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→前にも意見を述べた。日本の実力は東証株価17000円 為替120円である。現在株かは10000円強で動いている。為替は120円弱で動くから、そのまま、外国とは相応に交換しているが、国の値段が下がっている。つまり、グロ-バル化がすすみ、現金第一の日本も、アメリカと同様株と現金が同じ扱いになったということだ。金=証券の現在は、両者の動きが一致する。そう、10年前と明らかに違う株と為替。今は、確かに両方が一緒に動く。為替との連動も株=カネの原則と同じで国自体がcredit,つまり、株であり、信用であり、金だということだ。昔の偉い大臣もおんなじ様な事行ったらしい。(同じ意味でと言う訳じゃない)
10年まえバブルで株価がつりあがり、それを金があると勘違いした日本。これを「不動産バブル」としよう。かせいだ金は銀行やタンスにも貯めた。で、貧乏人もいたが金をかせいだ奴もいた。金の総量が変っていないが、残ったものが荒れた土地だったから、外国にも笑われるし、日本がひとり負けした感じがあって、借金は重いし、いまもそのツケの払いにあえいでいるのも事実。
 しかし、いまのITバブルの世界の状態から、見直してみる。「不動産バブル」は基本的に「地主」が損をした。日本の銀行、土木建築、それに経営者は、不動産を担保にしたから、金を失った時、残った資産=不動産つまり、生産性のないモノに「1兆円」という値札だけを見て、「1兆円」という金を払ったツケだ。けれど、土地は当然のこる。世の中に与えた損失は、直接ではなく、「風邪をひけばオケヤが損した」格好だ。世間の大半はなんか、うさんくさく感じて自分の汗したお金はタンスにも(ニモ!)隠した。エライ!
 今の「ITバブル」とは根本が違う。ITバブルはデリバティブの失敗だ。将来性にかけて世界ネット化に先行投資したクリントン政権とそれのしり馬にのった世界の株投資の失敗である。金=証券の現在は、バブったらのこるのは紙くずと生活だけ。つまり、それは消費される。とどまっていない。ほっとくとバランスシ-トはどんどんマイナスになる。
さて、土地は、田を耕し、作物を植えれば、自給は出来る。それを「底値」としよう。「1挑円」は底値の「100万」はのこる。対してITのソレは、将来のハ-ド(ソフトもだが、比較のためここでは保留)の充実のため、いま、現に増産してきている。使うモノは、量産されると値段が下がる。つまり十年後の「一兆円」のために、現に会社は、「一億円」の生産設備と「1000人」の雇用を作った。それが、バブったら、10年後に数年残して、「一億円」が消え、「1000人」が路頭に迷う。なぜなら、生産設備=インフラの整備には、ゲンナマが使われるからだ。資源だって使われる。もっと致命的なのは、そこでつくられる「工業製品」のアキレス腱の部分だ。アキレス腱とはつまり、例えれば、「十万円」で開発したメモリは「1000円」になること。大学時代友人が誕生日に買ってもらった十万円のデジタル時計は垂涎の的だったが、今は、ス-パ-のレジで960円で買える。これらの製品は機能が特化してるから、失敗したら捨てるしかない。一言でいえば、「一兆円」の土地がバブったら、等価の現金は使えなくなる。負債は「一兆円」。しかし土地が残る。みんな農民になれる。なれない人は餓死する。戦後を思い出すひともいるだろう。それにさあ、自信喪失のもとはと言えば、アメリカに、「土地の不良債権化」と言う考え自体が、土地を売って「カネ」にかえなくては、とセカされた結果のステレオタイプで、なんでも証券でござれ、金でござれの西欧流思考に毒されているんじゃないか。土地は土地だ。土地担保で金かりて、返せなくなって、土地を二束三文で売るくらいなら、戦後の徴用地見たいに、ベンチャ-にタダで貸して、税金払えるようになってから金に替えりゃいいじゃん。外国人だってきっと来るよ。日本は土地が担保になる数少ない国だ、って主張すればいい。ただ同然の土地だっていう考えだから日本の評価は下がるが、日本の国土がただのはずがないじゃないか。現金化以外の付加価値をつける。それに成功すれば元本すえ置きの利息返し位は数年でなんとかなる。「将来性」が今一番、高い証券価値なんだから。
