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→皆さんあけましておめでとう。このホームも4年で3000人を越える人たちに読んでもらった。本当にありがとう。いつもは仕事の正月も今年は12月30日から3連休となった。とは言え,我が「おしらせマリちゃん」ことヨーキーの相棒が,おととしから2度の心肺停止寸前となり,その影響か時折引きつけたり,食べ物をつまらせたり,失禁したり,ヨタヨタ千鳥足の状態で,毎日ドキドキ,ハラハラ,胃が痛い。5年もの間,マリの御迎えだけを楽しみに仕事にセイ出してきた私の気持ちはわかってもらえまい。ことほど左様に頭の痛い正月を迎えている。みなさんはどうだろう。
世界は? 現在の最大の動きはやはり,ヨーロッパに人口3億もの民族共和国が出現することだろう。これはすごいことだ。その通過が統合された。成功すればそれは久々の人類の英知である。そう簡単ではないが,可能性がある。東ドイツとまがりなりに統一できた自信が民族の統合に生きてくるのか。 宗教と帝国主義の戦争もある。主にイスラムの人々とユダヤ人,インド人,それにアメリカとの戦い。これは熾烈を極めるだろう。かつて西側であった国々とイスラムの戦いは,兵器や思想の西洋的論理付け,金銭では依然旧西側に有利だが,宗教はそれを超越し,貧者の報復である自爆テロなどのテロは激しさを増すだろう。ビンラディンが影武者をもつのではなく,イスラムにはビンラディンが多数存在するのである。クローン人間のように。いや,彼(彼ら)はすでに現実に存在するかも知れない。
医学は遺伝情報をその中心にすえ,病理や生理学を中心として,臨床的に薬剤を投与する内科と患部にメスをいれる外科が患者を直すという図式でこれまで行われてきた。今後は急速に遺伝子のズレを予測し,個人の遺伝情報の特異性を社会利益にあった形に矯正する遺伝矯正医学が中心となる。遺伝子の診断を行いそれに基づいて遺伝子情報を書き換える事が治療になる。人体部品の交換も行われる。しいていえば,前者が内科的,後者が外科的となるが,もはや根っこが同じなので,内科外科という違いも意味がなくなる日も近い。医学,というか社会倫理も見直され,やがては,クローン人間が嫡子が否かの論争が行われるようになるだろう。これから数行は,きっと医師にはタブー。けれど,時々フト思う正直な気持ちです。つまり,臓器移植。これも良く考えるがよいと思う。今,自分の細胞を冷凍保存することが,死んで気高く臓器弁別されるよりも人間的尊厳を守れる場合もあるのじゃないか。脳死の状態で10年生きられるほうが,他の人の一部になるよりよい場合もありうる。現に数日した生きられないレシピエントでさえ,あと2年生きるだけ,対症療法を受ける方法が残されているなら,10年いきられる他人の臓器をもらうより,得策かも知れない,そんなところまで,医学の一部は来ている。そう,感じてしまうのです。ごめんなさい。痴呆の患者さんも疎まれながらも人に面倒をかけて生き永らえてほしいとも考え得るきょう日なんです。そう,再び目が覚める日が間近いかも知れないのである。
社会では,急な変革についていけない国は滅び,会社は整理され,個人はリストラされる。国は厳としてあたりまえに存在し,御父さんは朝仕事にでかけ,夜遅くまで会社で働くことが子供の目から当たり前だった時代はすでに過去の話になりつつある。 これらは,主に西洋の人々がそれの価値を信じてこの数世紀,ガリレオやダビンチ的な理論,スミスの経済論,マルクスのイデオロギーなどが作り出した株式の存在と産業革命的方法論や戦争形態,通信やコンピュータなどの産業的ベクトル の上で「進歩」とされてきた。アメリカはその先鋒である。けれど,その矛盾,環境や宇宙のエントロピーを増大ばかりさせる「進歩」はそのアメリカですでに,フラーなどが鋭く批判し,理論的に体系化している。
