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sentence2902/ノコギリとBarabara(0701) ......

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どうしてbarabaraにするのか? わたしなんか、感染性腸炎の患者さんの吐物や、患者さんの摘便後にカレーライスを食べたりは平気で、つい口にも、「ぺちゃくちゃ。。」気がつくと、奥さんにニラまれて、やめて!と叫ばれる。が、死体だけはどうも。患者さんがなくなったりして骸(むくろ)になってしまうと、テレビドラマでよくやっているように、亡骸に取りついたり、いわんや撫ぜたりしながら家族がなくシーンがあるが、あんなことはとても出来っこないほとに意気地がない。そもそも生きた細胞と死んだ細胞では手触りがまったく違い、「三途の川」のこちらとあちらを厳然と感じさせられるからだろう。だから死体を、特に首から上をノコギリ、それもそのへんのやすものの木工用の、鋸でひいて切るなんてこと、そういう行為が可能なこと自体がよくわからないでいる。
 行為者が集団ならある程度わかる。誰かが始めれば、残りのものは手伝わざるを得ないからだ。鮫は死ぬとすぐ、細胞からアンモニアがとけ出てきてひどい匂いがする。だから、サメの腐った匂いがしてもドアを開けるなとか、実際にそういうニオイが、だいぶん日が経ってからして漂って気づくとか、そういうことが、さも「自然の成行きのように」行われていくことが理解出来ない。というか、たぶん,大多数の医師はそうじゃないかと思う。法医師やそういう仕事の方々は別として。
 まず、理解できないということを大前提にして、すこしこの現象を考えてみようと思う。まずは、ゲームの様に、リセットしてもまた生き返ると思ってるんじゃないかという軽薄な理屈についてだ。この手のさも時代を読んだかのような軽薄な理屈にはついていけない。第一、発覚直後の警察なんかの質問に、「反省もしてない」と話すほどに憎悪している相手が、間違ってリセットされれば、今度はやられるのは確実に自分だ。ありえない。
 私は基本的に、日頃から怨んでいるから他殺、または自殺という考え方には、どこか思考の促通からいうと、「不自然さ」があるように思っている。つまり、ミエリネーション(神経細胞同士の合目的的接続)的にヘン。それは家族間であろうと不特定多数であろうと、さらに言えば、犯人の口から(自殺の場合は遺書があるにせよ)怨恨による自傷他傷の確信が得られた場合にさえ、不自然だと思っている。
 最近ネットサーフィン(ああ、、なつかしい響き)をしていると、精神疾患についてのホームページがすごい目につく。悩んでいるヒトが多いのだろう。さて、そのなかで、nifty のgatagotoというサイトに統合失調のページがあり、とてもよいことが書いてあった。統合性失調とは「自分が弱まった」状態だと言うのだ。言い得て妙だと思う。自己と非自己の風船がくっついて暮らしていて、じぶんのふうせんが縮まった状態とでも言おうか。。まこと、したりしたり。ところで、旧分裂病は多遺伝子性dopamin(ドーパミン)分泌異常症と考えられている。(本当はもっと多因子ではある)この事は、いわゆるメタボリックシンドロームがインスリン機能不全症(これももっと多因子ではあるが)とおおまかに言えるのと同様に説明されている。(というか、なんでもかんでも単純化が好きな方々の誘導と言おうか。失礼!)