 対して、今の世界事情。ITバブル。「一兆円」のITがバブったら、現金は「一億円」消えるだけだが、資源は消費され、地球は温暖化し、生産品はタダ同然、「1000人」の失業者がでる。しかも失礼な事に「一兆円」の投資で「一億兆円」のユメを信じさせられていることだ。「十万円」のものが「千円」になることは目に見えているのに。これはサギだ。どっちがより耐えやすいか。君はどう思う。
 日本はいまクリちゃんがしかけた経済リベンジ戦争に、敗戦ム-ドがただよっているが、もともと土地を担保に、日本は一億兆円です。と売り出して、百兆円にもどっただけで、人口が数パ-セント増えたのに、デフレのおかげで「ゴ-ルデンリセッション」(アメちゃんのジャ-ナリストが、不況下の去年の都内の様子をみて、この国の人間は、不況なのに、平然と生活をエンジョイして、この感覚が日本を不況においこんだともしらず、と言った。私はテレビで見た。今日の日経にもあった。)このホ-ムでもよく言うけど、どえリャアアホもいるけど、全体に今の若者は面白い。わしゃスキだよ。今はアホに見えても、絶対ヤル。(ダメっぽいのはむしろオジサン。。。)
 いいかい、今デフレと騒いでいるけど、もともとITならものの値段は下がって当たり前。失業率が増えたのはITに乗った会社のリストラの中の問題で(いちおう)、それだって、競争のために、中国や東南アジアに工場を作ったんだから、工場がそっちにうつって主力になって、日本国内に生産者がいらなくなったことを隠す美辞麗句でしかない。つまり、ITでものが安くなり(デフレになって)国内で生産労働者がいらなくなった(失業率が増えた)、と責任転嫁して善良な国人をだましている気がする。
 政府が本気でIT神話を信じて、日本がそれにひた走るとすれば、近い将来日本は巨大な香港になる、台湾になる、それは目に見えている。そこでは、労働者の必要があるだろうか。これでいくのなら、日本の労働者は、中国や東南アジアに出稼ぎに行くっきゃないじゃないか。正直に言えよ!「皆民、出稼ぎ!手に携帯!」とか。じゃあ、いまから、現地で日本人を雇用する準備がされているのか? それは、不可能だろう。だからむかし、手に携帯じゃなく、手に銃をもって出稼ぎにいったんだと思う。
 日本はもうもとにもどれない、とみんな本気で思うなら、ム-ディ-ズが 銀行の格付けを下げても、IMFの査察を受けても恥と思うな。そりゃシゴクあたりまえだ。なにも日本の銀行に口座を持つことが日本人の証、会社の証ってわけじゃあるまいし。もうだいいち、すすんでる日本企業は、自前の金銭出納を市場のコマ-シャルペ-パで調達したり、共同出資している。はっきりいって、日本の銀行は個人業務に特化して、郵便貯金みたいになって。だから、今の郵便局は貯金をやめるほうがよい。
 賢い国民はタンスにしまった金を「証券は絶対金じゃない!」と言い聞かして、隠し続け、のこった土地で農民として暮らす。それでも、ハイブリッドの自動車とインタネットはのこるよ。50年前の1951年当時、今と同じ生活水準でも、自転車と黒電話だけだったんだから。それに欠食児童もいたけど、鍬もあった。生活は苦しかったけど暮らせた。またゾロアメリカとどっかの共産国はまたケンカするから、特需もうまれるかもね。 問題は、我々の頭にすくう「バブル大麻の煙」嗜好だ。いい加減めざめて、次の世代の為に地に足をつけよう。そうすれば、豊かな自然の大地は、恵みの大地にもどる。
 どっかのバカが、あるいはあるグル-プの人たちは、「日本人は反省してばかり居ないで、自己肯定と自信を持て」という。「オレたちゃ、間違って居なかったんだ!」そういう本をこどもに読ませようともする。いいや、間違ってました。
 けど、ごめんなさい、ていう気持ちをもちながらでは自信がもてない、という考え自体が変だよ。会社を潰したからといって、人として暮らせなくなるわけじゃない。おろかなのは、組織が錦の御旗。国民は、まちがってた、と思っているのに、自分が自信なくして、まちがってなかった、と思おうとしている元リ-ダ-たち。
