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sent37-01308131706/松島レポート3(1308) ......

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●その後のこと
あの瞬間から日も経ち、2年がすぎて、まだ、避難所生活の人々がとりのこされている。東北ならではのあるいは漁師ならではの共同生活の助け合いが出来るから、現在のところあまり孤独死などは問題になっていない。医療的には、医者もいない。けれど、過疎の部分での患者も減っている。復興にむけて、区画は整理され、がれきは、処理場で燃やされている。後には、なにもないという感覚が地元の人の印象になっている。人の生活は、当然、被災地していないところで再開され、どのホテルも援助的仕事の他所の人々で溢れている。医療は、残った診療所が一時2時という通常の業務のなかで吸収していて、石巻などは、仮設の診療所で患者を見ている。人々の生活が落ち着く頃には、あたらしい市立病院もできるだろう。ここで大切なのは、交通アクセスだ。仙台という大都会を後ろにひかえて、高速道路網が大変整備されているが、これが利用できるところは、通常の患者外来が増加した程度の変化のようす。福島など、被災者が、怪我などなく、健康体の場合は、通常の患者を、区域解除となった地域の別の地域の医師が見る体制となっているが、これが、指定解除となって人口が増えれば、その構成員としての医師がみるかたちになるだろう。つまり、復旧するだろうけれど、今見るに、その可能性よりも、復興へ進む様相である。 問題は、漁師だろう。漁師はうみからはなれられない。それは、この最初にもあげた、緊急報告の最後にも書いたように、その場所での復興ということになるだろう。決して逃げられない運命。海からの災害。災害が運命でもある生き方。戻ることにお金をかけるか、新たにするか。南の島モジディブ島ではないが、日本自体がやがて借金の海に沈んでしまいそうな時であるので、それは、後者の方が日本全体に希望を与えるのはたしかだ。けれどそれでよいか。伝統的な林業や漁業というものもまた、その国の生活や文化なのだろう。海彦、山彦ではないが、豊かな山は、豊かな海を育み、豊かな山や海が人の生活を育む。縄文にから現代までの人の生活圏は、また、自然のものどもの生活圏でもある。そのような連鎖のなかに人の生活は守られたので、貝塚や遺跡は、時代を超えて重なり合う。私の好きな、風野真智雄の文の一説にもそうあった。そこに住めない、というほどの変化がどれほど、辛く醜いものであるかは、もっと人の知るところとならなければならないような気がするのだ。
●0130722  さて、長くなったがレポート第一回のここまででのアセスメント。
 やはり個人であくまで個の医師として自分を全うするか、システムの一部であることの2通りしか選択できない。このことは、最後に他の医師の意見を述べることでくり返されるが、私は、前者つまり個人の医師として動いてきた。一人の職業人としてのボランティア精神というわけだが、なかなか壁がいくつもあるものだ。  草の根の「草」と言う言葉をご存知だろうと思う。この言葉が、実はボランティア精神とよく合う。元来、草とは、 忍者が、素性を隠して各地に潜入、一般人として溶け込み生活しながら目的の遂行をすることだったはず。以下、この言葉は、そういう意味合いで使用する。東日本大震災で大きな被害に遭った岩手県宮古市で、地元の若者たちのボランティアグループが活動を始めたとあった。ボランティアと言うと外来のものの特権のような感じがあるが、地元のボランティアを自分たちで育めるようになれば、かれらの気持ちの上での復興が始まったのだ。ごみ拾いや、こどもの心のケアなどをする宮古のYさんなどの例もふえ始めている。FaceBookを眺めてもこのあたりのところは容易に読み解くことが出来る。一人一人の力がすこしずつまとまり始めた。世代に関係なく。
 そういう意味では私は、あくまで「他所の」個人の医師として活動するわけだ。一人の職業人としてのボランティア精神だが、個人だから装備はかるく。ただし、医薬品など量があるものはそれなりの蓄えが必要になる。使用できる量の把握。これらは速やかに実効できる。
 打破困難な壁がいくつもある。行政、法人としての医師会の壁、費用の壁。もっともっと流動的に、個人の資質を相互に流通出きるような仕組みがいま求められている。例えば、仮称「危機管理診療所」。普段は通常の診療所で、有事の際には、医師免許や看護師免許など、資格さえあれば、仕事ができる箱物である。患者さんの殺到するところは、ハブとなるところ、サブとなるところを分けて、地勢的に、つまり被害状況に応じて、余剰人員の交代で時間的短縮を考えて、つまり24時間にならないように、仕事をする。科目は、産、小、内、外の各科だろう。医師も総合あるいは総合診療医として、そのあたりをあらかじめ研修しておく。(Primary Care ,小児科、精神保険など) 通常は草の根として、通常診療をしながら有事では、それなりの役割をはたすために、どうしても日頃の用意はかかせない。
 最後に医療、特に小児医療のビジョンはどうか、まだ先は見えない。昨年死亡数が125万にたいして出生数は103万。出生率こそやや上がったが、貿易統計と同じく負の増加である。震災の死亡数が18000人強で、行方不明が2600人強いらっしゃる。そのほとんどが、宮城、岩手と福島の3県である。
 有事をにらみながら、普段子供をどこで育てるかをあらためて考え直す。少なくとも勉強中は安全な校舎、耐震、耐水などの面で特に、そうである必要性。
 病気をどこでみるか。避難所での病気は、一体災害救急なのか、一般傷病か。総合医(総合診療医)と専門医の確立論議にくみこまれなければならない。医師会主導か、官主導か。
 だれがみるか。伝統的な総合医を数にいれるか、今回のようにまったくオミットしてしまうか。けれど、超初期、復興期には、「かかりつけ」をはずして考えられなくはないか。今後も申し送りなしに、第一陣は手を引くのか。受け側、つまり福島の立ち位置と宮城、岩手、茨城などの復興の立ち位置もかなりちがう。そのあたりの研究をさらに追求する必要性。地勢と災害医療の問題も研究が深まらなければならない。復興開始後の医療インフラの問題の研究には、地元の意見を聞くことに重きをおくこと。一人の、あるいは家族が生活するうえに、衣食住にくわえて健康保持の4大要素とすれば、近くに信頼のおける開業医の存在は大変大きい。つまり衣食住をインフラの再興とすれば、それには、医療、それも個人開業医の適切な配置が欠かせないことの強調がなされなければいけない。個人を役所がしばることは出来ないから、大きな復興地図を医師に示し、既存の先生、有志の先生の希望を医師会も含めて募る必要性。