Excuse me! This page is always Underconstruction!




→今日は趣向を変えて,私のヘリとの関わりを簡単(でもないが)に御紹介したいと思う。
 1990年にフロリダの木村アビエ-ションでレシプロ単発回転翼(往復ピストンエンジンを一つ使用したヘリの事)の免許を取った。
 今は亡き木村さんは,私より一つ年上の昭和25年。八戸に生まれ,岐阜に住み,フロリダの自宅とを行き来する生活をしていた。倒産の憂き目から,何か「飛びたい」と考えていた自分には,彼の生き方は一つの理想だった。すこしまぶしくもあった。もともと空が特に好きでも,航空機が特に好きでもなく,むしろ,灯台の階段や屋上の下が見下ろせる場所に立てない程の高所恐怖症なのだから,ただ,新しい事がしたい,生まれ変わりたい願望がいか程だったか分ろうというものだ。面白いことにこの高所恐怖症は今でも全然改善していない。
総じてとても楽しかった。
 1994年に奥尻でひどい地震があった。私は当時函館にいて勤務医をしていたから,近場出,惨状を目の当たりにした。思いきって奥尻の診療所に手伝いがてら就職しようとした。同姓の町の助役に断られ,思いきり頭に来た覚えがある。このころから,自分でヘリを持とうと思うようになった。 その年の10月,休院中の医院を苫小牧で偶然見つけた。小学校の5年の時,厚紙を等高線に沿ってハサミで切り,ノリで貼る日本地図を作ったとき,いつかは洞爺湖,支笏湖の近くに住みたいと思ったことを思いだした。色んな人の運命や,自分自身の運命を感じる日々だったから,この少年の日の思い出を実行するのになんら心理的障害はなかった。広島と同じく海岸があり,北海道なのに雪がなく,そのころは大好きになっていた空の玄関千歳空港に近いこの地に根をおろす事にした。
主にこれは運命だ。
 翌1995年の12月,約10年も一緒に苦労を共にした,北海道島に流れ着いた同志とも言うべき二人目の妻とどうにも上手くいかなくなった。一人身淋しさに,ヘリを持つ夢を現実にしたのである。これが決定打となり,別れる事になった。栃木の川田工業に出向き,同社の練習機として使用していたJA7804を手に入れた。当時1723時間飛んでいて,なんと600万だった。TBOまで250時間余り。年50時間として4,5年持つというのはとても魅力であった。同時にこれで,一次防災ヘリ,つまり,医師が自分で操縦して災害地に向かう,民間のボランティアヘリを始める事にした。いまでも私は,大金をかけて,専門のスタッフをそろえ,時間何百万もコストをかけて1人だけ連れ去り,のこりの大勢の被災者を置いてきぼりにすることに専念するEMSヘリ(救急ヘリ。搬送をする。下記2次ヘリとほぼ同意)に批判的である。これを言うと関係者はそろって無視するが,のこされた人間の身になってみろ。それは両方,つまり一次ヘリも二次ヘリも必要なのだ。こんなことは分りきっている。それなのに,相変わらずEMSつまり二次ヘリばかりが話題に上る。防災ヘリじゃなくて,救急ヘリになったと喜ぶ自治体もあるようだ。名前が変わったからといって救えるのは一人だけ。と嘆いていたら,なんと去年苫小牧の市長が始めて公人として理解してくださり,私は市の土地の「民間防災ヘリ」の文言を持った借用書を手にいれた。たいした人だ。理屈だけで動いてくれたのだから。今度再選された。良かった。
当時から5年,この考え方はいまだ受け入れられていないが,それでもスコップで砂を掘るような手ごたえが,辛抱強く繰り返す内に,いつの間にか,砂の戻りが減り,掘った底が見えるようになったのは,総じて大変うれしい。
