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sentence2804/バーチャル殺人事件 ......

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sentence2804@ 日本という国はどういう国なのか。日本人はどういう人々か。歴史の問題。どの国も自分に都合の良い歴史がある。本当の歴史はひとつの筈だが、すべては国益のもとに変質する。1945年日本は今の敗戦国になった。 その瞬間中国や韓国は勝利国になった。勝利するということは正しいことである、なぜなら正義勝つからである。戦後日本の子供もこう習ったような記憶がある。だから、侵略戦争を指導した日本人は戦犯であり、悪人である。いやいや、日本の精神性は違う、死んだら言いもわるいもない、だから、敵国人であろうと、戦犯であろうとともにまつる、という人々がいる。こういいながらこの人々はそれが神道の精神であるとは言わない。たしかに、キリスト教では「地獄」という観念がある。仏教的思想にも「地獄におちる」という概念があるから、素人目に、現世の良いひとは天国に、悪人は地獄へという分化がなされているようだ。そういう意味で、日本人の精神性は神道にすがるようである、あるいは一歩下がってしんとう的である、とすれば、靖国はやはり、宗教のメッカだ。であれば、「日本人には日本人の精神があり、戦犯だろうと等しく英霊になる」というのは日本人すべて神道だと言っているようなもので、どこかおかしい。イギリス人を合祀してもそのイギリス人は我々にとっては等しく英霊かもしれないが、合祀されたイギリス人はきっとキリスト教徒であり、違和感を覚えるだろう。しかしまた、キリスト教でも仏教でも「死んで救われる」的な逸話も多くあるように思え、死ぬとどこかゆるやかで、かならずしも、表か裏か問われないおおらかさがどの宗教にもある。そういう意味では、我々の「精神性」なるものの主張は、「とにかく戦犯合祀は許されない」というのと同じぐらい狭小で偏屈である。iPodをもった若者は等しく日本人だろうと韓国人だろうと中国人だろうと、同じはずだ。
 偏屈といえば、反日とか米帝とか、いまだに言う人達がいる。こちらにもあちらにも。これもことさらに、闘争心を剥き出しにして時代後れな気がする。私は70年安保の時代だから、それらの言葉を耳にしながら青春時代を送ったのだが,実際にそれらを言うヒトの中に尊敬する人物は当時みあたらなかったと思う。今はその人たちの中に尊敬され、社会活動を営む人達も多いと思うけど、彼ら自身が今の自分を「成長した」あるいは「日和った」とこころ密かに思っているのではないだろうか。時代は成長した。
 さらに狭小といえば、子供ごろしが横行する。こどもをかどわかす、そして殺す。手頃な小学生。まだだませて、力ずくで引っ張っていけて、お話も出来る。子供達と言えば、生きていることに疑いをもっていない生き物だ。必ず明日が来るんだ。彼らは、人が生物であり、生きている有機物である証明のような存在である。そういう生き者をかどわかした上に殺すというヒト型生命体がいる。それはもはや正常な精神でもなく、あまりに狭い概念が力をもった、いわゆる「妄想」そのものだ。
 妄想はvirtual(バーチャル)である。virtualとは英語の辞書によると、現実ではないが、力を持っているものだそうだから、インターネット時代の申し子のように日常的に用いられている。たとえば外敵の侵入に対して仮想(バーチャル)のゾーンを作り、自分側のコンピュータをそのなかに入れて守る、というのがある。Virtual Private Network(VPN)と呼ばれている。実際の壁はないが、ルータやインプットアウトプットの出口(ゲートと呼ばれ22や80などと番号がふられる)それらへのソフトでの制御法などの総合体で、外敵を守る力がある。だから、仮想といってばかにすべきではない。それは、実体は無くとも、実態を打ち砕く力をもつ物。生命を打ち砕く妄想というバーチャルなパワー。
 そういう特別バーチャルな頭脳は、統合性失調症の専売特許だと思われている。バーチャル帝王ヒトラーは、純粋な同胞だけという実際の国家を作ろうとして失敗する。しかし彼は強い躁鬱病だったとも聞く。妄想は必ずしも統合性失調の専売特許ではなく、神経症やうつでも見られる。うつでは貧困や虚無的妄想がおおい。「ハー今月まだ2週間もあるのに、あと2万5千円でやっていけるだろうか。苦しい。おれの人生は全てこうだ。なにをやってもうまくゆかない。死にたい」のように。「特別な出費がなければ、一日。。。。円か、うーん、きついなあ、、ま、なんとかなるか」と、立ち直れない。よどんでします。ただ、まあこの状況ならこう考えても仕方のないことか、のような無理もない状況があるので、理解は可能だ。
 このように、妄想をもつということは、日常茶飯な人間の行動であるが、完全理解可能なフツーの場合から、現実と完全解離したバーチャルな観念の場合まで、誠に幅広いヒトの行動ではある。病的な場合は、訂正不能、自己中心の誤った観念などが特徴だ。時には相手の無邪気な思いやりが、バーチャル人間を馬鹿にすることになる。「今日は早いね!無理するなよ!」「。。なんだと、邪魔だから早くくるなってか?ばかにするな。おれだって人並以上にできるんだ。」とか、「ひとがヒソヒソはなしているのに、影で悪口をいいやがって、いつか殺してやるぞあいつら。」とか。 以前6年生の女子がクラスメートの女子に刺されたのは、インターネットだから、時代を感じて、それもありか、とまあ、了解は出来たが、今回の大学生による6年生の女児の刺殺は、いろんな事件に経験豊富な日経のコラムニストがいみじくも書いているように、まさしく「考えられない」ことだ。まさにバーチャルパワーが女の子に働いた。そして死んだ。理由は聞けば、まあ理解可能だとは思うが、私にはこの青年の鑑定は出来ないと思う。(051213)