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sentence2904/世の中自殺や事殺や(0705)  ......

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いろんな事が、何とか会議という名のもとに、例えば偏った教育の方針が立てられてゆく。それが、国会で与党多数ということで、いつのまにか決まり、同じ画面のニュースのなかで、子供が親の首を切断している。まるで、無声映画を夢の中で見ている自分のような日常。これから先の事は恐ろしくて口にも出せないが、はっきりしているのは、アメリカの猿を利用しようとする、ある確固とした意思や、日本にもヒットラーの顔を持つ人間がはっきりと顔を出し始めたという事実だろう。今思えば、ヒットラーとは、武器を手に取る独善者という定義が出来るようだ。本当に恐ろしいことである。そんななかで、私は個人的として生きる意思を再確認しようと思う。間違っているだろうか。皆さんは?
 で、親の首切断で検索すると結構な数のブログなどが目に入る。これの報道は簡単だったし、あまり真実がわからない。けれど、書く年齢によってはっきり、「本人が気の毒」派と「世も末」派に分かれている。沢山あるので全部は見ていないので小数意見についてはわからないが、それらを見ているうちに、フッと思う。人間の頭の重さ。頭の皮が付いた状態での重量は4ー5kgはあるらしい。皆さんは、目は空いていたか閉じていたか。空いていたとしたらそれを自分の指で閉じたのか。首の切断部位に血液は付着していたか、顔は全体が蝋人形のようだったか。具体的にそういった像が頭に浮かぶだろうか。私は医者なので、死んだ状態の人間がとっても恐い。それをもって喫茶店に入り、彼は一体なにを考えて長い時間を過ごしたのかが知りたい。どんなブログやホームページを見たのだろう。
 そう言えば、農水相が自殺したらしい。らしい、というのは、知事さんたちを含めて、殺されたり、狙撃されたり、自殺するひとがおおい世界だからだ。御本人だけではなく、その周囲のキーパーソンの死の報道は大変多い。これは、その人の死が社会化されている事を意味する。「知られた人の死」は、本来の意味での自殺ではない。もっと端的にいうと、虐め(いじめ)を苦に自殺というのは、わたしは「事殺」だと思っている。
 「事」とは娘の辞書によると世の中に表れること・出来事・有様、という意味がある。英語のcaseだ。殺人事件はmurder caseと言う。殺人ということが表れた状態なんだろうと思う。事殺とは、言葉の遊びに、kill case とか訳すと(これ自製英語ダス)、kill himself(自殺)か killed(殺された)かわからない、そんな、自殺とも他殺ともころし(され)方が特定される前の世に表れた人の死という意味合いだ。だからこれを自殺で片付けられちゃあ納得できない。同じ紙面にZARDのボーカルの女性の死が載っていた。これは事故か自殺か分からないとあったが、状況からは自殺で納得できる。彼女は癌だったからだ。娘が大好きなテレビのコナン探偵や、良く見るテレビドラマのテーマで「オ!いけてる」とか思うと、テロップの最後にZARDという文字が目にはいることの多い10何年でした。本当に御冥福を祈ります。
 このように、とっても気の毒だが、納得できる死にかた。全然納得できない死にかた。でも死んだ瞬間からあとは煮ようが焼かれようが、「意識」というものが存在しなくなり、はっきり行って、この世から消え去る。それまでのいろんな足跡、自分なりにがんばってきたこと、めげて悲しかったこと、ひととのつきあい、それが全て、露のように消える。死の顔は、知らず知らず、自分にも迫ってくる。宗教のないこの国は、だから生と死が殺伐としている。
 ところで、このところの出来事で、一番おどろくこと且つ、これら死のケースと密接に継っている報道は、沖縄・普天間基地の問題だ。具体的には、こんど移設する名護市辺野古の海域で行う環境調査に、自衛艦の出動を決めたという記事だ。「安保」を通り抜けた世代としては、沖縄の人にとって、軍隊が人の通常の暮らしにどういう意味を持っているのか、他の世代より分かるようだ。自衛隊を沖縄に差し向けるということは、日本で唯一鬼畜米英に上陸され凌辱されたあの「沖縄戦の悪夢」がよみがえるということだ。しかも、目的の背後に米軍がいることは猫でも知っている訳だから。まったくその言葉とおり、「沖縄戦の再来」になる。
 まったくあの卵あたまのオッチャンは、国家人民の尊厳スレスレの事をやって、その反応をニヤニヤしながら記者会見する。最初の部分に言ったような意味で、もっと武器を持たしてはならない○○の一人だと思う。思えば、そういう人達が仕切っているのが今の日本だと思う。死ぬこと。これ自体は何時かくる運命で、有機生命体の持つ宿命なわけだから、やがて死す、という事、これは地団太踏んでもあきらめなければならない。自分の「意識」の存在期間が、たった半世紀から1世紀の4分の3ぐらいでも、仕方がないことなのだろう。けれど、それが自分にとって納得できるか出来ないか、ここが一番大切だ。「死んでも死にきれない」死にかた。これほど惨めなものはない。
 農水相はだれを怨んで死んだのか。汚職というか、贈収賄というのか、林野庁をはさんで、役人と、天下り先の企業が持ちつ持たれつのシステムのトップが彼だったようだが、私のように政治音痴には分かり得ない、いろんな事情に通じた人ならば、単に年間500万グライの税金の使い込みで始まった追求が、どこに向いたのか分かっていたことだろう。事ここに及んでは、問題が大きすぎる、と判断したのが本人だったのか、ハタマタ他人だったのかは、もう分かりません。この問題では、自殺したのは彼だけではないようだ。ことほどに「事殺」、ではある。正しい究明が必要だ。沢山の遺書の意味はなんでしょう。(070530)