 1998年10月,そろそろTBO(それ以上飛べない,ヘリの総飛行時間。R-22は2000時間)の前になり,メ-タは1923時間を示していた。7804で200飛んで訓練も進み,オ-トロ-ティションも,機体はダメでも生還出来る所までは自信がつき,7804を売ることを考えたいた矢先,事故が起った。エンジンガバナ-を入れたまま,姿勢だけオ-トロ(エンジン出力を使わない竹トンボ飛行)のエントリ-(開始)を取ったトタン,ガバナ-(エンジン回転数を一定にする装置)が故障した。急激にエンジン回転,ロ-タ-(回転翼)回転が10%以上急上昇。回転翼は,フラッピング(バタバタとトンボの羽の様な動きをすること)を繰り返しながら高度が上がり翼端にヒビが入りヒンジ(回転翼の固定部分)には傷が入った。ガバナ-が運良く機能を回復しなければ,つまりあと30秒も滞空していれば,確実に命がなかった。神に感謝。  これで,運が向いた。当時は医療法の改悪で収益が悪化,加えて,それまで順調だった分,税金が一年遅れでやって来て,青色吐息だったから,7804全損の保険金のおかげで,生活に潤いが出てホッとしたばかりではなく,それを元手に土地を買い,2軒目の医院まで手に入れることになった。オ-トロで墜落への備えが出来たばかりではなく,急に上昇して場合の緊急手順まで実習できた。まさに,7804様々である。再び神に感謝する。それ以降,私は7804から外してもらってネ-ムプレ-トを大切に祀っている。そのロビンソンR-22 JA7804(R-22は一番ポピュラ-な通常の自動車エンジンと同じエンジンを乗せた2座席ヘリ。JA7804は自動車のナンバ-と同じ)は,今,リビルトされて,オ-ストリアの空を元気に飛んでいるようだ。本当に良かった。
 1999年4月。それまで興味のなかったタ-ビン回転翼(ジェットエンジンを動力エンジンにしたヘリのこと)の限定拡張の為,中国は四川省,成都に飛んだ。木村アビエ-ションで,お金持ちの仲間が練習していた,ベル206だ。当時エアロスペシャル350が中心だったが,なぜかレンジャ-も一機あった。そのtypeIII(一番新しいベル206B)の機体である。大阪のPアンドPというパイロットスク-ルがその提携先の中華民航航空学院と言うのだろうか,中国の民航機のパイロットとメカニックのほとんどが卒業する,名門の航空学校に送ってくれた。確かに教官のT先生は,優秀なパイロットだった。幸い中国語ではなく,英語で訓練が出来たし,フロリダを思わせる気温,日本の中国地方を思わせる木々の自然の中,当時まだ0℃付近の北海道を離れて,久々思いきり空を飛んだ。我に帰った。
 軸馬力(タ-ビンから出た馬力がトランスミッションに伝わる時の馬力)で270馬力もあると,確かにトルクはたいしたものだ。アリソンのタ-ビンエンジンはきっちり仕事をしている。けれど,皆が言うほど,130馬力のロビンソンより,安定しているわけでもない。おそらく,CG(重心)の取り方や,2枚翼のロ-タ(回転翼のこと),ハイドロ-リックパワ-アシスト(水圧によって車のパワステのような効果を出す装置)のサイクリック(回転翼をいじくって上昇と進行を自在にする魔法の杖)の組み合わせから来ると感じられる,急な動さ終了時のキャビンの横揺れが気になる。横にプラプラして,すぐに次の動作に移れないのだ。
 ハエが止まっている。急に飛ぶ,旋回して戻る。今度は横に飛び去る,と言った,自在な感じはやはりR-22にしか感じられない。シュワイザ-269(R-22と同じくレシプロ単発但しR-22は回転翼2枚に対して3枚)などは,アブほどのハエと同じでグズグズとぶ。引き比べて,タ-ビンの206Bは,ミツバチのようで,動さと動さの間に,ジっと羽音を立てるわずかな時間さえあれば,とても俊敏に飛ぶ。オ-トロは,自分ではこなせなかったが,恐怖感はない。R-22が何度やっても命懸けな頑張りが必要なのとはえらい違いである。総じて嫌いではない。
 15単位ほど飛んだ。パタ-ンの練習中も,飛行場の草刈りが仕事らしい牛が誘導路をのんびり横切っている。クロスカントリ-の場合もなんと400フィ-トで飛べと言う。分ってはいてもつい500フィ-トまで自然にコレクティブ(回転翼をいじって上昇,下降をする杖)を引いてしまい,T教官がにらむ。だって,民家がある。
細い川に沿って飛び,突然その中洲に降りろと言う。私はこういうのは比較的得意で,フロリダでもハワイでも中国でも失敗こそしなかったが,ほんの数メ-トル四方の丸石の転がった芝生に,水くみのおばさんや,水遊びの5-6才の子供がロ-タの下降流を受けて腹と髪の毛がは旗めいていてもなお意に介さないおおらかさは,先の牛の群れ以上に神経がピリピリした。なにをモタモタしている,といった教官の目付き。モタモタの原因が違うんだよ。けれどこれでよい。