グローバル経済になった今,日本の国内のような経済状況は一会社の整理清算にとどまらず,アルゼンチンやアフガニスタンやアジア,アフリカのある国々のように,国の清算へと急速に進展するだろう。そのなかであいかわらず,アメリカ的西洋を模範とする日本は,アジアの国々との民族的合衆を模索することなく,アジアの本当の仲間である,中国や韓国に遅れをとる可能性が大きい。アメリカ的手法でもはや21世紀の中国と同地域にある日本が二国間での競争に勝てるなどと思えない。競争ではなく,共争しよう。なにに対して共に戦うのか,そのなににを見いだすことがアジアでの日本の唯一の存在の証明だと私は思う。
バランスのとれたメンタリティ。これこそが,今の日本人に最も必要とされている。それにバイタリティとラショナリティ(合理性)。これらはすでに,多くの中国人に水を開けられているところでもある。アメリカの一部の人たちはあのテロの後,イスラムと自分たちの価値の違いを悲劇をのりこえて,理解しようとしている。これこそが偉大なアメリカ人だ。いまののまま,強いアメリカであろうとする旧石器的アメリカ人の猿真似だけは避けないと,日本の未来は10年ともたない。
小泉さんが良い人なのかたんなる風見鶏なのか,いまだ分からない。毎日,新聞に目を通すだけでは,とても分からない。私は政治は意に介さないのが主義だからだ。けれど,円は120円,東証の平均は,17000円が正しい日本の値段であると,2年前に書いたがそれは変わってないと思う。労働力を他国に依存して,こ国内の空洞化を容認した状態での130円,10000円の相場が今のやり方で改善するとは到底思えない。政治的,経済的に西洋式でありつづけ,しかもランクをG7から落として,ロシアと同じランク落ちをさせていこうと言うのなら今の方式でも成功するかも知れないが。
いずれにしても,このホームの書き出しのごとく,日本人のメンタリティ,つまり表向き世界やアフガニスタンの動きに無関心にトーキョー,ハラジュク,ゲーノージンを続けるメンタリティで,真の危機意識をもてないで,自他共に危機なんて,政治や自治体のするこった,と思っているアナタ。きがついたら,ビクと折れたさをだけもってぼう然と立ちすくむ浦島太郎になってるかも。逃がした魚は大きいものです。わたしも最近つくづく,自分が年だと。つまり,いつのまにかそうなってると思っている。恐怖を持ち続けながらフライトする日々が今年もくり返されます。死にたくない。その一念で生きていられる自分であり続けたいものです。ねえ,みなさん。したたかに生きる事を,生活を守ることより大事に考えられるとよいことがありそうなこの一年だと思いませんか。(02.1.1)


壊れたドクのヘリ君と一億総小児症の辛口編の巻

→今日は,いつにもましてカラクチなので,御許しを。腹を立てる人もいるだろうが,我が日本,そういう深刻な状態に来ていることを私なりに表現したいと思うので,御批判の向きは是非,メールを。 その前に,私の哀れなヘリ君JA7893の近況です。7893は,かわいそうに壊れてしまいました。墜落じゃなく,不時着ですが。燃料がなくなって,エンジンが止ったから竹トンボ状態で無事に地面まで降りてきて,おりようとしたけど,下が不整地だから横に倒れたため,とまっていないロータで地面や自分の尻を打ったので壊れたわけ。これが,安全と思われている普通の飛行機だったら場所によっては,人身事故になっていたろうから,ヘリの安全性は高いと思う。壊したのは,ヘリの修理屋さんのお兄さん。予防着陸といって,危険を感じたら,回避的に地上に不時着する。あとで,始末書を書けば済むのに,彼はなぜかそう,出来なかった。いろんな事が頭のなかで錯綜したのでしょう。ま,無事でよかった。その後は,やっぱり弁償で泥仕合になりそうな。この業界の人は本当に分からないところがある。車なら,普通修理屋さんが壊したら,修理屋さんが入ってる保証用の保険で賄う。けれど,航空機は機体保険。その機体に保険をかけるから,操縦者はおまけ。とは言え,所有者が保険料を払うから,こっちにしてみれば,保険を使わず弁償してもらうのが筋,と考える。