 くっそ-、それで思い出したゾ-! あくせく働いて、休みもないから忘れてると、税金の督促が来る。100円とか200円とかさらに追加しやがる。それで、期日までに払えって? 自分たちは、5億とかの税金を着服してそれでもなお、内部告発がないほど腐ってるのに?そこの事務方の長がエラソウに、記者会見で認めるナンザ、茶番だゼイ。 どうして、留置場で記者会見しないんだ。ゾロ、カッコつけてヒゲなんか生やしゃガッテ。(ヒゲ好きのひとごめん。言葉のアヤだから)なんで、おまえらが、着服するために、十万の税金を一ヶ月カッテに通知もしないで、十万と200円とるんだヨ。だったら、一日とか過ぎたところで、「あのお、税金は?」っておそるおそる電話かけてこいヨ! そしたら払ってやるよ。一人ひとりおんなじ人間であれヨ。どだい、普段オメ-らにこっちの命あづけるしかネ-んだからよ。バカヤロウ!!(01.9.9)


→ショックだった。忙しくしていたので,ニュ-スを見ることも無かった。朝,いきなり例のツインビルへ737か767がつっこんで行くのを見た。思わず手に持っていたなにかを落とした。それがなにだったかどうしても思い出せない。朝の診療は大変苦いものになった。あまりの事ではないか。テレビが例のシ-ンを繰り返し繰り返し伝える。あまりの回数ではないか。「...オ---」という乗客の断末魔の悲鳴が,繰り返しくりかえし,繰り返す。「乗客を巻き込んだハイジャック犯の自爆テロ」とその冷徹な結果。ボルト締めした馬鹿げた高層ビルの犠牲になった人々。うつむいて,スキュ-バの飛び込みのような足の格好で高いビルから飛び降りる黒人男性の豆粒大の映像。ズ-ムしてある映像から,すでに空中で失神しているようだった。ここまでは全世界の,その映像にくぎ付けになった人々とまったく同じ感想だったと思う。私は,素人ながら,パイロットであることが誇りだ。自分のその経験から,「...ロサンジェルス行き○○便が世界貿易センタ-ビルに激突.......」を聞いた途端,嫌悪と冷たい怒りが体中を走った。.....解説を聞くまでもなく,燃料をつんでまもない飛行機を爆弾に使ったと直感したからだ。その後のテレビなどの解説を聞くまでもなかった。それに,彼らを教えた飛行学校の教官の泣きそうな顔。いまでも時々マイクの向こうのその情けなそうな顔が自然に目に浮かんでくる。ホントウに悔しかったと思う。仕事以上に,「なぜ飛ぶか」は,「なぜ山に登るか」と同じだけ,我々飛行人間の生きる証みたいなもの。縛られることが大嫌いで,雲の浮かぶ大空を自由に飛び回る。危険ととなり合わせの静かな時間。おちたらママよ。なんとかなるさ,見たいな生活感。それでも死にたくないから一生懸命操縦する小心さ。それら生きる証を無残に踏みにじられた悔しさだ。アメリカ人も,日本人もない。それこそ彼らだって,あれだけキチンと飛べるんだからもってたろうパイロット根性。それでも,事故でもないのに無実の人たちを巻き込んでぶつかっていく理由。個の喪失を神が促すのか。3年前エンジン部品の故障で死にかけた時,私は確かに神の存在に触れたと思っている。私はヨ-ロッパに住んだし,クリスマスが好きだから,知っている神とはキリストやその父のことだと思っている。友人が僧侶をやっている仏様もキリストやその父と同じような「格」なんだろう。であれば,アラ-の神もそうだろう。その「神」が個=人格の喪失を良しとする,とは,聖典を知らない身で悪いけど,100%信じられない。
 事件から少したって,診療所の秋休みにはいった。正直ホっとした。事件からそれまでの間,どうしても診察がおっくうだった。「風邪っポッチ」でも一生懸命診察して,説明を繰り返し,薬を飲んでもらって,それで生活している事が,とてもアホらしく思えていたからだ。ヒトが「カゼッポッチ」を直そうと一生懸命になっているのに,数千人の人を巻き添えにして,死んでいく奴がいるんだ。アメリカ人も,日本人もいるからか,あれだけの報道の中で,聞き落としかもしれないが,「パ-ルハ-バ-」という人はいたが,「カミカゼ」と言う人間はいなかった。当たり前だ,あれは「特攻」なんかじゃない。断じてナ,イ。普段あれほど,人を小ばかにしているようなアメリカンもキチンとあれは「カミカゼ」ではないと思っているらしいことは,すこし嬉しかった。
