This page is always rewriting!




→生と死、普通の生活と貧困的生活。いま、世界はこの2面性に揺れ動いている。それは昔、当たり前のことの様だったが、現在は映像が世界に広がって、映される側つまり悲劇の出演者とそれを見る側つまり観劇者の2面だけになってしまった。そこには異常な心理が存在する。みんなおかしくなっているとしかいいようがない。人の心をとりもどしてほしい。その診断とは何か。
 安楽死の尊厳。だれでも認められる尊厳ではないが、広く認知されている精神の自由である。もちろん制限付きだ。それなのに一方では、独裁者がいるからという理由だけで、ボロ一枚のこどもがぬかるみを裸足であるき、イネ科の雑草を口にいれている。氷点下の世界の存在を見てみぬフリがまかりとおる。飢える子供たちを看過することが、あたかも国際社会の尊厳だというような感じ。奇妙な自由がまかりとおっている。安楽死と寒冷時の燃料配給の停止。その落差は天と地である。小さなベッドでの人間の尊厳がすらが守られるような世界であれば、同時に氷点下に裸足の子供が飢えてあるくようなことがあってはならない。
 国家アメリカは、ユダヤ人が唯一自由に振る舞える国だ。自らが建国した国では自爆テロがまかり通っている。神を同じにするかもしれないのに、人の作った協会(教会なんて!)が互いに嫌悪しあい、他の神の民を 自らの命を捧げて抹殺する行為。富む民にリベンジするために、貧しい民が行う行為、自爆。神とその民を守ることが、自らの命の犠牲の上にのみ成り立つような信仰。そんなものが、神の意志であろうはずがない。自らの命を犠牲にして尽くす人こそは、神にとっても天国でも現世にもかかわらず、大切であろうに。
 NPT条約というものがある。いま、某○朝鮮が脱退したことで国際社会が騒いでいる。まてよ、「国際社会」とは一体何だ。この条約、現に核を保有する国が、その他の国に核をもたせない様に監視する条約だ。そんな勝手な。強者の集団に属することが、国際社会に属することだなんて。どっかの空手部のあくたれ連中が、クラスの風紀委員になるようなもんだ。おかしい。そういう意味では、「国連」自体もそうだ。国際連合なんて言えば、130以上の国が参加する文字通り地球の組合みたいな感じがする。実態はというと、そのもっとも重要な機関とされる安保理事会を見れば判る。それは、50年も前に起こった世界大戦の時の5つの戦勝国しか常任理事になれない寡占的権力教会、おっと協会だった、じゃないか。つまり、130人以上の組合の会合で、特別の5つの組合の特別意見でなりたつ、ねじれた商工会議所みたいなものだ。そこでは、その当時の戦勝国の正義が今だもって正義の基準だ。しかも、彼らはすべて武器商人だ。手りゅう弾から核までなんでも売る。おいおいもう21世紀だぜ。
 振り返れば、日本は人体実験的に核を落とされ、ホロコーストされた。その証拠を私は見て育った。ABCCという、広島にあったアメリカによる被爆者の診療施設だ。わたしは、そこで初めて高校生の時に解剖を見、そのあと、グリンピースの冷スープをごちそうになった。そこ、比治山の施設は日本ではなかった。医療を行うのに、病院でもない、ブラインドの閉まった消毒臭のする施設。小学生の時の私にもそれは、単なるうさんくさい研究施設とはっきり感じたものだ。脚色すれば、死のにおいがした、と言える。戦争でさえ、戦時を過ぎれば、その行為は殺戮であった、という再定義こそが文明人に必要だと、高校生になってから思った。その殺人者の息子が今、テロ国家と決めつけた独裁者の国家と勝手に戦争しようとしている。それも古くさい50年前の正義の名の元に。50歳にして、古くさい病名を使えば、脳動脈硬化症を起している自称強者の独善的戦争に、国際社会は無理やり協力させられようとしている。こう言うときだけ、肩に手を回してくれる相手に愛想笑いをしながら、屈辱とも思わない日本という国に私は住み、大変愛している。