けど,保険を使ってくれとたのまれるのが普通らしい。保険証券には,御丁寧に,求償権不行使と言う特約がある。この特約,保険会社が被保険者にお金を払っても,行為者が被保険者でない場合,その行為者(つまり,壊した張本人)に保険会社が金を払ってください,と命令する権利を放棄する,という特約だから,要は,ヘリをあづかったり,修理をする人たちは,人のものを壊しても,壊された人の保険で直して,被保険者は,その分のわりまし分まで払うという理不尽がまかり通る世界なんだよ。で,その修理屋さん,正直は正直で事故の責任を100%認めたうえ,こちらが割り増しを払う分,その差額分を払うと言い出した。私は無理だと思ったよ。依然7804で分かってるから。割り増し分をもし事故がなかった場合と比較すると,何年ものあいだ,10万単位の差額を払わなければならないはずだ。結局,いいだした,修理屋さんは,自分から保険を使わしてと言うのを取り下げて,弁償することにしたわけだけど,こんどはそれで腹の虫が納まらないらしくなんだかんだと言うわけだ。こっちは,たとえ金で全額払ってもらっても,ヘリがないことにはどうしようもないわけで,つまり,樽前の観察が出来ないわけで,まさか,ボランティアだから良いでしょうとあっちも言えない。こっちが仕事のヘリなら当然休業補償までしてもらわなくては困るわけだものね。ということで,せっかく社会的に認知もされてきた,樽前山噴火へ向けての私の活動も,もっとよい形で再開するまで,少しお休みだ。この航空業界,まるで建築業界のように特殊な,利益の偏在した業界だけに,我々素人っていうか,普通の社会の常識が通じない面が多々ある。それが,結構業界自体の首を絞めているわけだが,なんせ,扱うしろものが値が張る。この大不況の時期に,パイロットもメカさんも家族抱えて生活があるのは,我々とおんなじで,だから分かんないわけじゃないが,もっとオープンに分かりやすい,フツーの常識が通る業界にならなければ,フツーの人がフツーにヘリや飛行機に乗る時代は来ないわけで,そういう意味でも私は決してあきらめない。きっとそのうち,時代が変わるんでしょう。ひそかに,私の活動を応援してくれている読者の人たち,もうすこし待ってください。ごめんね。  さて,長い前置きはこれくらいにして,今日の本論にはいろう。ついに,外務大臣がやめさせられたねえ。すごいねえ。いろいろみっともないねえ。ヤレヤレ(応援)っていう人もいたし,ヤレヤレ(あきれて)っと言う人もいたし。どっちが正しいかは,中からみるか,外から見るかによって違う。確かに,外務省が伏魔殿であることはよーく分かった。けれど,一体何度,外からの客人をまたしたり,キャンセルしたことか。恥をさらすこと自体で,それをニュースにしながら改革をすすめるって言う理屈が,そもそもスマートじゃないよ。本来の外交に,一夜漬けでもよいから勉強をする時間や態度がほしかったね。官僚に対する態度もそうだ。国会なんかのあの無礼な態度はどうだ。そりゃ,どっちが(権威的に)上かをはっきりさせることも良いが,それ以上に日本人は,人の前で恥をかかされるのを嫌う。私が,点滴中の看護婦さんに,患者さんの前で,ヘタクソ!と言うのとおんなじだ。だれかの新人議員立候補者の女性の応援でもやっちゃってたけど,相手のプライドを損なう正義は,悪に勝てない。(これはちなみに,私の欠点でもあります!私を知ってる人が苦笑いしそうな話だから)。本来の外交でも,日本人のもてなしの心を外国の客人に伝える「あたたかいこころ」も必要だよね。それが感じられなかったんだよ。本人はそんなことなかったんだろうけどね。目の前の煩わしいことにきっと疲れ切っていたんだろうね。  いまの,経済,ああーーー,アルゼンチンだよアルゼンチン。第2のアルゼンチンになりそうな日本。アメリカの格付けは,すでにイタリアにならんでいるが。もっと下がりそう。アルゼンチン的国家的破産の状態はすでに目の前なのに,相変わらず,日本の運命が東京の一部分,つまり永田町と霞が関だけで決められている状態は大変に異常だと思うよ。