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sentence2802/平和,音楽,マルチの輪1(11月) ......

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sentence2802@平和と音楽そしてマルチの輪その1
最初に断っときますが、以下の文章には沢山の参考文献があります。いちいちそれをあげていたら、このコラムの意味がないので、そのうちどっかでまとめて文献あげようと思って出来ません。すみませんが御了承を。アラブ音楽については、ほとんどがYAMAHA出版の「アラブの風と音楽」という若林忠広氏の本のまんま引用です。若林さん、ありがとうございます。
 今回のテーマの曲1: 坂本輝氏のG-major 石丸桃子氏のF-majorを坂本輝氏のモチーフを用いて転調してくっつけた。日本の心。シリアの王女さまがイタリアのとある音楽院で勉強中に書き貯めたスコアを入手。そのひとつに若干ジャズっぽくアレンジを加えた。他のスコアも漸次して、ジャズやラグと3つバンドルで演奏していきたい。
 テーマ曲2:愛と平和のメドレー 西本方宣 ーアラブの一曲 作者不詳 コーディングはおそらくシリアの王女さま 西本方宣 編曲 ー夕焼けこやけ 中村雨紅作詞 草川信作曲 坂元輝編曲 ーTake Five Paul Desmond 作曲   以上です。

◯本文:   イラクやアフリカの戦争ジャズの聖地やパキ スタンの災害。自分になにかできる?アラブ とアメリカを日本が結ぶ。音楽こそ平和の使者ですね。シリアの王女様から贈られた沢山のアラブ楽譜が手元にある。その10拍子とインドの5拍子西欧の5拍子。リズムが思いを結ぶ。音楽が平和を伝える。
 アラブとは何? アラブ語はアラブ人の言葉と誰もがと考えるが、イスラム経を考えるとアラブ系イスラムと非アラブ系イスラムとあり、むしろ非アラブ系イスラムの方が人口が多いらしい。アラブの音楽 アラブ語でモスィークとは音楽。 アラブ音楽は8世紀ごろスペインのイスラム王朝からヨーロッパに伝わったと考えられる。
 まず、アラブの音楽というと、オウドやカーヌーンなどの弦、発弦楽器などの演奏がたまに聞かれるぐらいだが、もともとアラベスク模様のような論理性など持ち合わせ、非常に先進的だった。その特徴だが、西洋音楽のモチーフの感覚はない。旋律もポリフォニーに対してモノフォニー。十二音律ではあるが、微分音と装飾音に重きがある。それに長い10拍子のリズムなどがある。リズムはもっとも音楽の大切な要素だが、それが前面に出ているのがジャズ。今回のハリケーン、カトリーナで被害にあったのは、ニューオーリンズなどミシシッピ川のまちまちが、ジャズ発祥の地といわれているが、その原形は実はバルカンから南欧にかけての中部ヨーロッパ。有名な付加リズムは3ー2拍子(例テイクファイブ)。 これに対してインドなどのアジア型の付加リズムは2ー3拍子。その両方の影響をうけた、アラブでは3ー2ー2ー3となったらしい。スペインのフラメンコは12拍子。その歴史的背景枯らしても、当然スペイン音楽とも関係が深いのだが、拍子の違いは興味深い。
 中世スペインの挿絵にはキリスト教徒とイスラム教徒が仲良く合奏するものもある。大化の改新645より少し前に予言者ムハンマド生誕。宮廷音楽はペルシア音楽により更に発展。イスラムもペルシア人アラブ人による融合や競合の歴史。音楽も宗教と同じく融合と競合の歴史。バクダッドへの遷都以前は、アラブ音楽派モスーリ父子などペルシア人音楽家により発展した事実もある。このように、音楽は現代の国々や軋轢なども想起させ、だからこそまったく曲のいわれも、こういう風にアレンジしてよいかどうか知らずに無礼をしているかも判りませんが、それでも日ー米ーあらぶの曲をいつも一緒にバンドルして演奏してみたい今日このごろでちょっとはじめてみた。その中で、私が興味を持ったのは、伝来する音楽でもメロディーや楽器よりも、リズムの方だ。そこで曲2では、5拍子リズムに凝ってみた。理由は上に書いたとおりだ。ためしに、最初のアサン(と読める?)という曲は2拍子5小節でなんとなく、モチィーフがあるように思えるのは気のせいだろうか。
 もともと音楽理論的には、拍子(リズム)はメトリカルといわれる、アクセントが規則を作って、ずっと最後まで定常的に流れるものがほとんどで、これが私も好きだ、というより、ジャズなどではこうじゃなきゃ手足をフンフンと動かし「ノル」ことが出来ない。といってもクラシックは頭1拍目がアクセントという規則があるが、ジャズにはない。クラシックでも現代音楽では例えば春の祭典のようにマルチリズムなんて、どんどん表紙が変わるものもあるが、私はあまり好まない。ここで、インドの5拍子と書いたけれど、アラブの一曲(たぶん10拍子?)もそうだが、もともとフリーリズムといわれる定量的でない、アクセントのない、分数で表示できないリズムが東洋的、特にインドのリズムだと、本に書いてある。二拍子では、ポルカ、タンゴ、ルンバ、マーチなどいろいろ。三拍子では、ワルツやポロネーズなどヨーロッパ系の民族音楽(踊ることに主眼?)が多いが、5拍子となると限られる。
有名なところでは交響曲悲愴の2楽章のあの急かされるような、それでいて美しく悲しい心が痛むような曲以外は、ジャズなどで好まれる。しかし、チャイコフスキーがそう考えたかどうかはしらないが、あの正確に見えるリズムを実際はメトロノームにはあわない。テイクファイブなんかもそうだが、とくに、自分で5拍子にした夕焼けこやけを自分で初めて弾いて驚いた事だが、美しく聞こえるようにとか、あるいは強調して弾こうとしていると自然にそうなっちゃうわけだ。つまり、それはあくまで、理論的にはメトリカルにとらえると5拍子ということで、多分に4拍子が変化したものだったり、6/8拍子が変化したりするものだった利するようだ。つまりヒトがやると自然にマルチリズムだったり、ポリリズムだったりするわけだ。まあ、分数の世界に心が混ざった感じとでも言うようなもののようだ。悲愴のそれは不安を表していると思うが、テイクファイブの場合は、バーボンみたいなもので、少し酔って表現するというか、ジャズの酔拳みたいなものって感じるのだ。