 そう,これで良いのだ,なんで航空機だからと言って,色んな規制や排除があるのだ。小さいとは言え,ロビンソンに比べて格段に立派なベルの機体もこうしてみれば,まるで自動車のように使えるのだ。地域住民とか,航空法にいつのまにか縛られ,卑屈になっていたヘリパイが,本来の使い方を見て,自信が戻ってきたと言うべきか。そうか,こうなんだ。
 自動車もうわさにたがわずすごい。ワ-ゲンとシトロエンとシャレ-ドが目立つ道,路,みち。
少しでもスペ-スがあると,追い越しがかかる。当然のように対向車も同様で,左右の一列の車の隙間を狙って中央での正面同志のバトルが始まる。車もそうだが,道路も基本的にフランスのいなかを思いだす。片側一車線に中央の追い越し車線。ここでは,その車線すらないのだ。そうだ。フランスの田舎をほこりっポクして,ワイン畑を水田に変えればそこは中国なんだ。そう思った。
 それにしても事故を見ない。ドイツでもフランスでもアメリカでも,それに日本でも,これだけの密度の各種交通機関(人,牛車,自転車,トラック,トラクタ,人力車など)が,1/4馬身位の隙間をついていくのに。自分が先に行く,言う意志表示(スピ-ドと警笛)さえすれば,不思議とぶつからない道路社会。人民服の人力車を抜くトラックの前に,超ミニスカの小姐の自転車が横切る,と言った状況をつぶさに判断しながら3速100キロで追い越しをかける中国人民の優秀さは,遊ぶ子供が見えない内からシャロ-(低角度進入)で林の中を抜けて砂州に降りる我が206Bレンジャ-の動きと重なりあう。ヘリはまさに「どこでもいける」機械,自動車は正に,速く走って,曲がって,止まれる「自転車」,なのだ。この国のヘリに一番必要な機能は素早いサイクリックの反応,自動車に一番必要な機能は,確実なブレ-キの動きに尽きる。それと人力。エネルギ-を持った集合体の容赦ない動きは,冷えかかった白色矮星のような日本にどっぷり使っていると,まさに驚愕の一言である。
総じてすごい。
 中国杉のおかげで,久々の鼻炎の発作と耳管の閉塞が起り,帰りの中国国際航空のボ-イング767と,羽田からのA300(だった?)は,ひどく苦痛だった。地上に降りたって3日位は軽い航空性浸出性中耳炎でよく聞こえなかった。特に767は,降下と共に急激に鼓膜の圧迫が始まり,恐らく日本の会社よりも機内圧力の調節はラフなのだろう。今日聴力を測ったら,左右とも普段より5-10dB(デシベル)悪くなっている。鼻炎の薬はねむけが出るし集中力を落す。ほっておくと航空性浸出性中耳炎になる。
 さてもさても,アレルギ-性鼻炎のパイロットは,中国での訓練は,時期を選ぶ事,少し前から小青竜湯でも飲んでいくくらい,御注意申し上げて,筆ならぬマウスを置くことにしよう。(99.4.30)


→ちょっと留守にしている間に,樽前山の火山性微動が8年ぶりに観察されたとか。私の予言?では,7月が怪しい。今ヘリは無いしいろいろ気になります。また,何か分ったら御報告します。今のところ心配はないようですが,早速,数年前作成した,噴火時マニアルの不備なども少し問題になっているようです。(99.5.7)


→現在の世界史を簡単に書いてみる。ア,読者に断っておくが,文献による検索は何もしてないし,私の記憶はヒドイもんだから,全部事実と言うわけではないよ。ま,セミ-ノンフィクションか。みなさんも,ア-ここは違うとか,ウ-これはこうだとか,バ-チャルに参加してみてくださいね。 そして,第二部個人主義の確立--落合信彦氏の言葉から--で,その解決を見いだしてみたい。
「・・・こうして,1945年に日本は敗戦を迎えた。事実上第二次世界大戦はここに終結するのである。日本の降伏の間違いのを知ったソビエトは,当時すでに米国との不協和音が生じていた。よって日ロ不可侵条約を戦勝国としての独断的解釈から一方的に破棄,アメリカの沖縄進駐に対抗して,北方4島に進軍した。その意志に反して,北海道の割譲は幸い他国の反対で見送られた。