関係あるかないか別として,あの外相更迭の日から一挙に株価は下がり,一万円を割った。私の日本株の期待値は17,000円で,バブル後でも高い時は21,000円位会ったから,すでに万円以上の値下がり。つまり半額。額面700円位の地銀の株は,今軒並みその半値以下。だいたい170円を切ると,その銀行はもう株を支えられなくなると読んでるから,その値は元値の20%だよね,そうすると,日本株でその水準といえば,20000円の五分の一が4000円と言うわけだ。アルゼンチン,ロシア,東側崩壊後の東欧の大部分の国。お金,つまりキャッシュは,実は切り下げる,という手もあるけど,株は信用によって支えられる期待値がなければならない成り立たない。つまり,信用そのものだ。それを意に含んでの17,000円だから恐ろしい。今の値は,日本の株が半分の値になっただけじゃなく,信用も無くなった分が上乗せされていることを決して皆忘れてはいけないよね。それを考えたとき,なんかのきっかけで,すぐに第2のアルゼンチンになるほど,今の日本の経済は危うい。しかも,アフガニスタンやソマリアじゃあるまいし,大砲をもちだして,戦争をおっぱじめるほどの愚体力もない。今の日本の危機。いま,永田町が,,とかいった端から,否定するようだけれども,それは必ずしも,政治家や官僚が,例のNGO事件のようなことをくり返しているせいばかりではない。この外相を更迭に真紀子んだ,NGO事件を例にしよう。私は,本質は,ボランティア組織は,困った人々を助けることに金を使い,その金の出所に左右されることがない,という,世界のボランティア活動の表の常識が日本に通用していないこと自体が問題なんだ。つまりは,常識の欠如。金をだしているんだから,言うことをきかなくちゃ,と言う某議員の言うことの方が,どっか正しい気がするあなた,あなたこそが日本の株を下げてる。一人ひとりの意識が,お上の言うことだったり,日本をよくしてくれよ,というお上まかせだったりするからいけないんだよ。そこが問題なんだよ。それをいま世界のリーダーの国の人たちが日本を嫌っている根本ンなんだ。それがわからないようだったら,グローバル化に身を任せたりしてはならない。鎖国しかない。それは,戦後日本の自己否定と言うわけだ。大江さんに怒られそう。  このホームの目的をくり返している。いままでも書いてきた。世界的な常識とは一体なんだろう。ここで逆に,日本の非常識の例。先日ホテルのプールに行った。子供づれの女性が泳いでいる。10mx16mの小さなプールで,一部子供用に下がせりあがっているから,大人は2レーン分やっと泳げる程度の大きさ。こどもがいるのに,親は深いほうにいる。自分が泳ぎたいからだろう。子供は,浅いほうと母親のいる深い方を横断しながら遊ぶよね。そのうちダンナとおぼしき人がはいってくる。ビート板が4対あり,1対をソロバン代わりに遊泳距離のチェッカーとして使っていたら,フトみるとなくなっている。たった3人の親子。彼らが全部を使っている。父さんが持っていったらしい。さすがに奥さんがきづいたらしく,だんなに耳打ち。だんなは帰すのかと思ったら,そのままもとの位置に,かたずけてしまった。そのうち,3人ともあがった。ヤレヤレ。ところが,だんなが忘れ物をとりにプールサイドに。なんと外靴をはいたままだ。実は,今日はどなりも抗議もしなかった。なぜか,この何年か,これに似たこと,この苫小牧一の国際的ホテルのプールでは,結構みてきたからだ。とにかく,自分が楽しくあそぶ。人がそこにいるために,行動が制約されることは,不当と感じる日本人。人の迷惑は二の次というのが,日本の常識という非常識であるのはまちがいがない,私は思っている。ハワイで,静かなレストランでの若者のバカ笑い。手押しキャリア一杯のグッチのバックを押す,パリにでもそうなカッコの若い女性。ここは,ハワイダぜい! ステテコ姿の日本おじさんの話は世界どこでも有名だ。