 先日,防災と火山とヘリコプタ-の話を小学生にした。その時,スライドで,彼らと同じフロリダで操縦訓練中の高層ビルの景色を見せながら,小学生達に,「...ヘリに乗るパイロットとして,〔本当にくやしい)....」のカッコの中がどうしても歯が噛みしまって,変な日本語だが,噛みしまってでてこなかった。事件から3週間もたっているのに。
 今,人種や宗教を越えて,テロに対する怒りが満ちていることは,死んでいった人々の我々への遺言であろう。特に,人々を愛して人のために犠牲になった,ピッツバ-グで死んでいった,「勇気ある乗客」の遺言じゃあなかろうかと思う。彼は私の大好きな「アメリカンやろう」だ。憎むべきテロ。この事が発端となって,また無実の人たちが死んではいけない。私の大好きなあのアメリカンやろうが生きていたらなんて言うのか。「報復」それは大変難しい事である。必中で報復しなければならないからだ。「まきこんで」はいけない。まきこんだら同じだからだ。同じ宗教のものが裁くのがよい。あるいは,死んだ人たちの代理人がリンチにするのが良いだろう。私はリンチはとても嫌いだ。けれど,これは,司法が理性で裁く範囲をはるかに越えた犯罪だ。どう考えても,私なら「ゴルゴ13」に頼むか,自分でカタをつけたいと思うだろう。これは,冗談で言っていることではない。「目には目を」,程度の事ならば,国際法廷で裁けばよい。けれど,この事件はそれを越えている。死んでいった自称「ジハ-ド」の戦士達も無実の罪の人たちも,そして経済への影響までを考えてタイミングを合わせた冷酷な首謀者はもはや,人間ではない。心をもたない宇宙人であるからだ。アメリカの大統領は,悲しそうな顔をして,これは,「....戦争だ」と言った。それは間違いだ。戦争は国と国との争いだ。そこでは国を愛する人たちがお互いに殺し合った。殺し合っても,平和がくれば憎悪も薄らぎ,許し合い,互いに勇気をたたえることすらできようが,相手が悪魔であれば,それは戦争というレベルの問題ではない。もっと忌むべきだ。もっと忌むべきだ。もっと忌むべきだ。
 今やっと,私は,この事件を冷静に文章にしようとしている。怒りのカオスは自分にも向けられていた。生きていることを否定されること,その非人間性を表現するとしたら喜怒哀楽のうちでは「怒り」だけだろうが,喜怒哀楽は人の常なる性の範囲である。人の感情である。彼らを煽ったのは,明らかに,武器やパワ-ゲ-ムを信じた,国家アメリカの誤りだ。その事が自国の人たちも遠いまずしい国の人々も犠牲にした。宗教の違い,価値観の違いは,正誤で判断できるものではない。そのことが「アメリカ」には判っていない,という,イスラム教徒のある人々の主張は正しい。私だって,アメリカが広島に原爆を落としたことを決して許さない。ホロコ-ストは,ドイツ人や日本人の専売特許ではない。ベトナムでも枯草剤による癌や奇形が多発した。彼らがそれらの人々から,殺し屋として,「アメリカ」という巨悪にたいして,雇われた可能性すらあるではないか。そうであれば,これは確かに,ある意味「聖戦」である。究極の問題は,どうやっても「無実の人」が死んでしまう事だ。真に,さまざまな民族や生き方,それに,価値観を縛らぬままに,「人権」や「環境保全」という「西欧的善」でそれ以外の価値観を「悪」と決めつけないで,共存する地球監を地球人が持たないかぎり,テロという「必要悪」も報復という「必要悪」もこの世界からは消滅しない。この不況も,この先の見えない戦いも,すべて,我々の信じてきた価値観が限界に来ていて,人の英知が,あたらしいレベルに進化しないかぎり,我々旧人類の世紀末は確実に足音を立てて近づいている。神はそれを試されている。 追記:ざっと読み返すと,ヘンな文章だ。こうしか,書けなかった。けれど,怒りは伝わるだろう。心からおくやみを。(01.9.30)


