Excuse me! This page is always Underconstruction!




→さてもさても,例の神戸の殺人事件の犯人の少年も結局,行為障害ということで幕。あれほど,社会病理が何だとか,学校教育が何だとか?まいッチャウねェ。だから早く鑑定をと言ったんだ。関係者をあれだけ血祭りにあげといて,ゴメンナサイもないんですから。恐ろしい世の中です。集団リンチどどこが違うって。
 前も書いたけど,社会-つまり我々がもっと自分に自信をもたなくちゃネ。自分たちが正しいと思えれば,なにも,血祭りに上げたり,人をイジメルこともないんですよ。よく拳法のモノホンの達人といわれる人は人を傷つけないと言うじゃアリマセンか。家庭や学校や社会のせいにせず,あれは異常者だ,と思えたろうに。そしたら,マスコミだけでなく,世間の側ももっと冷静でいられたろうに。しかし,しかしですよ,私は鑑定してないのでわかりませんが,私のように,フロイトとかフロムとか精神分析からこの世界にはいった者は現在のメリケン式DSM分類(精神科で扱う疾患の国際分類。アメリカ精神科学会作成)には抵抗もあります。ほんとうかな,と思います。原爆落しといて,その合理化が可能な,と言った形の「精神的レベル」では,精神分析的精神内界の探索は不可能です。精神はレベルではないからです。とまれこうまれ,私は,彼のは,精神分裂とか内因性と呼ばれる,より素質の強い原因があっての行為,情動の異常ではないかと見ています。
 それにしても最近はいろんな,症候群やら人格(パ-ソナリティ),情意(エモ-ション)の障害などが,マスコミにとりあげられ,ベストセラ-になったりして,人々の関心を引くようです。これも変な事です。人格や感情の表出のバリエ-ションは人の数だけあってこそ人間は面白い。付合って面白い。それが,日本では横断歩道皆で渡れば怖くなかったり,会社や学校ではオンナジように振る舞わないとイジメられるとか。第一女子高校生の格好はなんだ。そりゃ足が長いから見た目はかわいいけど,全部同じ格好というのがすごい。彼氏,友人,オジサンから見られている客体としての自分は良いかも知れないけど,自我としての自分については,情けない。あの状態で毎日疑問を感じない(?)無我日本人ってすごい!元来自我人間というのは,自分以外全部変人だという認識でよいのだと思うんだけどね。そうすれば,ベストセラ-の中身も違ってくるかも。
 と言っといてナンなんだけど,私も新しい神経症というか,情意障害を作ってみたのです。結構いると思うよ。実はこれ,私自身のビョ-キなのです。名付けて「孤独病」と言います。一件フツウに見えるけど友人もいない。見た目はかわいくてモテそ-な女性なのに彼氏ができない。だんだん人が離れていく,集団の中の孤独なあなた,そして,離婚ばかりしているあなたにドクタ-ヘリがつつしんで涙ながらに贈る画期的なビョ-キです。  症状は,孤独(必ずしも本当に独りぼっちである必要はない。本人からみた独りぼっち),おせっかい(小さな親切大きなお世話っぽい),お人好し(いつのまにか頼まれもしないのに他の人のために立ち働くな ど),接触障害(気が付いたらお人好しをしたり,逆に努めて冷淡に接するなど。うまく,周囲の人との距離が保てない)がある。いちばん問題なのは,知と情の一体的変動や爆発がある。特に親しい(my side)の人への極端に厳しい態度や悪言が問題。
 素因として,長男,末っ子などの神経質(神経症の素みたいな神経症質),特に父母の役割の喪失(忙しいので放置,放任,育児への自信欠如など)の為に相対的愛情飢餓(本当は十分愛情はうけているカモ,しかし本人にとっては足らなかった)となっている状態などが考えられます。それに加えて,個人発達史に何度もあるストレス(家族,友人の裏切り,疎遠や離婚など)でさらに症状が確立していきます。本人も後悔の形で自分の異常に気が付くのですが,もともと狭小な宗教的信義(これは人として絶対許されないとか思ってしまうようなモット-,自警団的信条など)があり,しかも情動的易動性(気持ちの柔らかさ)に欠けた,上に書いたような,神経質な軽い情意の障害があるために,それをセルフコントロ-ルすることが出来ません。特に孤独発作の事前にはほとんど不可能となります。そして突然の孤独発作。感情的爆発や悪言は相手に恐怖や驚きをもたらし,「いつもの人と違う」ような,いかにも多重性人格障害(二重人格)みたいな印象を与えますが,人格的にはむしろシンプル過ぎて公も私もない,裏表のないところが,根本的な鑑別点です。内因性である躁鬱病や所謂不安神経症,恐怖症(フォビア。キャビアではない。あれはうまい!)とも違います。