外国で一人の時は,はにかみ屋のガイジンになり,複数になると,たちまちその国の人たちをガイジン扱いにして闊歩する日本人。国のなかでは,政策はお上がやり,庶民は,いつかやってくれると期待するものだとばかり。これほど,恐慌に近い状態なのに,変化のみられない庶民の営み。都内でのテナントの誘致を度外視した再開発事業。それはまるで,高度成長時代のようなビルラッシュだと聞く。よもや,台湾や韓国の企業も今,日本の一等地を買いあさる体力があるとは思えないから,だれがテナント入居するのやら。  非常識は,今さっき触れた株の問題もそうだよね。日本の株が下がるのは,さっき言った通りに,日本の経済下降の反映したものなんだけど,もともと,この10年,外国の機関投資家が株を買いあさった分の作られた高値だった部分もある。彼らはバブル崩壊後の日本は買いだったわけけだ。つまり日本の経済の底を見たと思った。それほど日本の経済力のすごさを信じていた分けだ。彼らは。拓銀の倒産と公的資金の注入。散々な目にあった日本。こんどこそ,日本は再生すると,外国の投資家は信じた。それが結局なんにも変わらないで,この期に及んでも,高速道路はとにかく全部計画道理作るとか,小泉さんの改革に,堂々と抵抗勢力という旗印をのたまいながら,国会を牛耳っている我らが代議士さんたち。おまけに官僚は国家公務員から地方公務員まで,税金を私的につかいまくる。私の倒産は5億だったが,その同じ金額を外国の美人さんや,競馬の馬につぎ込む奴がいるわけだ。それなのに,この御時世にまだ,別の町の物件の固定資産税は振り込みにできないと言い張り,納税者が支払をわすれると,きっちり滞納税の100円とかを徴収するこの神経。一体,ものごとの軽重はこの人たちの常識と我々の間の常識に一点の共通性もないような気さえする。  そういえば,思い出す,某○○議員の軽薄で不敵な顔。どこ出身か触れたくもない気がする。相変わらず具体論を全然述べない首相。言った言わないの子供談義でやめる大臣や事務方大物。そして,一人では自分がガイジン,二人以上では自分以外がガイジンの我々。オエライ人の非常識,われわれ庶民の非常識。それぞれ例にした。いまの日本,我々一人ひとりの常識を変えられないところにある。 かてて加えて,近ごろの犯罪の傾向。シャレ神戸事件にはじまり,イジメを通りぬけ,犯罪は,イコール殺人という時代だ。 中学生がホームレスの男性を殴って殺す。そのゲーム性に焦点があてられる。そのとらえ方自体がお寒い。私がそのホームレスであれば,別の見方をするかもしれないが,ホームレスの人たちは,彼らのゲーム上の分類では「悪」のはずである,であれば,それを退治するのは「善のはず」だ。その「悪」が,図書館で,「善人」みたいに静かにしろだとオ!!,マジ切れた,と思うのはこれまた,ゲームと現実の「うつつ」では当然だろう。善悪は,人格の発達と深く関係する。中国と韓国の留学生が里親を殺害して金品を盗む。これに似たことは1回きりではない。これもメンタリティの問題だ。なにもかもあけすけにして,預金通帳までさわらせるように同じあなたは,同じ日本人を扱うか。家の鍵をかけない状態を相手に知らせることを信用とおもうだろうか。相手がなにをする可能性があるか,を考えずに,人を招き入れることのは韓国の子はすなおでほんとうに良いやつばかりだ,という蔑視にも似た差別でもある。我が子でも貯金通帳とハンコが見じかにあれば,アナタを刺す,という現実をあなたは見ないか。それは,寛容という名の差別だ。そして,家族は家族,家族以外は敵か見方かいずれかだ。アメリカ人ならそう思うかも。善,または無関係の人を殺す,ということへのアレルギー反応。アメリカ人は特にそういう面が強い。彼らはそれを堂々と愛国心だと思ってる。愛媛丸事件への彼らの対応もその表の部分だ。逆に,その慰霊碑に,愛媛丸は潜水艦とブツカッテ沈没したと,歴史的事実をおおっぴらに曲げる程の愛国心。そういう不完全なリーダーがしきる現代の地球。そんな船にかならずしも乗っかる必要はない。