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sent35-01203222145/宇宙のランドスケープ1 ......

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前回ちょこっと触れた現在の「宇宙」の姿。今回は、これに挑戦だけど、今の宇宙の概念は私には理解し難いので、分かる範囲を言葉定義はできるだけwikiを使ってサスキンドさんのランドスケープを彼の本を読みながら、自分なりに表現してみる。ほとんどの部分はまんま引用ですからあしからず。図表は、まさか、本からそのままという分けにも行かないので、近似的なWikiから引いている。
 まずは、ファインマンダイアグラムという分かりにくい単純な概念からだ。物質(まあ、普通の物、と言うか普段自分たちが認識する物体で重力などをうけ、重さのあるもの)も非物質も粒子からなる。それの関係を記した点と線の事だ。 ファインマンダイアグラム、文献では57頁) 各素粒子は質量があるものもないものもこれで描くことが出来る。各粒子と質量の関係は、のようになる。日常我々も含めて、物質を形作るのは、 フェルミオン(文献167頁)と言われるもので陽子、中性子、そして電子だ。通常我々はこれらを素粒子と呼び、概念的に、もっとも基本的な構成員に位置づけているが、これらは、さらにクォーク(陽子、中性子)と電子、陽電子などのレプトンに大別され、陽子などは、複合粒子であることが分かっている。
 重力エネルギーは、お馴染みだ。重力は、具体的に我々が恩恵を受けている力の一つで、その概念も受け入れやすいものだ。さて、素粒子は、光子やグルーオンを除けば、上に書いたように質量を持っている。レプトンであるニュートリノも、そうだった。だから重力を受ける。生命の存在には、生活上の物の運動からも、質量の存在は欠かせない。そして、質量があるもの同士は、重力による制約をうけている点がキモだ。しかし、サスキンドさんは、以外にも、生命にとっては、重力は非常に弱いものだと言う。電気力(陽子電子間など)は、重力の10の41乗も強いらしい。ただ、重力と電気力との大きな違いは、その働く場が、前者は宇宙全体にまたがり、非常に広い。 だから、重力が少しでも過ぎれば、星の燃焼が進み、ブラックホールがすべての質量を飲み込み、 ビッグクランチを誘発していたはずだと言う。逆に言えば、現時点でそうなってないから我々は存在出来ている。動植物や人間という非常に大きな(小さな?)単位で考えれてもそうだが、陽子や電子などの素粒子で考えても、我々生命の存在は非常に微妙な重力のバランスで存在しているようだ。例えば、人間の体には、10の28乗の陽子がある。そのうち10の18乗の陽子が崩壊したら死んでしまうと言うと言う具合だ。陽子や電子などと言うと大仰に聞こえるが、日々の食事の中で、レタスやトマトやお肉から新しく供給されているんだと、タケシの特番でも言っていた。そう考えればなるほどと思う。これらの事実?は、生命と素粒子を結びつける、大変大きな「パラダイムシフト」って奴だと思う。現代科学の大きな進歩でもある。
 全宇宙は、ドンドン開きが大きくなる双曲線の面積のように、時間軸にそって加速的に広がっているようだ。なくなった私の教授が、ある時、我が弱い頭を評して言った。「お前の考え方だと、そのうち、拡散してなくなるぞ!」。データに基づいて、結論を集約しろ。なんでもかんでもごった煮見たいにつぎ込んで物を考える、私の考えを戒めてくれたのだ。ところがどっこい、急激に加速しつつも、「我々の」宇宙は、宇宙定数すなわち重力により、ちゃんと限界を持っていると思われているんだぜい教授。このことを例に話したりしたら、しばらく水バケツでも持たされていたかもしれない、なんて。もしも、ただただ広がっていくだけなら、ミクロ的な我が銀河系などは、拡散しながら、チリのように消滅するだろうし、たぶん日常も近くにあっちこっちに存在する、随時出来ているはずの大小のブラックホールに呑み込まれて消滅する可能性の大きさなんて、ホラー的に多い。このあたりのおもしろい理解をしたいなら、森見登美彦のペンギン・ハイウェイ(2010年、角川書店)を読まれると良い。内容はちょっと違うのだが、私はこの本を読んでいたおかげで、この辺の事が割と直感的に理解できた。卑近ではなく、哲学的に表現すると、「閉じ込められ且つ無限の広がりを持つ空間こそが我々の宇宙」とでも言おうか。この特別な空間に、およそ20年近くも前から、それを考案した数学者の名にちなんだ カラビヤウ空間という名前がつけられているようだ。