 独裁であれ、国家であればその主権がある。そこには、一つまたは多くのしかし、国というまとまりをもつ民族が住む。彼らは彼らで、自らの権利をまもるために、貧しくても自分たちにできることは何だと考える。自分自身を爆弾にみたてたテロや、反抑止力としては比較的安価な「核」をもつ国家であるぞと宣伝することで、豊かで強い国々に対して、やっとものが言える国々。自分の小さな国が、「国際社会」という名の「いじめ集団」に押しつぶされないためには、核で武装するしかないじゃないか、どこが悪い!と考えるとすれば、自分たちこそ、それをもちながら、他国には「核を持つな!」、というへ論理よりはるかに分かり易い、と私は思う。しかも、安価に作った核だから、いろいろな手抜きがあって、自身にも他人にも十分安全の保証が出来ない。そういう、とりあえず作った核で武装せざるを得ない貧国。戦時中、松やにを集めてとりあえず燃料を作った、と聞いた事がある。あるいは、竹で作った銃剣で鬼畜米英を蹴散らす、と訓練されたと聞いた事がある。それと同じ理屈が、彼らの核施設にもある。某○朝鮮の核施設もそうだろう。このままでは、そのうち、核を封じ込められずに事故がおこる。日本での原子力発電所での事故の様子を見れば、一目瞭然だ。クローン人間同様、人はまだ、細胞分裂も核分裂を制御できずにいる。存在すらおそろしい貧困の中の核。きっと戦争など必要もない。そのうち事故がおこり、自分と近隣の国々をあるいは地球を巻き込む。制御不十分なテポドンが、ある日あるとき、私の町に落ちるカモ知れない。戦争になろうがなるまいが、某○朝鮮イコールすでに核の脅威だ。
 さらに、最近の朝鮮半島では、その根っこで「嫌アメリカ」のようである。韓国では、ソルトレークでの汚いやりかたに怒っているだろう。アメリカ兵が戦車で中学生を2人も轢いたことにも怒っている。日本ではすでになれっこになったこういう醜いアメリカ。ニューヨークでの出来事の後でなければ、タリバンの味方の方が増えていたかも知れないとも思う。いままでとは別の意味で、朝鮮半島では今、南北を乗り越える木が芽吹いている。それこそが「民族」の意味なのかも知れない。やがてそれは、アジアや日本をも飲み込んだ環太平洋ならぬ、嫌アメリカニズムの台頭をみる様な気がするのは杞憂だろうか。多民族国家アメリカは、多民族が故に、民族問題に疎い。自分とこのアジア系をみて、即その母国を計っている。木を見て森をみないように。そのうち、単一民族あるいはそれに近い国々の主権を軽んじることが、どれだけ危険な行為だったかを悟るに違いないと私は思う。そうなってからでは、すでに遅い。
 いつものように、ここで再度主張しておく、私は、北朝鮮やイラクを支持しない。それは明らかに間違った主義に犯されているからだ。だが同時に、国家アメリカの態度は嫌いだ。明らかに無頓着で傲慢だし間違っている。主権の存在しない国家や、自由の存在しない個人など存在しえない。古きよき「自由の国アメリカ」はすでに存在しない。もちろん以前から、個々のアメリカンは、むかしながらのアメリカンだろうと思う。このことは折に触れなんども言ったはずだ。真のアメリカンは、自分のことのように、他人の自由を尊ぶ。私は、それが大変好きだ。なのに、今の国家アメリカは、心(個人)と身体(国)が分離してしまっているようにしか見えない。だから今、アメリカの中の人々も含め、世界中の一人ひとりが、自由について真剣に考えなおす時が来ている。デモクラシイについて考え直す時が来ている。テレビの特集で、核査察のかつてのメンバーだったアメリカ人を紹介していた。核の査察という名を借りた侵略行為からは、何も生まれないと。すべては、自国の正当性という尺度に照らして、真の情報公開を行わないアメリカの姿に、かれはアメリカンとして心底悩んで発言する。私はなにかしらホッとした。まだまだ、真のアメリカンが居るんだ。自由を尊ぶアメリカンがいるんだ。「自由とはなにかを考える協会」それこそが21世紀の国際連盟だ。自由とは、いう命題。そこから逃げる時、きっと戦争が起る。