 1951年サンフランシスコ講和条約で,これら,連合軍側の利権は確定,日本は平和憲法のもとに戦争を永久に放棄した。このころから英米と中ソのイデオロギ-の違いが顕在化,「東西」の概念が確立,世界は大きく「西側」と「東側」に別れ対立を深めた。双方とも軍拡を推し進めると同時に,朝鮮動乱,ベトナム戦争と立て続けに衝突,いわゆる「イデオロギ-戦争」が勃発した。
兵器の開発競争も「抑止力論理」のもとに推し進められ,広島,長崎に始まった核兵器使用とその搬送兵器の開発のみならず,ナイトロジェンマスタ-ドを始めとする,生物化学兵器の使用,宇宙を舞台にしたマイクロレ-ザ-へ兵器の使用などなど,湾岸戦争までに,第2次世界大戦で開発のほぼ終了した兵器の実験的使用が試みられた。
 日本も1956年頃から,西側陣営への参加を明確にしたため,ソ連の申し出た北方2島の返還の機会を失った。他方,これら2大陣営への合従連衡が,おりからの民族運動と民族的独立の機運を削ぎ,その集団的監視や域内紛争抑止効果から,インドネシア,アフリカなどの独立運動は,果てしない流血的闘争をみずに,無血に近い形で行なわれたため,表面上は,解決,沈静化を見た。このことはしかし,根深い宗教的対立や隷属関係を未解決にしたので,火だねとして残った。尖閣諸島,北方領土,アフリカ諸国の国境線の確定等,領土的解決も同様であった。
 これら,民族的確執や領土問題の残存する一方で,特に西側世界での戦後の社会的,経済的復旧はめざましいものがあった。60年代の自動車,70年代の大型旅客機の開発競争,さらに80年代に入ってからのパソコンを中心とした,運輸,情報,印刷技術の飛躍的発展などを軸に,世界の国々が距離的な障害を取り払って,足並みのそろった工業的発展を迎えた。さらに80年代後半からは,アメリカの軍事技術を応用したインタ-ネットの普及に伴い,西側陣営内では,先進国と発展途上国にすみ分けが進み,それぞれの発展段階によって相互協力が図られ,急速なグロ-バル化が進むことになるが,このことは,共産国家の社会経済的敗北を招いた。アメリカ政府は,その目的のために,M社に独占的利権の行使を許すなど,軍拡による闘争以上に情報戦争が熾烈となった。
 これらを受けて,「冷戦」という2大陣営間の力関係は,自由競争の可能な西側に圧倒的に有利に進行し,ついに1989年のベルリンの壁の崩壊を象徴とする,西側の勝利に終り,ソ連邦の解体がおこなわれた。こういった情勢の中,中国はすでに核開発を終え,しかも,西側の経済特区としての機能を持つ台湾,香港,上海などを有効に利用,融和的社会主義に移行することにより,10億という,世界の16%の人口を背景に,これら東西の陣営から独立した道を模索したため,ロシアほどの混乱を招くことなく,「東西陣営」というタガのはずれた民族独立の機運にもかかわらず,共和国の維持に成功した。このことは,世界の3大陣営の一翼を担うことになった反面,急速な融和と同時に経済改革を急いだため辺境の民族と海岸周辺諸国との経済格差を招き,同時に旧来の官僚体制を温存したため地方の政治的腐敗が激しくなるという両価的結果を招いている。
 90年代に入って,商業衛星利用による情報化の波はさらに大きなうねりとなった。当然のことながら,一足長じるアメリカの軍事的・経済的一極化が鮮明となり,それに対抗するために,ヨ-ロッパは,米英同盟でアメリカと足並みをそろえるイギリスを除いてEU同盟結成を急いだが,このことは中国の融和政策同様,大義が優先され,構成民族の利益を軽んずる結果となり,為替と金利の流動性を阻害し,成長に伴うインフレを抑止することより経済鈍化に伴うデフレを抑制する方向にすすみ,域内の一部の国家を優先させ,他の国家をがまんさせるという危険性などを孕んだままの船出となった。