 どうですか?どっか思い当たる人は?ネットサ-ファにもこのタイプはかなりいるはずですよ。問題は治療です。もっかのところ,根本的に性格の矯正は不可能。行動の変容をおこなう以外に手はありません。例えば,通常の精神状態で信頼できると判断できる人物がいるとする。その人と何らかの緊張状態が生じる(嬉しいこと,楽しいこと,優しくされた,その逆)とその前後で精神的に不安定となり,自分は彼(彼女)に接近し過ぎていると感じます。嫌われないように,一定の距離をおこうとしてかえって孤独発作(ドイツ語ではWut Anfall=ブ-トアンファル,つまり,とりのこされたと感じて自暴自棄になる,あるいは,自分が信頼すべき人物の失敗に対するひどい叱責,その人物を遠ざけようとするかのような言動,あるいは無為)が,本人の意思とはうらはらに起こってしまいます。これには,前兆があって,特定の人物や機械(例えば車)への敏感関係妄想(わたしは近づき過ぎている,といった思い込み,ものなら過度の感情移入)や強迫的不安といった前兆が生じる。機械だと,信頼が崩壊し,走っていて壊れないかとか,何度も何度も大丈夫であることを強迫的に確かめます。しかしいくら好き(愛する,信頼する,大切にする)だからと言って,自分の主張を絶対に曲げられない,たとえ嫌われようと! そう,これが前兆です。こうなったら,この時点で,少し唐突とは思っても,相手にその気持ちを言うンです。それで相手が自分の非を認めないあるいは信じられない反応だという態度を示すときは,自分の方が間違っていると考え,とにかく引く。これ以外は成功しません。
 予後つまり,どうなっていくかですが,夫婦では,相手の信頼や愛情を勝ちえると不安定となり(失いたくない)嫉妬,懐疑などの感情を相手にぶつけ,信頼を裏切ってしまう。愛情は一方的で,増大すればするほど,相手の行動への評価が厳しさを増し,相手にとって,愛されているのか逆なのか判断に迷うほどとなる。また,最終的に,相手の為と称して,分れたがったり,自分が身を引くようにしたりする。たとえば,一緒に危機をのりこえなければならないような場面になると,「オレ一人でやるから,おまえ手伝わなくていいよ」などと,思ってもいないウラハラなことを言ってしまうのです。相手(妻)は長年一緒に居ますから彼のそういう反応を分ってはいるのですが,やはり迷いが生じます。つまり,わかってはいるが,疎ましさなどネガティブな感情が増大して,離婚を迎えます。ひとこと「一緒に頑張ろうと言ってほしいのに!」
 職場などでも同様の人間関係の緊張を作るため,疎外される。安定しているときは相手の気持ちを引き外向的になり,不安定となると逆に気持ちを引き内向的となる。まるで柱時計のフリコですね。しかも感情的には爆発があり恐怖を引き起こすのと同時に論理的には正しいことが多いのですね。つまり,フツウの人なら冷静なとき論理的な訳ですが,この病気の人は怒ったり,興奮している時の方が上手く正しく発言できる特徴があるわけです。従って周囲の人物はびっくりするわ,対処に困ってしまって敬遠することになります。若いときは,年長の人からはむしろ好かれる。いかにも若者らしく,老成していなくてフレッシュでモラトリアム(猶予期間=こどもでもよい,判断後回しの時間)が長いから,逆に将来を期待されるわけです。それで本人もそのうち「ワシャ大器晩成ジャ」などと思い違いをしてしまう。ただ,自我の確立が遅いだけなんですけれどもね。治療?現在としては行動の変容以外有効ではないし,薬物療法も,安定剤は有効のこともあるけど,まず否定的です。わたしもこれで,人生を狂わせています。
トホホホ。  (97.10.20)


→今回ちょっと スタイルを変えてみます。 昨今の私は すこし気持ちが煮詰まっている。と思うのです。原因は今まで,離婚のこと,孤独のことだと思っていましたが,それは少し違いますね。世の中全体がエルニ-ニョ(新訳:煮詰まる(ここだけのウソ!))なんだと思うのです。隣の国が近すぎてエルニ-ニョ,経済がエルニ-ニョ,株が下がってエルニ-ニョ,あなたもわたしもエルニ-ニョ。海も山もそして空もエルニ-ニョ。なんでもかんでもエルニ-ニョ。ウエルズの小説「地球最後の日」を思い浮かべませんか。
 最近はむやみやたら,暇にまかせてネットの「掲示板」を開けまくり,女性のメ-ルフレンド捜しているのです。年齢のせいなのか,バックグランドが暗すぎるのか,なかなか上手くいきません。クヤシイ! でもけどしかしその過程で,いくつかのサインにきがつく。サインつまり,イジメのサインとか,校内暴力のサインとか自殺のサインとかいうあれ。私の新訳ではエルニ-ニョ!(なに,ちっともスタイルかわってないって?)