 この冬、身近でインフルエンザが大流行した。医者になって初めての経験だ。連日多くのインフルエンザ患者が訪れ、それこそが戦争だった。その中で、見過ごせない事実がいくつか残った。ワクチンをキチンとうってもかかる人間がいる事実。特効薬のタミフルを使用すると、吐き気がひどくなるが、2日半で熱が下がってケロっとする事実。ある時、一人の母親が言った。インフルエンザワクチンなんてしないわよ。特効薬を使えば2ー3日で熱が下がるのに。無駄じゃない!理屈だ。けれど間違っていると思う。彼女にもそう言った。彼女の理屈に、さらに輪をかける事態も存在した。ワクチンをしたのに、インフルエンザにかかり、特効薬を使ってくれと頼まれる事態だ。私はどうしたらよかったろう。ハイわかりましたとは言えない。デフレどきの金としては結構な値がはるワクチン。悩みながらも私は、事実をまず述べる。確かに、タミフルを使えば2-3日で熱がさがるよ。ワクチンの効果だけだと、長くすると1週間は熱が出たりひっこんだりする可能性もある。しかし、せっかくお金をはらってまで、ワクチンで免疫能力を高めたんだ。効果を期待して、特効薬を使わずに待とうよ、と話している。たいていは、その理屈に理解して待ってくれる。ありがたいことだ。そこには、たしかに「信頼」という関係が介在している、と勝手に思い込んでいる。じゃあ、結果、その人の子供が脳症にかかったらどうする? もし、万一問われれば、それは私の責任です、と答える覚悟はしているつもりだ。そういう嫌なこと、感染による脳症のことだが、それは、ワクチンを摂取したからにはおこらない、と信じてワクチンを勧めることにしている。もちろん、人の知識は不完全で、正誤もまた相対的ではある。それを、心の働きでつなぎ止める行為が「相互の信頼」だ。その信用が、ワクチンをうったのにインフルエンザにかかるという不条理や、かかるだけでなく、もしも脳症にかかったら、という不安をつなぎ止める。それと同じことが戦争や経済、貧困、それに核の問題にも言える。いまの「国際社会」には、相互、つまり双方向の理解と信頼が欠如したまま、凝り固まってひとりよがりに突き進む論理がぶつかっているだけだ。本当に一方通行。まるで、テレビ社会そのもののような一方通行性。これは本当におかしい。奇妙だ。結論。世界全体が、私の嫌いな現代精神疾患分類法で言うところの、「パニック障害」だと、私はしかたなく診断した。(03.1.13)


→現在、掲載はやめました。


→まず、わたしの5歳の患者が焼死したことへのおくやみを言いたい。そのことへの鎮魂歌を書いたのだが、載せなかった。だから、表題だけのこってしまった。理由は、あまりに生々しすぎるという批判だった。私はそう思わないが、御両親を悲しませるのなら、そういう行為は理由にかかわらず出来ない。
 さて、国家アメリカがイラクと戦争しようとしている。しかし、そこには沢山のなぜがある。
原因はなにか。原因はいまだ明確ではない。例の9月の例の男が主犯だからか。主犯の男はアラーの神を信じているから、アラーの神を信じるものが悪だと言うことなのか?その原因は、つまり戦争するという事の原因は、イラクがテロを助ける国家であるから、ということらしい。テロを助ける国家とは何か。テロという方法で人殺しをする集団を助ける、という事なんだろう。では、テロは一体なぜなされるか?富者イスラエルに対する貧者パレスティナの戦い方だったのではないか。あるいは強者西欧諸国に対する、弱者の戦い方ではなかったのか?アメリカに対するテロではなかったか?一体アメリカは例の主犯を犯罪者としてつかまえるはずではなかったのか。それがなぜイラクと戦うのか?それはイラクがテロ国家であるということだろうか?それとも、大量破壊兵器を隠し持っているからなのか?大量破壊兵器はアメリカも中国もフランスもイギリスもソ連も持っている。では隠し持っているから悪いのだろうか。いったい、5大国は核をもってもよく、それ以外の国はもってはならないと国連できめたのだろうか?イラクも北朝鮮も国連には属しているが、安保常任理事国ではない。日本も、ドイツも、ベルギーなどEU諸国もそうだ。では、常任理事国なら大量破壊兵器は持てるのか。武器の輸出はできるのか。インドやパキスタンはほっといてよいのか。
 北朝鮮も独裁国家であり、鎖国している。核も持っていれば、ミサイルも持っている。食料はなく、子供たちは飢えている。しかし、国家アメリカの定義によるとテロ支援国家である。では、テロ支援国家であれば、大量破壊兵器を持てないということなのか。北朝鮮が他国で、自爆テロをしたことがあるのか?また、イラクと北朝鮮は国交をもち、情報を交換しているのか?