 金融に場においても,情報化の波が,主に先物取引を中心とした株取引手段の優劣の差異を生じ,2次的な金融の質的変化をもたらすことになった。すなわち,古来の担保中心的金融の在り方から,株,投信など,流動資本の活用を中心とするアメリカ型の金融の在り方が,国家をこえて,グロ-バルに勝利する結果を生んだことは,古典的省庁の縦割りセクトの非効率と国営通信事業のあしかせからが発達を妨げる旧来がたの国家制度を踏襲する国々と,そうでない国々の選別を明確にした。結果として,前者に属するロシアや韓国,日本を中心とした国々の斜陽化が明確になってきた。これらの旧来的金融システムを持ち,且つGDPの大きな国々の斜陽化は,世界貿易の利益の偏在化をもたらし,いわゆる,「ロシアショック」「ジャパンショック」として,アジアの発展途上国をも巻き込んだ,重大な金融恐慌をもたらしたため世界金融機構(IMF)などの介入を通じ,それぞれの国情を無視した英米式金融政策を取らされた事により,経済の復興が依存的となり国家主権が著しく侵害された。
 民族紛争については,東西の壁の崩壊と共に,再び顕在化する傾向が強い。80年代にはいると,ユ-ゴスラビアでのアルバニア系住人の独立運動が盛んとなり,おりからの,アフリカのアンゴラ,コンゴ周辺,南ア,および中東,さらにインドパキスタンの勢力抗争などとあいまって,調停機関としての国連の無力さが浮き彫りになるにつれ,各地で独裁的手法を用いる指導者に蹂躙される事態が生じている。業を煮やした英米を中心とする各国は,世界金融同様に,自助努力を先行させようとする国連の調停には頼らず,NATO各国を中心とする軍隊を持って,空爆を中心とした独裁的指導者の弱体化に乗りだした。これが,湾岸戦争,そして,1999年のコソボ戦争である。
 これらの紛争により第二次世界大戦末期に確立した空爆方式は,ハイテク技術を活用することで,投下爆弾方式からミサイル標準方式に進化し定着した。蛇足であるが,この空爆方式の欠点は,一方の被災側国民を殺戮の恐怖に陥れる反面,投爆側の国民は,流血を膚で感ずることがないことであり,痛み分けを感情的に納得出来やすい旧来型戦闘を変質させ,憎しみを後世に残すものとなっており,弱肉強食の感が強く,数的あるいは,社会的劣性にある民族感情を逆なでする危険性を孕んでいることを忘れてはならない。日本のいわゆるガイドライン法案など太平洋地域でのアメリカ軍援助体制,NATO軍の強化とアメリカ軍主導の体制など,アメリカ一国軍的世界安保体制の確立は,このような全ての面で空爆的側面を持っている。
 さらに,1999年のコソボ戦争は,その歴史的背景から,第1次,第2次大戦に続き,さらに,関係各国の利権の絡んだ,世界戦争への引き金となる危険性を十二分に孕み,例えそれが回避されたとしても,21世紀初頭に生じるであろう,列強各国の経済的及び軍事的疲弊を待ちかねる北朝鮮やパキスタン,聖地奪回を夢見て聖戦を激化させようとするユダヤ教およびイスラム過激諸派の思い通りの構図となる可能性を持っている。さらに,経済的不均衡は確実に進行し,アジア地域では中国の内戦,台湾問題,東南アジア,特に島嶼部での宗教的対立さらに,ロシアの再連邦化,アフリカでの各国の内戦の激化,ヨ-ロッパ連合内での不和増強など,ロシアを含むG8列強の弱体化を招き,経済的混乱のみならず,軍事的混乱を致命的にする事が危惧が,現実のものとなろうとしている。
以上から,あと7ケ月後に迫った21世紀の世界を安定と繁栄に導く原動力は,20世紀型の軍事的抑止,金銭的有意,つまり「金と力」によるpower論理ではなく,・・・・(99.5.25)


→ さて,一旦休憩。ブレイクブレイク!
 先日久々JRで札幌まで行った。我が町苫小牧では,大きな医学勉強会が開かれないから,時々50キロ先のこの200万都市まででる。普段,自動車だと,高速を使って約1時間,特急なら約45分だ。私は多動児だからこの45分が辛い。
 因みにヒコ-キの1時間もひどく辛い。おまけに,自動車だろうが,ヘリだろうが,ラインだろうが,それにJRさえも酔う。もちろん船なんて最悪。それに,御存知の高所恐怖症。とにかく自分で能動的に動かさないかぎり,受動的に動く状態では全て酔うのだから始末が悪い。フライトシミュレ-タ,絶対のるか!ゲ-センの車やバイクでも酔うのに!
