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sent37-01303252244/還暦すぎの就活(1303) ......

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さて、1月の終わりから2月は、方安庵の患者さんにとっても自分もなかなか大変でした。診療時間を大幅に短縮し、東北回りで就活しました。まずは、行ってみないことには先に進みようがないようでしたので。まずは福島は南相馬を考えました。今は県道16号も常磐線も寸断されてますが、もともと遠いようでそうでもないいわき市に、同級生の産婦人科が居るので尋ねました。おりしも、福島県立大学で国際医療センター構想が立ち上がりそうになっていました。すごいプロジェクトですよ。放射能をふくめ、災害医療などの世界的研究を使用という構想で、立派な箱物が計画されているようです。箱物もひどく立派です。どこからのお金かははっきりしています。県のドクターバンクのような部署にも電話をしましたが、まるで他人事のようで、しかも「どこの馬の骨?」的対応で、正直腹がたちました。要は、「甚大災害」に対して、もう国の事業として認定され、資金も人材も潤沢であり、北海道の一開業医と名乗初老の男など必要ないということです。93年の奥尻の町役場の対応とまるきり同じでした。知人もそれに近いことをいってましたね。
 次の週は、宮城県のドクターバンクでも同じだろうということで、県医師会のドクターバンクに連絡してみました。ここは、副会長をしている脳外科のドクターが世話人をしているようでした。ここでは、2年前の4月に訪れた気仙沼市の南の本吉町の市立病院を紹介されました。ここは、津波で流されたとき、のこった院長先生とたしかもう一人の先生が孤軍奮闘し、ひだく疲れてられて、辞職されたところだったと思います。それはそうでしょう。(皆さん、ごめんなさい。いちいち、ネットで確認すれば、正確な情報をえられるでしょうが、ここは、話の流れで行きますね。時間がもったいない)。そのあたりには、まだ病院と言えるところはここしかなく、大手のNPOが入る予定もあるようでしたし、まだPCATという家庭医の団体も総合診療の実践の場と研修の場をかねてのプロジェクトとして入っているところです。公的なところですし、支払いは固いでしょうが、それにしても少ない。それに、これからもゴタゴタしそうな雰囲気もありました。値段! なんて事を言うという向きもあると思いますが、私が地区の人間なら嫌です。最初ならいざしらず、ボランティアの先生に自分の体をずっとあずけるなんて考えられない。地区に入るということは、文字どおり入るので、ローテートなんて見方は想定しない。医師も馴染んでいく過程で、生活のことを考えないなんてことありえないでしょうし。ここでなんとなく、昔から医療過疎であることや、ニセ医者が多い理由が感じられたのは、体質が過敏なんでしょうか。
 毎日ネットを検索するうちに、 Facebookで、ネ○○石巻というNPO?を見つけます。「もとに戻す、復興と言うんじゃなく、元気に未来を築こう」という団体のようで、後になって東京からの2足わらじの(私もこちらで仕事が見つかればそうなるわけですが)在宅専門診療所に行った時についでに立ち寄ったのですが、時間もなくてそのままになってます。なぜ行ったかって?患者としてかかる側の意見を聞きたかったのですよ。そのコンセプトが気に入りました。流された人たちのご家族が「内輪」として、人や故郷が流されて、だからもとに戻る、というと、それこそ内輪の話の用ですが、この際、新しく出発しようよ! というのは、余所の人間を排除した感じもないし希望があってとても良いと思いました。確かに悲しみが強いことですから、災害当初は、口にするものはばかられるようですし、私もその状態になれば、立ち直るまでに長い年月がかかりそうだがそうも言っていられない。「元にもどる」と言うのは、現になくなった人がおられ、彼らをおいて、壊れてなくなった町をもどすというのは、果たしてどうなのでしょう。新しい街を自分たちで創る方が元気がでるし、思い切って世代の交代や工場なら技術の更新も出来るでしょう。それは反発もあるでしょうが。
 思い、と言う厳然たる「こころの像」があります。壊れたモノを新しくする意味と、亡くなった人に対する、その思いはまた別ではないでしょうか。亡くなった人は、大往生したわけでもなく、言葉が悪いが、期せずに、道半ばで、恨みを残して、亡くなっておられる。孫の手を引きながらのお年寄り。一瞬で、2人とも波にさらわれる。私は、気仙沼の漁港への道々で、その「残気」のような感じをはっきり感じました。一緒にいた者が、「まったく西部劇の無人街のセットのようだ」とつぶやいた時は、思わず、手があがりそうになり、必死で堪えました。私は医師ですから、そんな非科学的な事を言う立場にないのですが、たしかに無念の気が残っている空気が、海から上がったの焼き場の骨の砂のような乾いたヘドロの粉じんと一緒に、漂っていました。こられの事は、毎日と言ってよいほど思い出します。先日テレビでも同様のことをいっている科学者がいたように記憶をしていますが、「そうだ!」と思いました。私の周囲にも、現地に行きもせず、今生き残ったかれらの思いや、無念をああでもない、こうでもないと、批判する輩がたくさんいます。たしかに残った方は生身ですから、いい人も悪い人もいる。これは、災害とは関係なく、生きている、ということでしょう。だから、行け、と言うのですが、まず批判を繰り返す人間は、必ずと言っていいほど、「行く必要がない」と答えます。いや、とか、怖い、ではなく、「行く必要」と言うのです。今の世代ではないが、それこそ意味分からない。今こそ、「気」は薄れましたが、まだある。どこそこのテロや戦争も同じでしょうが、廃墟とか焼土と化した場所には、かならず、無念の気があり、それは、直接行くものの心に訴えかけると思うのです。
 話がそれました。いろいろできる範囲で探したが、土曜や日曜に診療を要求する診療所を探せませんでした。長年この仕事をやってきて、土曜日、日曜日、それに正月ほど、調子悪くなったときに医者が必要になることはないと思うのです。実際に、苫小牧の現在の場所に開院してからの13年、この時間にやっているのはうちだけ。でも患者さんは必ず来てくれる。それは、必要だからです。だから、本当に必要な土日の診療を石巻あたりでして、いつもの患者さんたちは、気の毒だけれど平日だけにしぼって、やろうとした訳なのです。ところが、2月以上探しても、そういう求人はありませんでした。たまにあっても、すべてお断りされました。理由ははっきりしませんが、「年齢」「賞罰なし」「ジーンズ面接」「ニセ医者風」「交通費(仙台空港往復で4〜5万かかる)」のどれかでしょう。これらは、大抵話せば分かる、と思っていたのですが、それ前に土日の求人がほとんどない。あってもとても安いこと言ってくる。ボランティアを求められている、と感じました。もともと医師のすくない地域であり、慢性的な医師不足のところにあれだけの災害が起こって、患者さん以上に医療機関の損害が大きかったにも関わらず、とても不思議です。