 つまり,私だけではなく,みなさんもエルニ-ニョ毒が回っているようです。自分の思いを不特定多数にぶつける,わたしのような人間もなんと多いことでしょう。そこにはクラッシックなチャットの世界とは違うエルニ-ニョな世界です。私たち一人ひとりは確実に生きていて,キ-ボ-ドを叩いている。思いを伝えるため?思いとは?喜び,悲しみ,孤独,自慢,恥それらが一体となって「自分」をアピ-ルする。どれか(喜びや悲しみや)を選んで人に伝えようとする。私にはそのバックグラウンドも伝わってくるようです。
 みなさんもそうじゃないかな。電話でも同じ。要件だけじゃなく,その話し手自信もプラズマとなって電圧にとけこんで流れてくる。携帯,ポケベル,ネット,テレビ,それらはすべて電磁波のプラネタリウム。何層にもなってやがてエルニ-ニョ。しかも,わたしなどは表現になさけないほどの限界があって,「のれんに腕おし」状態。それとも,会話という軽いメレンゲに思いきりブタ肉!のようなバックグラウンドが乗っかってしまってメレンゲを吹き飛ばすのか,ともかくもアピ-ルはするけどもだれもがヒラっとかわす状態になってしまいます。ところがところがそんなサ-ファはわたしだけでない。なみだをにじませてキ-ボ-ドをたたくサ-ファ。ええと,湘南にもいるのでしょうか。むかしはいませんでした。ねえ。
わたしが思いますに,日本の実力は株が17000円,為替が対ドル110円だと思います。現在15000円に近く為替も125円。日本というサッカ-ボ-ルが地面にあたって跳ね返り,再びいきおいよく跳ね上がる,には,地面が乾いていなければなりません。日本がんばれ。今は世界が雨期のエルニ-ニョ。地面はぬれ,アスファルトは剥げ,自分の実力とはうらはらにボ-ルははずまない。そんなボ-ルの中の世界にエルニ-ニョは満ち,毒は充満,アンはコシアン。電磁波充満。
不思議なことに私のホ-ムペ-ジも先月まではカウンタと私自身のチェックの差がほとんどなかったのに,今はおおくの人が開いてくれる。ああ,みんなエルニ-ニョなんだなと思います。つまり,私だけじゃなく,みなさんも少し気持ちが煮詰まっていると思うのです。
そういえば,いま私は煮物に凝っている,のです。実際のとこ,わたしのダシはなかなかいけます。自慢じゃないが!? 自分だけでたべるのもったいないくらい。うちのスタッフにも食べさせたいけど二十二,三のファストフ-ド盛り。カップラ-メン食べ盛り。うまそうに喰うんだなあ,これが。キャ-ッて言いながら。でも私の煮物は体にいいよ。残念だなァ。だれか食べてよ。
 けれどにものさんは,煮詰まればエルニ-ニョ。煮物のエルニ-ニョはいけません。喰えないだけじゃなくナベも大変!さりとて煮詰めないと美味しくないし。人生も煮物もコロアイが大切かな。それよりも,煮詰めようとする真面目さっていうか,ある程度の真剣な重さも大切ですよね。軽けりゃよくて,重たいのはダサいなんていつまでもカッコ付けること事態が軽すぎる。大切なのはじっくり煮詰め,いつくしむほどに見守る時間と余裕ですカイ。いまの私や,これをよんでくれているあなた,我々みんな煮物につめ族! なんちゃって。エエイ! こうなったらとことん煮詰めルニ-ニョしちゃいましょ。(やっぱりスタイルかわりませんでした。) (97.11.15)


→みなさんお隣りのこと,エルニ-ニョでちょろっと触れたけど,大変。国際通貨基金(IMF)にお金を借り,それでも足らないから国民皆節約。外貨はすべてウォンにかえ,ぜいたく品は売り,そのうちス-パに置くものなんかも数限定になるかもね。責任の大半は無理やり経済成長政策の為バブル崩壊だけど,かなりの部分東南アジアの通過危機。そしてそのアジアの通過危機の大きな引き金が日本の金融不安。
 株価に比例して為替の変動が敏感に動き始めたこの数年,考えてみれば,こんなことはいつ起こってもおかしくなかった訳で,これがはやりのグロ-バルって奴ですかね。山一つぶれ,拓銀つぶれ,両方合わせて職員15000人を越える訳でしょう。社長が泣いて職員に罪はないからと訴え,職員の人達は,3.5%の高い失業率をさらに押し上げることになった今でも,もともと営業畑の社長に好感もっているから,「でも山一好き」と答える。日本,ニホン,ニッポン,JAPAN,NIPPON,ヤ-パン,ハポンでは理解されても,グロ-バル経済の一員としては決して正しいとは言えないと思うのです。