 我々のならった高校の物理学では、我々の宇宙は3次元+時間の4次元。現在は、次元と時間は、同じ次元で語られるので、我々の存在する時空は、普通4次元で表現可能だ。ところが、現代の物理学での我々の時空は、すでにやや古くなったが、南部陽一郎と著者サスキンドなどの紐理論での表現では6次元とも10次元(11次元?)とも言う。この紐理論のキモは、 「巻き上げ」という概念のようだ。下のブレーンの説明である程度頭に浮かぶと思うけど、実際自分でも正しく理解出来ているとは思えない。図をネットで探したが、日本のホームにはうまく探せなかった。3次元で言えば、z軸を巻き上げるとは、z軸周りを紐で巻くことのようだ。確かにそうすれば、人は自分の禿げた後頭部を見ることができるね。もちろん残るx,yは平面で、無限の広がりを持つ。そこで、ある粒子πがあるとして、それがx,y,zの3次元(+時間)でとられられ、これを、2素粒子でπを作るとすれば、それぞれの3次元の運動で計6次元(+時間か)で捉えられるが、それらで構成される星などが、共通する重力場を持ち、ある方向に閉じ込められた無限の広がりを持つ空間を形成する場合、この紐理論で6次元を巻き上げる方法は何百万にも達するらしい。一つの紐が伸びてゆけば端から端までの揺らいだり、縮んだりするくねくねした動きの空間(つまり、紐は点、線、面で表現出来るという。始まりは点伸びれば線、揺らげば面)は、膜(brane)で表されるようだ。これが、上の3次元の場合のx,yの平面と巻き上げられたz軸に概念として一致するかは解らないけど、一つのブレーンの上を一つの紐が動くと表現すれば、我々の、質量のある(重力の働くことの出来る)空間は、9次元プラス時間軸の10次元だから、合計10枚のブレーンが存在して、巻き上げの紐がゴソゴソ存在ことになる。これらは、 D-brane の図(文献の363頁など)などなどのように、表現出来るようだ。我々の宇宙とは、まるで寄生虫のようで気持ち悪いところもあるがなんと自在な空間なのだろう。
 "Dark Side of the Force" つい最近のCMの下品なダジャレを思い出すが、元々のスターウォーズを見たことのない世代も多いだろうから言えば、暗黒の最後最悪のシス卿であるベーダー将軍の決まり文句だったと記憶している。ダースベーダのDarthとは、Wikiによれば、 "Dark Lord of the Sith"の頭とお尻をとってDarthとした、とある。面白い。そういえば、"Dark Side of the Force"もDarceと読めるしなぁ。こう言う語呂あわせ Darth とDarce は、英語の洒落にも結構ある。それに、"Dark Side of the Forth(以後なる世界の暗黒部、なーんて訳してみたけど)" としてみると、このサスキンドさんの本を読んだ後では、非常に意味深に感じる。あのスピルバーグの映画は、色々と意味深だったけど、そういう事かも。。。さて、その暗黒であるが、我々の質量世界では、重力なども含めて1ー2割位のエネルギーしか持たない。それに対して宇宙全体、あるいはカラビヤウ空間を貫き、まとめるエネルギーの7ー8割は、暗黒エネルギーだという。それは、未だ証明されてないらしいが、ほぼ「既成事実」として現代物理学はとらえているようだ。
まあ、我が尊敬する鉄腕アトムの手塚は、それを称してプラズマと言い、我々の体を気がつかないで通り過ぎる「プラズマ」と表現していたと私は、内化して覚えている。間違いかもしれないが、彼がそういう物質を想定していたことは間違いない。そういえば、このまえのプラズマイオンエンジンの「はやぶさ」もアトムもプラズマを噴射して飛ぶのだ。まったくすごい人だ。手塚医師は。その事は、19世紀までの古典物理で、空間は「エーテル」で埋め尽くされるという表現と似てはいるが、エーテルと違って、手塚のプラズマも現代物理の暗黒エネルギーも、「エネルギー」であり、エーテルと言う物質ではないところがキモ。だから我々の宇宙は、重力のみならずこの暗黒エネルギーにより、無限の広がりを持ちつつも地平線を持ってまとまっているのだろう。そんな中で今こうしてキーボードを打ってるなんて、なんとわれら「生命」とは、微妙な存在であるだろうか。いまも私の膵臓や心臓を暗黒エネルギーは、通り過ぎているのだから。本当のところ、ドラえもんの「どこでもドア」は、ここだよ!っと耳打ちしているのかもしれないなぁ。