、恐らく本物。そして、自分の責任を自己処理出来ない依存的は傾向が前面に出た幼児性も本物だろう。山中先生のiPS細胞のノーベル賞と重なった時期なので、余計に「そのレベル」の先生方の焦燥が入り混じった争いのバイアスが入ったのも事実だろう。けれど、その山中先生の論文だって、当時整形の臨床医からの再出発で、初めは素人同然だったはずの論文だったろうから、結果があまりに天と地なのは、ひとえに未熟な彼女の人格と周囲の利己的な科学者にあらざる干渉に過ぎないところが多いとは思う。けれど、こうも言えるのは、「折角の天性を終わらすな!」である。反省して、また出直して貰えばいいと思うのは私だけじゃないだろう。人を育てる気風がないところに、本当の科学的発見など有るものか。科学をバカにするんじゃねえ ま、逆にあれだけ騒がれたから、賢しらな研究者が「俺、見っケ!」って、ほとぼりさまして後出しジャンケンしても、もう世間は許さないだろう。(つづく)