 それでも,JRでは,何とか15分区切りぐらいで,短時間の読書が可能だ。で,面白い推理小説なんかだと,ツイ30分ほども夢中になって読む訳で,そうすると,テキメン,トイレに立ったりする瞬間から頭痛,めまい,吐き気が生じる。
 ま,とにかく,キオスクで買ったのがたった124頁の落合信彦の最新作,「黄金の翼に乗って」だった。この,つい最近でたばかりのひどく小さな本に私はくぎ付けになる。なんと,このホ-ムペ-ジの論点・主張点と彼のが同じなのだ。世界を股にかけているジャ-ナリストとして,より研ぎ澄まされ,知的で洗練された文章,さすが,本職だが。そう,彼は,私にとって,「殺戮と絶望の大地」の迫力を感じて以来,関心を持っている作家というか,大ルポライタ-の一人なんだな。彼を米国の傀儡だと思っている人もいるが,それは間違いだな。私同様,個人主義に徹しているだけだよ。
 以下に,彼の本を引用してゆく。そのことは,私にとって,このホ-ムペ-ジの意味を問い直し,補強する事にもなる以上に,21世紀を目の前にして,人類繁栄の唯一の解答だと思えるからだ。ネエ,若者,私が大好きな若者たち,ここいらで本気で考えてよ。

なお,文献は,「翔べ黄金の翼に乗って」:落合信彦,第一刷,集英社,(全124頁),1999.5
以下の文では引用の所は//・・・印でくくっているので,お間違いなく。
 我が落合氏は,この本のなかで,まず,論展開の起点として,例のコソボで,かのユダヤの少女アンネとダブった実在の若い女性とアメリカの高校生のインタネットによるやり取りを例に取っている。そして,人間の尊厳を問うことから話しを始めているんだ。
 そう,「人間の尊厳」,これこそ,今の「疑似平和」=Japan,the virtual paradiceに棲む日本人が忘れ去ったもんだと私も心底思うわけで。つまり,//・・・「誰かの尊厳が傷つけられたら自分の尊厳が冒されたと思え」・・・//と言うことである。この言葉は実に私には感動的に思えるね。
 次なる感動は,//One man counts(ケネディ-の演説から)・・・たったひとりでも何かが出来る。・・・//これが,この本で私には一番感動的だった。私は,自分の行為を上手く表現できなかったが,これだこれだ!さすがだと思うね。ケネディ-の言葉か。知らなかった。これをこれまでとこれからの人生訓の表現に決めた。ワンマン カウンツ!
 この言葉にたどり着いたことによって,いままでの自分の行為が,周囲の人間が思っているような「利己主義」ではなく,「個人主義」であることに自信が持てた。本当は,最近すこし気になってクヨクヨしている面もあったんだ。落合さんありがとう。「利己主義」なのは,私を「利己主義」と呼ぶ方なんだな,これが。多勢に無勢,ではなく,多勢は無勢なんだな,これが。オオ,「多勢は無勢」か,コ,これもいいんだな,これが。
 また,彼は言う。//・・・今の日本人は,ちょうど世界最大のタイタニック号の乗客のようなものだ。破滅する運命に向かっていることなどまるで知らずに,みんなで酔いしれ,小市民生活に明け暮れている。世界のどこで何が起きていようが,だたファッションで受け流すだけで,自分の身には何も起らないだろうと思い込んでいる。・・・// 本当だよ,前にも書いたけど,あのテポドン騒動だって,もう忘れている人いない?私は決して忘れないよ。彼らが我々のジッチャンのしたこと忘れないように。
 さらに,//・・・自分に問いかけてみるといい。なぜ自分は,コソボの少女アドナの痛みを自分の痛みとして感じられないのだろうかと。その答えは,自分が受けた教育にあるのかもしれない。多くを学ばなければならない子どもの頃から,偏差値競争を強いられて「友だちが落ちれば,おまえは受かる」などと教えられてきた人間に,友情をといても笑われるだけだろう。私自身,カルフォルニアの高校生に希望を見いだすものの,日本の若者たちに同じものを見つけることはむずかしいと感じている。嘆いて居るのではない。世界で一番歪んだそのような教育システムで育てられてきたことを気の毒に思うのだ。・・・//