 アラーの神のためと称して、他国でテロ行為を繰り返す集団は確かに存在する。それを助ける国もあるだろう。かれらはしかし、自爆テロをしない。それがイラクだけを攻撃する理由になるのか。また、北朝鮮は大量破壊兵器の核をもっている、それになのに、イラクとは違い、北朝鮮を攻撃しない理由になるのか。北朝鮮の他国での活動は、諜報とら致だろう。それは確かに存在する。この事実は、国家アメリカが言っていることではなく、日本と韓国が主張し、かつ事実もある。
 これらすべての「なぜ?」を総合して、CIAほどの情報もない私には、とうてい、それらの理由から、国家アメリカの言う通りに戦争を支援することに賛成することはNoだ。同盟国だから、という愚かな事をいう元首相もいるが、とても納得できるものではない。私は、子供たちに国家アメリカが戦争するのを日本が助ける理由を語れない。国家アメリカのリンチにつきあう日本を私は日本人として、断じてYesとは言えない。したがって戦争はNoだ。イラクにも明日を生きる子供たちがいる。彼らを傷つける理由はない。逆に、常に戦争状態であるから、という理由だけで、自己の存在の正当性を主張するイラクや北朝鮮は正しいか。これも答えははっきりNoである。なぜなら、彼らは自国の人々をも欺くからである。
 それに、もし、国家アメリカが北朝鮮を襲うなら、私が独裁者なら、韓国や日本を攻撃する。それは、あたりまえのケンカの戦術だ。売られたケンカは買う。その時、国内法を盾に、自衛隊を出動させないとしたら、日本は卑怯者だ。また、アメリカ軍にたのむとすれば、アメリカの戦争にも連合軍として一緒に戦うのが筋だ。クールになれ、そして、有事に備えよ我が日本。
 我は思う。私たちが戦う相手は、イラクや北朝鮮ではない。貧富の差、人種の差別、衛生や生活環境の差、地球のエントロピーを下げる。それらに対しての戦いはYesである。その目的のために、どうしても人と人が戦争しなければならないのなら、私は地球のために戦う。やられたら、やりかえす、とか、テロは絶対にゆるされないから武器を取る、とか、結局力には力をとか、ふるいパワーゲームはもうおしまいだ。それは、18世紀アメリカであったような、悪いことをしたからという理由で、リンチにしてしまう西部劇とおんなじだ。そんなリンチに敢然と立ち向かうヒーローの姿を私は、水戸黄門よりも愛し、尊敬をもってなんども映画をみた。そういう自由を愛し、正義を愛するアメリカは今はない。例の国連での「イラクの証拠」。なんだあれは!