 つい70年代までは,非関税障壁と1ドル360円の円安にまもられ,鎖国していた日本。オイルショックを乗りきり,アメリカの経済不安をザマアミロとばかり調子にのり,日米経済戦争をしかけた日本。そうおごりが発端で,アメリカが保護主義的になると国連主義に切り替えて自ら鎖国から開国政策に転換,世界一のGDPを振りかざし,メイジツトモニ世界の一員になった(と思った)日本。マルクスもいったように,資本家は労働に価値を認め賃金を正当に払う。労働者は労働を賃金として勝ち取り共存していくという資本主義の根本を理解しないまま世界経済に組み込まれました。資本主義では,すべての経済活動(=お金)は市場を通じて行なわれ,お金の搾取がなければ需要と供給はキチンと帳じりが合う。逆に搾取があれば情報は隠される。グラスノ-スチ(情報開示)はロシアの問題ではなく,われわれ皆の問題なんです。問題を出し合い,それを協議し,秘密にしない。自分の秘密を持ち,限定した付きあいで社会を甘く見ない。ましてや,株の回しあいで,決算を逃れる「飛ばし」なんて!!
 日本が異質であることが世界の皆にしれた,ニュ-ヨ-クの日本の大銀行の不祥事。それからもオリの中のコリ無い連中が犯したバルブのつけ。きわめつけが,グロ-バルの代表選手=株式を扱う証券会社の廃業です。そして,同じ手法を繰り返すアジアや韓国のツケ。それは日本が指導したのでしょう。それ以上に,信用なくしてやつれたとはいえ,世界のお金を集める債権国の責任において,「お金の信用」を失う行為が如何に世界に迷惑を欠けるか,問題があれば,自分の方からアジアやお隣りに問題提起して解決を計る透明さが必要か,すなおにゴメンと言えるかが,本当に日本が世界の一員であれる条件だと思うよ。いま,銀行が世界からお金を借りるときは,ジャパンプレミアムという,日本だけ高い金利を払う。これは,信用できないことが理由の一つだけど。けど,誰の目にも,本当にお金もってないやつに高い金利払わせれば潰れるのは目に見えている。とりつけとまで行かなくても,世界は日本を信頼せず,現金商売だけしようとしている。つまり,信用できないが,お金は作ってくるということかな。
 金持ちで,かつ嫌なやつだった日本が,将来金がなくなりそうな嫌なやつに変わったのです。世界の皆が,日本に対して,「いままでゴメン,いまおれこれくらいしかないけど,まだ払えなくなるところまではいってない。財務状態はこうなんだけど,君に相談して良くしていきたいんです。頼むよ。」の一言を待っている。これくらい言えなくてはダメです。山一がつぶれたら,ゴメン,アジアさん,カンコ君,今内も苦しくて,ホラこんだけしかない(情報開示!)相談してなんとかしようよ。おれたちもお金節約するから。これくらいのことが,今すぐに,韓国のテレビとか通じて,日本国民の声として言えないだろうか,と思うのです。
 日本では,自分の非を認めたがらない政府や官僚や企業のトップの事が話題になるけど,その傾向と言うか,横断歩道みんなでわたれば怖くないみたいな,まず自分がヌクヌクすればそれでいいみたいな思考方程式そのものは,実はわれわれ日本民族全員の共通の欠点だと思うのです。となりの20代のわかものが,戦争経済みたいなツライ冬を迎えると知れば,近い将来自分たちにも降りかかるかも知れない,そんなツラサをちょっとは共感できるし,それでもあんのんと幸せな,食べ物と,キレイな車とシャンパンやボッッジョレヌボヌボでバカ酔い出来る訳がない,と思います。それはいけない。