→テロがどういう意味を持つか。突然無実の人の命を奪い、その人の周囲の人を悲しませる。残るのは恐怖だ。テレビ映像が瞬時に世界中に流れるようになってからは、各地で散発的にそのニュ-スに触れ、短い怒りを人の心に植え付けて来た。宗教戦争を続ける英国とアイルランドの人々は日常に知っているのかもしれないが、我々日本人には、それは短い怒りだったような気がする。ドッグイヤ-的に急変する文化や経済活動の中で、それに人は慣れさせられてきた。金持ちの戦車や飛行機に対して、貧乏人がプラスチック爆弾や自爆で応戦する。わしゃ忙しくて、かまっておられん。そういう図式だった。
 それが今はどうだ。西欧世界が謳歌してきた経済の繁栄をテロが壊滅しようとしている。3世紀にでたモハメッドは、キリストに次ぐ、最後の聖なる預言者ではなかったのか。キリストが生まれる前後にブッダも生まれている。似たような時期に産声をあげた、人々の神は、その伝道の路すがら、互いに影響を受けて、三大宗教を発展する。もともと一つの神格かもしれない神。その神を巡ってのみにくい人の争いが始まったのである。どちらかにつけ!傍観者はそう言われている。アメリカは努めて言う。それは、宗教戦争ではないと。けれど、少なくともシ-ア派の人々はそうとらえているように見える。それも予測がついたことだ。偶像崇拝を忌み嫌うもの同士の骨肉の争い。相手がそうとらえているとしたら、それを表に出さない米英の戦いは自分たちの神をないがしろにしているようにも見える。
 なんのために戦うのだろう。無実の人を殺されたからか?初めはそう見えた。しかし、テロは報復に使うものだ。60年安保のころのベトナム戦争で、アメリカは負けた。それに勢いづいたソ連が70年代最後にアフガニスタンで戦争をはじめ、結局負けた。二次大戦後、二大軍事大国はあいついで、自国への過信からゲリラに負けているのである。大量殺戮兵器では民族愛や神への愛は消し得ないのだ。最悪、もしテロを行う側が核爆弾を使用したらどうなるか。間違いなく、地球は破滅する。パキスタンではすでに、核実験に成功しているのである。扱える人間が傀儡政府以外にいないと誰が言い切れるのか。テロへの戦いとして始めた今度のアフガン戦争も結局は宗教戦争という形をとらされ、元が同じかもしれない神のもとで、愚かにも兄弟げんかの末共にほろびるとしたら、おろかとしかいえない。有りうる唯一の戦い方があるとしたら、それはあくまでも、目には目をという正直な怒りのなかで、無関係の人を巻き込まず、行為者のみを抹殺するべきだった。殺人はあくまで殺人だからだ。殺人を許すいわれは、神にも人にもない。5年かければ、それこそ得意のITを駆使して、アメリカには出来たはずだ。それなのに、どんどん宗教戦争のワナに陥りつつある。どういう結末であれ、宗教戦争の最後に、一方が他方を正義の下に裁く図式は、恩讐を残すだけだ。それは果てしが無い戦いだ。イスラエルとパレスチナも壮絶な戦いに入った。イラクとアメリカも探り合っている。我が首相はそんななかに、違憲を承知で飛びこむと言うのだから、気が知れない。
 例の日本人に独特の平和ボケがここでも顔をだす。自衛隊が参戦しても、テロ攻撃なんかうけないさ。もともとアメリカが始めた事で、我々はウンと言わざるを得なかっただけだと。しかし、もう始まっている。考えてみよう。アメリカでは今、炭疽菌が生物兵器として使用されている。私は日本の狂牛病もそれではないかと疑っている。炭疽菌は人から人にうつらないから、草の根忍者のように敵地に深くはいりこんでいるモスリムやイスラムに適している。その性質はプリオンもそうである。感染性のつよいエイズや出血熱などのウイルスはそう簡単には使えない。それに、肉を食べる人々は、イスラムではないからだ。我々はキリスト教徒でもないのに肉を食む。海彦と山彦の昔から、魚と芋とコメを食べて来たのに。いまや、1億総成人病だ。