 さて、このドーパミンは神経細胞と神経細胞の間隙(シナプスという)から放出され、おもに脳幹(黒く見えるから黒質)に多く集合するドーパミン放出系の神経細胞で多く作られている。エンドルフィンなどと同様の、脳覚醒物質だ。
 私のなくなった父は、これを抑制するGABA(γアミノ酪酸というアミノ酸)の研究を障害やっていて、患者さんの血清のアミノ酸組成をデータ元に側鎖アミノ酸食を実際に患者に多くとらせ、某アミノキサンとか某ガミベタールとかを武器にして、その効果をてんかんの発作回数や旧分裂病患者さんの行動の観察をしていた。彼のデータは、満足出来るものだったと評価している。わたし自身はと言うと、これらひとまとめに覚醒、抑制物質をストレス免疫と結びつけて、そっちに走って今に至る()が、これらの物質はもともと外界刺激に対応する広義のストレス系関連物質だ。だから、ストレスの法則に従って、まず、1)びっくりして(ショック期)、それから2)雄々しくたちなおろうとし(抵抗期:つまり覚醒物質が沢山でて)それから3)力尽きて(疲労期:覚醒物質が枯渇して)それから(もし成功すればだが)、4)hogehogeするわけだ。これは人生そのもので、人間も覚醒期(50代まで?)はアドレナリンやら、ドーパミンが沢山でて頑張って、それから加齢に従って減少してゆく。減りすぎるとパーキンソン病や老人性痴呆となってゆく。もちろん、シナプスに作用する神経伝達物質のたったひとつだけで、高次の脳機能を同じ皿に乗せて満足する趣味はわたしにはないが、最近のトランキライザー、というか、主に非定型性抗精神病薬の使用例のいくつは、「確かにそうかもな、、」と思わせる所もあり、精神活動の大きな生化学的舞台であることは間違のないところだ。
 ところで一番大切なのはhogehogeの部分でストレスの最終章の部分である。実はストレスは、「まけて」終わるのではなく,「あるがまま」に再出発するのである。終わりははじまりなわけで、これは、精神科的治療の最終段階でもある。この事に関しては、病因が内因性であろうが心因性だろうが、「あるがまま生きる」ことが治療の大円団。ストレス学的見地ではストレスからの開放であり、精神科的には精神の開放なわけだ。病気からはなれて我々の日常のなかでも、このことは矢張り一番大切なことである。それなのに、ヒトを切断しちゃっちゃあ、それで終わりだ、終わり。「あんたは終わり」を宣告する法律という壁があるからだ。この「法律の壁」がなければ、人もだだのヒト、ドウブツなわけだ。(わんや、ニャン、たとえだから、失礼! いやいや、「ドウブツ以下」の間違いでした。)つまり、最近テレビを賑わす彼らの行動は、ストレス2段階めでカテコラミンが出過ぎて暴走する分けではなく、ストレス3段階めで、カテコラミンが減って自己が弱くなり、「hogehogeに殺サセラレタ」わけだ。彼らの行動は、法律のゲットーに暮らす人間社会からの開放(逃避?)なわけだな、これは。おっと、このコラムの出発はどうしてbarabaraにするのか? だった。そう、つまり、理由は法律のゲットーにすむ現人類が、ストレスや病気により、免疫的には、MHC遺伝子(自己非自己認識に係わる遺伝子群。ヒトでは移植の時に問題になるHLAなどもそう)の発現異常、ストレス学的には3)ちからつきて、精神科学的には「自己」が弱った状態になると生じる逃避行動かもしれないということだ。
 キリストの罪を裁くだんになり、当時のユダヤの支配者だったローマ帝国のピラトは、「私はこのヒトに何ら死にあたいする罪を認めない。ついては、開放してほしいか」と群集に問う。祭では恩赦が一人みとめられていて、ちょうどそのとき、暴動と殺人の罪で入獄しているhogehogeと言う人物がいる。民衆は、キリストではなく「hogehogeの方を!」と叫び、ピラトはさじをなげる。その悪人hogehogeの名は、バラバ(Barabbas)と言った。なにか悲しくなる。人から叡智が抜け落ちる今日このごろの正月だ。..うーん、わたし自身がヤラレタようだ。なんだかdopaminが過剰になってきたのかなあ。幻覚ついでに。。
去年の暮れに恩師の「さかちゃん」が無くなった。サカチャンは生命倫理の大家で小児科、医師会の副会長とか、人間科学大学の学長なんかもしてた。無くなる前に、遊びにいってうちのカミサンと禁じられた酒をのんで上機嫌。また来いよと葉書をくれた。絵はキンノミフウチョウのツガイ。いわゆるパプアニューギニアの国鳥の極楽鳥だ。彼はクリスチャンなので、極楽(仏教)じゃなくて天国のイメージでしょう。実際西洋では bird of paradiceと呼ぶらしいから、その直訳どおり,天国の鳥だ。しかし、さかちゃんのくれた鳥の絵にはちゃんと足がある。。うーん、我が師匠の深遠な哲学問答にはいつも答えられなかったahoの自分が、トリあえずこうは言ってあげられるかな。ねえ、若い人達。
Barabbara(?)、つまり悪いhogehogeに人殺しをサセラレルより,君を「あるがまま」に歩かせてくれる良いhogehogeがみつかるまで、あきらめないで生きようよ。みなさん、今年一年もよろしく!(070118)