 自分の殻に閉じこもり,50%自分を明かせる親友や30%自分を明かせる親友や本当の自分をみせないでつきあう友人をケイタイを教えるリストとポケベルを教えるリストに押し込んでベロだしているようなヤングから,山一社長の涙にジンとくるオジサンまで,私にはとても真面目に世界の人達と一生懸命に生きようとしているとは思えない。そして,いまほどに日本が異質である存在である今日このごろ,本当に世界の一員であるという意識がもてなければ,もう決して日本に経済や文化で,再び反映がもどるとは思われないのです。その証拠。アメリカは,日本の港を突然ガイドラインなるものを押し付け,軍港とし,今は北朝鮮に有事が起きた時の医療の援護を押し付けている。すかすアンタ,いいですか,もし本当にそうなったら,日本の病院は,交通事故で死にかけてるアンタより,第三次朝鮮動乱で死にかけてるアメリカ軍人を優先させて手術しますよ。わかっていますかァ?なんでそうなるの?それは,いい気になって経済戦争をふっかけ,第二次世界大戦で敗けたように,第一次グロ-バル経済戦争でまた敗けちゃったからですよ。日本ではジョ-クで通用したり,都合が悪いことは忘れられても世界では通用しません。ケンカをしかけたら必ず目には目です。じゃなんで,経済には経済じゃないかって?アンタ,ハンカくさいんでないの。
 あのね,ピストル持った人間に日本刀で刃向かう事のできるメンタリティは古今東西日本人特有のものなんです。経済戦争や殺戮の大戦の敗けを認めないで,さらに黒字を作ったり,破産を隠したりすれば,相手はついに軍事バタラキで来ます。日本流,というか日本総ヤング的ジョ-クは通用しない。この点を言わせてもらえば,ジェネレ-ションギャップなんて歌だけで,日本はオヤジも全て均一の笑えないジョ-クが体質になってるわけ。世界レベルでは,敗けを認めない奴は,踏み付けられてさらに敗けを認めさせられるだけです。ここで思いだすのが,あの悲しいテロ事件。エジプトで日本人観光客が全員皆殺しになりかかったのか,皆さんの御めい福をおいのりします。でも,わたしが,ヨ-ロッパでこの事件を聞いたとしたら,と考えると,別の意味を(間違った解釈ですけど)暗示されたように思ったでしょうね。外国で暮らした人ならここまで言えばわかってくれるでしょう。現実は報道された。なぜそうなったかは,さらに深いと思うのです。その部分を我々がさとらなければ,日本の未来はないように思うのです。さもなくば,そう,思いきって鎖国をするべきでしょう。
 そうだ,丁度いい。ある日経の記事を紹介します。日経新聞の一面の左端の特集はいつも力作で,私もケンやマリ(うちのヨ-キ-ども)のトイレになる前かならずチェックする紙面です。こんかいのシリ-ズは「2020年からの警告」。14名のスタッフには,若い人達もいるでしょうから,行間から真剣さがにじみ出ている分,ゴリッパ!とおもいましたね。シリ-ズ最後のみだしは,2020年への備えというか日本の再出発は,「個」の自立と責任,だそうです。それなくしては,日本は活力も備えもなく子どもや孫に夢のある社会を残せないと結論付けている。一行一句,私の持論とおんなじなので,そのままシリ-ズの最終回(90)の一部を引用します。まず,このシリ-ズの目的は,現在の日本の国のありようを近い将来のなさけない姿をみないですむ処方せんをえがくことだった訳です。その為に彼らは取材を繰り返し,たどりついた結論が,「・・・たどりついたのは,われわれ一人ひとりが自らを改革しないうちはこの国は再生しないということである。官と民,中央と地方,企業と株主・従業員といった関係を一新する。それが2020年に向けた改革だとすれば,最後は個人の生きざまとか,精神のありように行き着く。・・・企業人に限らない。個人として自立しているかどうかを基準にすれば,多くの日本人は低い値段しかつかないだろう。・・・「みんなはそう言うが,おかしくないか。」そういう独立精神のないところに「知識」は生まれない。日本の閉塞をうち破るためにも,知識社会に向かう世界に遅れないためにも,われわれは自分に責任を持ち,自立する必要がある。国は会社にぶら下がるのは,もうやめにしなければならない。繰り返すが,個人の自己改革がなければ国に活力を吹き込めず,日本は老いてゆく。われわれが改革の主役なのだ。・・・」
 ネ,みなさん。こんどのクリスマスは,アジアの同胞達の事を思って静かに過ごしましょう。エヘン!もちろんわたしは,今度のクリスマスを2匹1羽と一緒にしずかに過ごす予定です。オ-イ。だれか奇特な女性いませんかァ?3度目だよォ。サビシィ!! (97.12.9) 



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