 報復と存在の表現を中心とする、自虐的行為だったテロリズムはいま、組織力をもって表の世界を壊滅しようとしている。世界の経済力が減速しはじめたころ合いに、世界のグロ-バル経済の象徴を破壊し、肉と血と脂にまみれた、筋骨隆々の反イスラムの人々の食生活を奪う。精神や精進といった、自己犠牲を伴う生き方がいま、自己実現と高コレステロ-ル血症の成人病型欧米型生き方に最後の戦いを挑んでいる。まさにジハ-ドではないか。大統領をやりそこねたと言う人もいる。バカらしい。考えてみよう。彼らがそんなことをする価値が彼のどこにある。かれらは確実に世界貿易センタ-を狙ったのである。戦いの一方の人々は、神の自己犠牲の上に人に生きることを許された。それは、彼らが選ばれた民ではなかったからではないだろうか。一方の人々は神のもとに純粋に生きることが、人生そのもののようだ。戦争の目的が、戦争が終わり、平和が来ることであるとすれば、どちらが勝つかは、一目瞭然である。すでに書いたように。なぜなら、彼らは選ばれた民なのだ。選ばれなかった民に勝ち目はない。
 さて、選民でもなく、非選民でもない、残った人々は、諸行無常の故に、弱い存在の故に、ひるがえって淡々と生きることを許されている。日本人もそうだ。あるいは、他の生物のように種の保存の上に生きている人々もいるだろう。それのどれであっても、ヒトが生きること自体の否定はされていない。そう、唯一(であるはず)の神は、人が生きることを否定していないと思う。神の褒め言葉が欲しいためでなく、同胞、友人の愛を獲得するためでもなく、自分が自分の人生を完全であろうと歩む。その姿が周りの人に勇気と感動を自然に与える。それがいま一番大切で、しかも残された唯一の存在証明であることを、我らがイチロ-は教えてくれていると、私は思う。だから、テロで悲しいヤンキ-スファンもイチロ-を讚えるのである。今、日本人はそうあるべきだと私は思う。私もそう生きたい。(01.10.21)


→私たち,地球号の乗組員は今,我々の銀河の曲がり角にいると思う。我々は我々の精神を圧迫する問題を解決するために,問題一つ一つを単純化する必要がある。
 まず最初は,アフガン問題とパレスチナ,インドのテロのTV放映である。それらは恐怖をあおる。我々は見るばかり。何も出来ないんだ。それらは,守備範囲を越えている,と思いながら。私は無力で無知だが,真実を知りたい。何が本当なのか,made in USA のビデオではなく,もっと,合理的でリアリスティックな本当の事をである。我々に必要なのは,一方的な民主主義の叫びでもプロパガンダでもないんだ。一体何が起っているのか!なんで,ニューヨークは,イスラムの過激な自分の首を平気で締めるようなグループに狙われたのか。かれらは,それを聖戦とよんでいるんだぞ。テロ行為は,本質的に「復讐」であることを深く考える必要があるね。それがなぜ対アメリカなのか。それは,宗教戦争とも違うようだ。第二次世界大戦で兵士は機関銃を持った。かれらはそれで敵を撃った。原子爆弾が無垢な赤子や犬の上で炸裂した。今も同じだ。そこには,いつも銃が,あらゆる種類の平気が存在してきた。兵器が平気で隣人を襲うんだ。この数世紀,人間の知能は全然高くなってない。このことが,すべての問題の唯一の理由である気がする。アフガン戦争もパレスティナの戦闘もそこに最強のガンマン,最強のチカラとカネを使った,グローバルな正義?をかざすアメリカの鋭い顔がある。
 アメリカは言う,「僕たちは君たちを正義のもとに,罰する。」けど,正義とは彼らの正義と同一なんだろうか。環境問題や,ミサイルの問題とかになると,絶対わがままに振る舞う癖に,こう言うときは,みんな君が間違っているって言ってると言えるんだ。グローバルな資本の価値というのはあるんだろうが,グローバル正義なんでのがあるとは思えないな。あるものの正義は,べつのものの不正であることもある。アメリカはもっと他人の良心を信じる努力をすべきだと思うね。そういうと,彼らはもちろん,アメリカとはあらゆる民族が存在する事だという。私は,それが,アメリカの唯一のグローバル正義の理由であることが,とても悲しい。それらの人々はそれぞれの民族の一部に過ぎないのだから。おっと,誤解を恐れてここで断っとくけど,私はテロリズムを憎んでいます。これはたしかだ。