グローバル化が善ではない。我々が特殊なアジア人だとしたらそれでも良い。ただ,グローバルな彼らがどう考えるか,正確に理解し,自分の行動を決められる人格の成熟が必要だ。(ここまでの悪口雑言,あくまでこの結論が言いたいための便法の所あり。関係者の人,傷つけたらホントウにごめんなさい。)  未曾有の不況の第二段に達した日本。そこには,人格の未発達が暴れる。これで三度目のくりごとだ。デフレの原因は,自立できないに経済ではなく,自立できない我々国民一人ひとりにある。自己現実への我の成長。それのないままの高度経済成長。そのつけのデフレ。いい加減,目をさまそう。自覚をもってあたれれば,たとえ,それが世界の流れに逆行しても,カンバン方式だろうが,親方日の丸方式だろうが,人間の質によって成長できる,と心底思う。  一億総小児症。事の本質は本当に深刻だ,というGHQの声でも聞こえて来そうな今日この頃だ。そういえば,マッカーサ君は日本人の知恵は12歳程度と言ったとか,いわないとか。(02.2.10)


哀れな7893君をめぐって醜い争いが始まったの巻


→提起
 我がJA7893が不時着して壊れてしまってからちょうど2ヶ月が経過した。その保証の問題でもめていて最悪裁判になる。私は今非常に悩んでいて、よい解決方法がみつからない。一緒に考えて欲しい。
事実 1月8日の午後、7893は茨木の筑波でガス欠の為上空1000フィートでエンジンが止まってオートローテーション(竹とんぼ状態)飛行でネギ畑に着陸せざるを得ず、畑の不整のため横転大破した。航空局の事故調査委員会も、警察も操縦士本人も、ヘリ運行会社も100%操縦士の人為的ミスと判断している。
 運行会社はミスは100%認めるが、私の機体保険を使わせたい。私はすでに98年にJA7804の全損で保険金をうけとったため、料率が極端に上昇するので、使うことを最初はしぶった。ちなみに料率をこのまま1回の事故で済ませた場合を1、今回も保険を使用する場合を2とすると、2−1は約400万におよび18年影響がでる。
 そのことを知ったとき運行会社も自分で弁償すると言い出した。その後運行会社の別の機体の不具合が生じたので、申し訳ないが(と、言葉で入っても、態度はそうも思えないが)再び保険を使えと頼む。私は事故の保証に関しては,最初は会社にまかせた。事故を起こしたのは、会社だし、自分で責任をとればいい。それに事故は自分でも起す。ところがその二転三転ぶり,それも自己都合による朝令暮改にだんだん腹がたった。

謝ってほしい唯一点
 問題は、保険の証券を運行会社が勝手に私の姓のハンコを使って、保険会社の代理店との間で保険の申込書を作成していた事実が、事故によって明るみにでたことだ。「面前自著」これは保険の大原則だ。
運行会社もその代理人もそのことにいっさい触れず、ただ、保険を使えという。しかも時系列で自分の勝手で弁償問題を長引かせ、二転三転しながら。保険会社は文書で非を認め、今後はしないから容赦してくれと、支店長が謝った。
 あちらの代理人(弁護士さん)とこちらの代理人とのやりとりも含めると、運行会社の社長とそのアジテータとしての代理人の人物像が浮かび上がる。私は自分の専門として、彼らの人格を推定してゆくが、その単純で児戯的な問題処理法には興味がもてない。ストレートに対して、ジョブを繰り出しながらも足が前に出ない拳闘家のようだ。すくなくも、賢く尊敬できる人物像ではないから、こちらもわかりやすく、「人のものを壊して自分が悪いといってるわけだから、弁償して」と主張するだけとなった。

腹を立てている問題 
その一 私にとって保険金の支払いの問題は、はっきり言ってどっちでもよい。せっかく親しくなったメカさんたちの生活を脅かすほど、私はイコジでも困っていないので、払ってよいよとすでに、1月には回答している。それを運行会社が、あとになって自分で弁償するといったわけだ。それが、ころっと、払わないと、しかも,大筋の話し合いさえやめて全面的に弁護士をいれると言う。そういう低俗は数見てきたし、それも頭には来るが、メカさんたちの生活と天秤にかけるほどの問題ではない。それは医者としてよくない。私が問題にしているのは,保険の代理店でもないのに,自分で勝手に保険証券を作っといて、それを立てに保険で方をつけろという不条理にだ。