 最近、各地でデモが起こっている。ヨーロッパでも、そしてアメリカでも。もっとよろこばしいことに、我が日本でもわずかだがそういう人々がいる。そう、まだまだ、真の正義を信じる人々が居ることがいま、私にとって一番うれしい。(03.2.16)


→いよいよ戦争が始まる。悲しいことだ。湾岸戦争やアフリカ戦線と違って、今度は日本も参戦した戦争だ。我らは、病気の首相によっていつのまにかしたくもない参戦をさせられた悲しい従順の民である。せめても、コレコレこう思うから是非わかってください、風の説明でもあれば多少は納得出来るものを。(御本人はした、と思ってるから病気だというのです。)
 一方で北朝鮮の動きが激しくなっているから、それをにらんでの取引が日米で行われたのだろう。基地の国日本ではある。その証拠に日本の基地の動きはニュースにすらならない。現在は、日本が、アメリカのように、北朝鮮に宣戦布告してもおかしくない情勢だ。憲法上、日本は自衛しかしない。ということは、かならず、まず最初にミサイルで破壊される人々や町があるということだ。それが苫小牧かもしれない。仕返ししか出来ない軍隊を日本は持っている。だからアメリカについていくしかない。そういう体制はいつはじまり、いつまで続くのか。戦後、は終わらない。ちぎりを交したやくざの舎弟のようではないか、我が日本。しかし今はそんなことはいっていられない。戦争が最低限の犠牲で済むように日本は支援しなくてはならない。
 それにしても、我が首相、党首会談での姿は、『説明をもとめられ」てそれに「答えている」ようだ。それなのに、この3年、我々は首相が「はぐらかして」『説明していない」と思いつづけて来たことに御本人は気づいていない。いや違う。反対に彼は確かに、自分が説明していると思っている。であれば、耳で聞くという刺激に対して、通常の反応をしていないということだ。精神科的に言うと「的はずれ応答」だと思われる。つまり病気。的外れ応答は、思路または知能の障害により生じる。むづかしい大学を出ていて知能障害があるとは思えないから、思路の障害なんだろうと思う。もとより人にはいろんな偏りがある。その範囲であれば致し方はないが、しかし彼の場合はおそらく、それを若干逸脱しているようだ。国民の「首相自身の考えを教えて」という切なる質問に対して、彼は「確かに答えている」と常に結論する。それでもしつこくある党首が追及すると、「こいつは、議論のための議論をふっかけている」と思うから、『なんだ貴様は、答えてるじゃないか!。』と言う態度に出る、それこそが病気である。
 しかし、我々の首相が、いったい病気であるとないとに拘わらず、イラクや北朝鮮にしてみれば、日本がアメリカとともに参戦したと見る。最近のアメリカの各国の貢献に対する感謝リストの中で、またもや日本は、「現在具体的には貢献してないが、協力してくれる国々」つまり、大多数の国々にいれられているのに。そりゃアメリカにとって、日本は直接部隊を出すわけじゃなし、後方支援するわけじゃなし。この前のアフガニスタンでは、日本の名前すら感謝リストになかった。日本は、兄弟分ですらなく、単に属国扱いだ。アメリカにとって日本は『協力するのが当たり前の地位の国」なのだろう。
 では、我らが敵さんについてはどうだ。長い間アメリカや他の国々による兵粮ぜめに耐えてきて、栄養や教育に欠ける飢えた子供たち。私が彼らなら、当然のように、アメリカも日本も許さない。だれも、泥水に頭を押し付けられながら、私はただしい、こいつが悪い!と叫ぶやつに、好意をもつことは、これからも未来永劫もないだろう。だから、国際社会とは彼らにとって、これからも未来永劫も自分以外の者であるに違いない。そういう風に我々は彼らを扱ってきたのだ。日本のこっけいな姿が彼らの瞳を通して見える。