 第2の問題として,日本の経済問題はほんと深刻だと思っている。ほとんど悪性の慢性疾患のようであり,しかももっと悪くなっていくようだ。われらが首相は,国民を出口に導くと言うが,仲間もなく,ほとんど裸の王様のようだね。我々も今は好むと好まざるとにかかわらず,唯一,金のみが,今の行きすぎた資本主義の司令官なのだと言うことを知っている。われわれは,テレビの前に座って,彼が破滅し,”アリャ,やっぱり,失敗したか”と言うのを待っているようだ。それが最悪のシナリオだ。世界大戦後日本は金を儲けた。利権の構造が強固に作られた。それと同時に,楽観的な大衆主義も固められたんだと思うね。その二つは今に保たれた。武士と悪徳商人庶民の戦いの構図とおんなじ,と言うわけだ。この頑固なステレオタイプが深く,日本人の心に染み込んでいると思うんだよ。このステレオタイプが現在の日本のデフレの唯一の原因であると私は思っているんだ。
 我々は隣人を愛し,町を愛す。こう言う心が経済的理由より勝ったときあたらしい市民が生まれる。価格は我々が保つ。このトマトは一キロ100円でなければいけない。150円でも50円でもいけない。こういうバランスのとれた経済的,政治的 メンタリティのみが現在のデフレの出口を発見出来ると思っているんだ。日本の労働者は,毎日職を失っている。かれらは言う。それは基本的に経済のインフラが弱いせいだと。例えば,大銀行の巨大な債権の問題。この何十年かのバブった,不健全な国や会社の財務状態のせいだと。しかし,本当かなあ。我々は毎日,稼ぐために働くわけだ。お金がわれわれを友人より豊かにしてゆく。つまり,お金はまた,社会のグレードというか,お互いの富の順番を作っていくわけだ。これが資本主義なんだと思う。アメリカは富,アジアは貧困にとどまった。日本は金持ちになり,アフリカは貧しいままだった。けれど,だれも貧しい状態にとどまろうとは考えない。だから,お金持ちになるための競争だけが,さらなる良き生活の手段って言うわけだ。サクセスストーリィ。最後の大戦でアメリカだけがお金持ちになった。けれど,メンタリティは疑問符がつく。なぜなら,つねに,アメリカは,パワーゲームをしているように見えるからだ。
 さて,「日本とは何だ?」我々はクリスティアンでもイスラム教でもない。われわれはスローに成長し,比較的富んできた。スロー?20年前ならだれもそんな風には考えなかったよね。我々は混とんとしていて,ファジーだ。我々は何一つ自己決定しない。我々はただその力を小さな,臆病な生活を保つことだけに使う。けど,フツーのアフガン人は,きっと我々とおんなじだ,そう私は信じている。かれらは,そのちっちゃな財産と愛するこども達をお守りくださいと彼らの神にお願いする。そして,それは,アメリカのフツーの人たちもおんなじはずだ。愛すべき女性たち,元気な子供たち,ナイスガイ。私がうつくしいメイン州でちょっとの間過ごした時,私はそれを確かにみたんだ。だから,われわれ,って言うか,フツーの市民レベルでは,我々もアフガン人もアメリカ人も良き友人であれる,というのは確かなんだ。
 そればかりか,軍隊のレベルでもそれはある。例えば,アメリカ海軍の潜水艦がバカをして,日本の若い海の男達を殺してしまった。彼らが,おぼれ死んだ日本の若者を捜索している間に,彼らの仲間が愛国心にかられて,ニューヨークとアフガニスタンで作戦を遂行している間も真摯に捜索活動を続けたんだ。彼らはきっと,フトンの中で苦しみもだえたに違いないんだ。われらにとっては,資本主義も,グローバル主義も,金も力も新しい世紀には無力だ。このことは汝はしるべし。アメリカよ。お互いに、その人たちが敵国内にすんでるからというそれだけの理由で、武器で殺してよいはずがないじゃないか。(著者の最愛の家族にして、障害を持ち且つ現在脳浮腫に対して、聖なる神と共に戦っている、お知しらせマリちゃんより。01.12.16)



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