その二 私の腹立ちの一番の原因はその一だが,もう一つある。それは,運行会社が、新らしい私の機体を探している間,私も探した。いま,手ごろな機体はとても少ないからだ。インタ-ネットでみつけたXという会社に電話した。乗り気なようだったので,見積もりを頼むが,ウンともスンともない。1ケ月も経ったころ電話すると,モゴモゴ,実は運行会社が,自分のところ機体を出すから,話はなかったことにしてくれといったと言う。これが,身内かわいい業界の癖であることは,以前から知っている。
 と言うわけで,あなたも実際してみるとよいが,これらの事をとりあげて,行政的に,ただちに罪であると断定できないこと自体に業を煮やすはずだ。いったい、法律は何のためにあるのか,と言う繰り返されてきた、フレーズが走馬灯ようにくるくる巡る。ダカラ、にほんはこうなったんだ-、とつい口がすべる。この不条理こそが,今の日本を日本たらしめている、日本的依存型産業構造の原因の一つで、ムネオ問題と根源が一緒だという、そこが問題だと思っている。
 私は、こういう自分の考え方を人にたびたび言うが、本当に理解されたことは9割がたない。我が弁護士先生もしかり,という気がするのだが。この前も,打ち合わせで,このことを主張しようとしたが,不完全燃焼で帰ってきた。実務には反映しないのがこの手の信条らしい。逆に,彼がこの主張を理解してくれた上でなら、彼に、問題の解決は10割任せようと思っている。

もっと大きな問題それは自分自身にある。
 しかし、その問題も私の悩みの4割位で、後の6割は50才を迎えてこれからどういきるか、という自分自身の頭のインフラの整備ができない苛立ちから来ている。最初の提起にもどった。そこをみんなにも考えてほしいんだ。  その一、愛犬ケンの死とマリの問題だ。昨年12月17日マリが二度目のひどい発作で頭がい骨にヒビが入り、呼吸不全と,徐脈に陥ったので,にわか作りの犬用の道具で蘇生を行った。40分ものあいだ徐脈が続いたので、脳障害が残り、ひどく弱ってしまった。仕事とヘリの忙しさにかまけていたからむくいだ。その私の生活の無理の報いは、私の体でにはなく、自分では、私の言いなりの生活をするしかない、小さな愛犬にむけられた。今も、まだ7歳なのに、先日17歳で大往生したもう一人の愛犬の15歳くらいの時の生活年齢に達したように、疲れてねむりこけている。私は無力なのでよけいに胸が痛い。
 その二 ある症例。ある大学生が一年前に受診した。すでに、腹膜刺激症状が不確定的だが、顕著に出ていて、虫垂炎を思わせる。レントゲンを撮り、穿孔の有無を確認したあと、2時病院に送るつもりだったのに、彼の精神状態の特徴に興味が出て、つい、自分で観察にのめり込んで、3日間彼を苦痛の極地ににおいてしまった。私は神になっていたと思う。電話で謝ると、彼は許してくれたが、そういう問題ではない。
 その三 症例 今インフルエンザが流行中。「賢い」先生は、抗ウイルス剤+抗生物質を直ちに投与する。後は危ない解熱剤さえ、避けさせればひどい風邪くらいで過ごさせられるから、名医といわれるかもしれない。ともかくは、その患者は無事に治癒するだろう。わたしは、疑うと、48時間を限度に様子をみる。ギリギリでインフルエンザの検査や坑ウイルス剤を投与する。子供に、最新の坑ウイルス剤は使えないし、古いタイプのものは耐性ができるのと、ある程度の闘病がなければ、その子供の免疫力をつけられないというのが、私の信念だからだ。医者や看護婦はインフルエンザに倒れないのは、周知の事実だ。なぜかはバカでもわかる理屈だ。それがたとえ自分の医者としてのやり方であろうと,インフルエンザの子供を一日だけ長く苦しめた事実は変わりない。