 あれだけ、「サダムフセイン、サダムフセイン」と個人を名指しするなら、この何年の間、なんで、御自慢のハイテクを駆使して抹殺しなかったのだろうか。イラク国民をあわれみながら「あんたたちはサダムフセインのせいでこうなった。うらむなら彼を」と言いながら、他国の民衆にむかって引き金を引くアメリカ。これが国家アメリカのこの半世紀の姿だ。生まれ育ち、愛する街を破壊されながら、手を伸ばされ、「私たちはあなた方を救いに来た」といわれるわけだろう。何だって!最初の医一撃は大統領を狙撃しただって?!。そんなら、この何年かの間、もくもくと暗殺計画を実行すればよかったじゃないか。アメリカばかりじゃない猿顔男が粗野で嫌いだから、何言っても拒否権を使っちゃう、といってアメリカを国連から追い出すフランス。国際社会を支配する偽善者の顔がすけて見える。とはいえ、そうそう、病人を首相にしてしまった日本人はなにもいえないんだった。
 戦争が始まった。例によって、殺人か戦争か、だ。ある反戦デモ参加者がいっていた。戦争は結局は市民が馬鹿をみる。そうだ。その一言に尽きる。もう一度問いかけたい。湾岸の時、あそこまでやったんだから、ずっと狙って暗殺すればよかったじゃないか。もともと十で人を殺すのなれてるんだし。武器をとるものは、武器に滅ぶ。それがわからない20世紀アタマの国家アメリカ。なぜ暗殺ではなく、戦争、空爆という、またまた庶民を巻き込む形にしなければならなかったのか。フセインを暗殺するのなら、アラブ諸国も、表向き抗議はするだろうが、事実がはっきりしない分、これほど反アメリカに傾かなかったと思う。彼は明らかに、アラブの穏健派にとってお荷物だろうから。こうして、アメリカは戦後に、宗教戦争を来らすだろう。目に見えるようだ。長期になれば、目には目をの法則。その法則になれたイスラムの勝ちだ。空爆という大量破壊では、急所を攻められない。つまり、バクダット、イラクという街や国を壊すことはできても、彼らの主義や精神は変えられない。いい例がエジプトだ。あれだけ歴史上あまたの西欧の干渉になれたはずの国民も、今のアメリカを非難する。
 リケン、利権という観点から、つまり、国を運営するには金がいるから、という意味で、あるいはお金持ちの生活を保証するという意味で、清潔でハイテクな西欧文化を選択する王族達。貧しいながら神を信じて、一日一日をくらそうとする庶民。その違い、その戦い。それはおそらく生活そのものの違いにすべてが帰すると思う。いつも他国にしてきたように、かの国民の生活を西欧化することで民意を得たと信じる国家アメリカ。でも、その考えによればこそ、フセインやラディンなどお金持ち相手にケンカしたりするより、気長に民意に訴えてはどうだ。実際、ほんとうに、西欧式、アメリカ式の生活がよいと知ったらば、彼らも原理主義に走ることもなかろう。目の前の安楽に人は弱いものだ。その視点をこの戦いは完全に失っている。なんかおかしい、不自然だ。そういえば、ライス報道官?どっかでみたと思ったら、あれだけきれいなひとだから覚えているんだけど、どっかの石油会社のトップになったとかならなかったとか。どっかのグラビアで見た記憶があるんだが、間違いだろうか。先日の日経新聞で、今の大統領の取り巻き連中は全部石油関連出身だったとか。ブッシュさんも確かテキサス?だったよねえ。エンロンもそうじゃなかったっけ。エンロンの倒産の事といい、なんかスキっとしない人たち。まさか、こんどの戦争も油田の制圧合戦じゃないだろうねえ。リケンという、おおよそ民衆とは無関係の、いってみれば、金持ち同士の利権の奪い合いのケンカで、大切な子供が死んだんじゃ割にあわないじゃないか。
 反戦と言う言葉は、よく考えるとよくない。それは過去の言い回しだ。20世紀型思考であるところのそれ。経済不況の中で始まる原始的な国家間の利権争いの手段としての戦争。それに反対するという意味だったと思う。時はすでに21世紀。人類の進歩が、戦争という「試しの場」なしで、英知によってなされなければならない時代。だから21世紀型思考でいえば、反戦ではなく、不戦、あるいは無戦でよかろうと思う。人はどっちみち死ぬ。なんで金持ちの石油持ちの元首が気に入らないからといって、民衆が兵糧攻めにあったり、空爆で殺されたりしなければならないのか。目には目を、武器には武器をだって!?。じゃあ、聞くが、テロに対する空爆?それが果たして、有効な武器になりうると果たして信じているのか。兵糧攻めにされた揚げ句、殺される子供たち。それを命令する猿顔。それに追従する白い猿顔と黄色い病人。いいかげんうんざりだ。もっと民衆による民衆のための民衆による政治を!!(03.3.16)



→もどります(御意見メ-ル送りたい方も)