 そう,教育,これは,実に恐ろしいもんだ。実証は歴史という過去でなされるから。科学の理論は,いま実証されることで,いま納得が出来,数値にも置き換えられる。けれど,科学に生きる誰もが,教育の力も信じているのは,まさに,科学者が,超科学的オカルトを信じるのと同じくらいすごいことだ。過去を作るのは教育なんだな。で,未来をつくるのも。人間は,教えられた通りに物を考えるものだという事を事実とすなおに認めた方がよい。そして,自分の考えにも常に疑問と検証をわすれないこと,昨日と今日と明日を常に考えることだ。
 //・・・私が心配なのは,これから生きていく日本の若者たちが,「イエス」とも「ノ-」とも言えない人生を置くってしまうのではないかということだ。若者たちと話しているとまるで石ころに話しかけているような気分にさせられることが多々ある。夢もなければ若者独特のエネルギ-や大きな”馬鹿さ”もない。彼らは,夢の味方もわからないまま本当に何をしていいのかわからないのかもしれないが,人生という戦いの場に参加することを拒否している若者があまりにも多すぎるように思う。・・・// この部分はチト私と違うが,まあ,だいたいこうかね。私はもう少し若者を信じている。甘いかも。
 また,彼の尊敬するケネディ-の演説を予測して,//「一人の人間の自由が侵されたら,全人類の自由が侵されることになる」・・・//と語っている。
 //・・・同時に,いったん失ったら何万,何十万もの人々が血を流さないかぎり取り戻せなくなるのが自由である。どうせ何をしてもムダだと思うのは,自由を失っても仕方がないと言っているのと等しい。・・・//とも語る。これもその通りだと思う。自由とは,なくなってから必ず後悔し,かつ,もうその時点で取り返しがつかない。
 自由,この言葉は今,誤解され,軽んじられ,昔の学生運動のような抵抗もないままに,盗聴法案やガイドライン法案なんかで制限されようとしている。この静かな改悪プロセスこそ実はもっとも大変だ。「自由」の危機だと思っている。
 //・・・本当の自由は個人主義に裏打ちされている。・・・//と明確に述べている。
 そして,ミルの自由論から「大衆に迎合しない人間が多ければ多いほど民主主義は健全である」と引用し,//・・・一方その(個人主義の)対極にあるのが,今,日本を覆っている利己主義だ。保身のために会社にブラ下がり,学校にブラ下がり,新興宗教にブラ下がり,組織にブラ下がり,政治家になっても派閥にブラ下がる。こういうブラ下がりやが日本には多すぎる。ブラ下がりやは逆立ちしたって個人主義者にはなれない。なぜか?ブラ下がって生きていくことしかできない弱い人間だからだ。・・・//と現在の日本を個人主義の対極におきながら個人主義の意義を強く説く。
 結語として,//・・・言うまでもなく,二十一世紀は未知の世界だ。さまざまな艱難辛苦やケイオスが待ち受けていよう。しかし,黄金の翼を持った者にはそれは同時にシオンの地(=エルサレム)でもある。本物の知識武装,研ぎすまされた良心,そして人類の一部であるというコンスタントな自覚,これが即ち君たちの黄金の翼なのだ。・・・//で締めくくっている。ここでのキ-ワ-ドは実は「良心」だと思う。自らの良心なくしては,自他の尊厳は保てないばかりか,感じることすら出来ないからだ。今の若者に対して,落合氏が上記の如くに嘆いているのは,戦後の民主主義教育が,良心を教えなかったからにほかならない。私は,このあたりの見解が少し違っているので,それほど若者への違和感を持たないでいられている。
 どう?このたった124頁の小さな本。これが,第一部の唯一の解だと私は信じている。そして,この落合氏の本を自分のこれまでの生き様の傍証として,大切にしたい。私は,21世紀にも可能なかぎり正しく生きていきたいと思っている。その意味で始めたこのつたないホ-ムペ-ジの意義もなんか急にむくわれた気がしている。落合氏がこのホ-ム見てくれれば幸せだなあ。読者の人もいつもありがとう。一緒にがんばろうぜィ。Dr.ヘリより。(99.5.26)



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