 その四 すでに、丸二ヶ月ヘリで樽前山を観察していない。愛犬マリが倒れてから、元気になるまで、ヘリは乗らないと決めていたから、乗れないことははっきり言ってあまり気にしない。けれど,近くの小学校で、ヘリによる防災や、自分で出来る防災の話をした。つまり、子供たちへの約束の問題が残っている。うちの秘書が、彼女にとって、始めてと思われるよい提案をした。こわれたJA7893を駐車場において、子供たちに、じかに触らせろという。私は、これで胸のつかえがおりた。そうだ、と思った。ところが、保険を使うには、保険やの査定が必要だから、という理由で、運行会社の代理人がそれを拒否した。(後日、急に応じるといってきた。戦術として、モノを押さえる、というやり方は、まことにやくざっぽい。所有権、事故の責任、保険の問題。それらの独立した事柄を、納豆と卵のようにまぜてしまって、自分の思うように解決しないと、払わないぞ、という具合だろうか)そのために、それが、実現できないでいるもどかしさだ。
 その五 周囲の理解。考え方が似ているために、唯一理屈を越えて、理解をしてくれている人間は一人だけいる。その人間は私の宝物だ。しかし、わたしのもっとも身近で、つぶさに、こんどの過程を見ている人物も,年同じ例の弁護士さんも、失礼ながら私の腹立ちを理解しないようだについ思えてしまう。彼らなりに理解してくれているから協力してくれているとは解っている。しかし。性格や立場を超える理解を得る言葉を私はもてないでいる。たいへんにもどかしい。

自分の立場の根拠
 思えば、そうやって、もどかしいなかで,子供時代から生きて来た。私にとって、今の生活の精神的立地は、例の70年安保の時の紛糾した学園のなかにある。私の世代は学生運動の時代だ。校門から突入する警察官。立てこもる運動学生。やじ馬の生徒もいるにはいるが大半は自分の学校を守ろうとして、まじめに警官に対峙した。当時の私の立場は自分ではたいへん明確で、運動学生サイドでも反運動学生でもなかった。それでも必死で、その両方の考えを理解しようとしたし、出来ることなら和解させたいと思っていた。A新聞記者には、活動家だと思われて、写真を撮られ、受験にまで影響があったようだ。そうやって青春を過ごした。このとき,これからさき、どんな境遇で、いくつになろうと、じぶんに忠実に、日和らずに生きようと思った。そうすることで,両方の集団に入らずに生きていく根拠としたわけだ。唯我独尊というか,我がままというか,自分の信条に忠実に生きることで、両方の友人たちに納得してもらわんとして,その後の生活をしてきたといっても過言ではない。うそをつかずに、正直に自分を納得しながら生きようと思った。当時よく居た,人を乗せといて,含み笑いするような,エセ活動家だった大の親友にたいして,特にそうしなければ,お互いの友情に影響していけないと思ってきた。このときから、自分の信条は、しかし,自分だけで墓場にもっていかなければならないぞとも思ってきた。ところが,実際は,そう思ってはいても、つい周囲には甘えがでる。それが、ことあるごとに、私の真の腹立ちの大きな原因になっている。今回もそうだ。自分を納得させることと、社会的に妥当な解決,というか妥協をみることを両立することへの葛藤。これが私のいきる原点で、生命力の泉だと思って来た。独善に過ぎるとあなたは思いますですか?

解決の方向
 保証のお金で、私は、あたらしいヘリを買い、いままでのつきあいの中で、もっとも信頼できる人物に、自分の機体をまかせることにした。私は、その人物の属する会社がかって私の機体を損なったことをきっかけにして,私はかえってうとまれている思いこんでいたから、先日快諾を得たときは、心底びっくりした。正月ごとに送られてくる彼の、「飛行機の絵」は私の心をうった。人は,実利よりもそういうことが、生活の中では、本当に大切なのだと思う。

さて、ご意見があれば、たいそううかがいたいものです。(02.03.22)



→もどります(御意見メ-ル送りたい方も)