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sent35-01209302124/戦争の足音3(1209) ......

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 世の中が騒然としているし、どんどん混沌として来た。これは、ニュースの繁多なせいもあるのだ。毎日これでもかこれでもかと見せつけられるシリア、尖閣などの映像。どのチャンネルもだ。同じソース、同じくくり。たぶんは、これも情報の統制の一種なのだろう。あるいはレポートを書く人が一人で、それをソースに各社が書くので同じなのかもしれないが、チャンネルを選ぶ意味もない。
 この傾向、おもに、湾岸戦争あたりからつぶさに見て取れるようになって来た。技術の進歩もあるにはあるが、伝え方に一種の固定観念が見て取れる。想い出してもフセインの最後はひどいものだった。人殺しと決めつける世論、そのなかで、ボロボロになり、全てを剥奪されて惨めに犯罪人になってゆく姿。かつての戦争のシーン。戦闘機乗り同士が撃ち合い、撃墜した相手を「勇敢な人だった」と讃えるような、そんな「武士の情け」などまったく無用の無残なシーン。勧善懲悪の出来の悪いハリウッド映画のような筋立とさえ感じるのである。そういう事が次々と起こっている。
 実際に、普通にご飯をたべ、会社で仕事をする日常生活の傍ら、街頭では、戦闘、爆撃、爆弾の破裂。傷ついて始めて、と言うか、生き死にが誰の目にもはっきりする、そんな、最後の一滴の血が流れてゆく頃になってようやく、救いの手が差し伸べられる、そんな違和感。武器が主役の人間世界は、どんどん醜悪な、一方的なカンゼンチョーアク劇だらけになっているようだ。生き残るのは正義だけ? やくざの逃走劇だって、もっと殴り込みまでの人情や、味方と敵の峻別、相手方に乗り込むまでの理由やら、感情の起伏がある気がする。私が生命保険の社長なら、いますぐ、廃業する。だって、支払いの理由は、たった一つ、被保険者が、生きているか死んでいるかのみ。戦争での死亡なら支払えません。なんて事が普通になりそうな時代。これまでのように、普通の生活の中で、コツコツ貯めたお金。やがて、孫も生まれて、悠々自適のなかでの死。若い世代に伝える遺言としての生命保険。それはそれで意味があるけれど、これじゃあ仕事に誇りがもてない。そんな、虚しい気持ちになりそうだし。
 政治屋は相変わらず。N氏が、M党の党首続投になったようだ。「決められない政治」とマスコミは言うが、かなりいろいろ唐突に法案を決めてきている。それも「英断」なのか、「独断」なのか不明であるが、どうも政治屋の争いをよそに、漁夫の利的な立場の官僚主導の茶番のような気がするのは私だけ? そう感じるのは「誰も政治家の力を信じてない」ことに起因している世相そのものとも言える。相手方のJ党もどんぐりの背比べ。京都のボンボンを追い出したのは良いが、4つのどんぐりではいかがなものか。第一どんぐりは普通似ても焼いても喰えない。そのなかの一つは、なんと、落選したが、比例で救われたどんぐりではなかったか。下手をすれば、総理になるかもしれない人材がそれでよいか。ちがった、どんぐりだから、木材か。。ところが、蓋を開ければ、新しいこの党の総裁が、なんと数年前に、国政を投げ出した人だ。たしか病気が理由だった。過敏性腸症候群だったろうか。あれは、心身症のようだ。アタッタったとか、心臓をやられたならともかく、かなり個人的な理由、持病を理由に首相の降りるなんて、私には、とてもすごい事だと思えた。それが、今や打倒内閣の旗振り役だとは。新薬が出来たから大丈夫! という、説明もいかがなものだろう。しかも、かなり大差をつけた競争相手がいるのに、決選投票となって、国会議員のみからの採決で選出されるとは。人材不足はなにも我が方安庵だけではないようだが、合法的に、という一文だけが、正当性を持つ決め方はどうだろう。それは、単に多くの人の意見が反映されようがされまいが、法律を破らなければ、何をやっても良いと言っているように聞こえるのは、私の幻聴なのだろうか。
 尖閣、竹島、北方4島。最後のは、R国のPさんが返り咲いたから、おそらく最後のチャンスだろう。いつぞやのように、2島でまず、手を打ち、様子を見ながら後2島を返還、その間にちゃんとした交流を通じて、共同で開発すれば良かった、と私はずっと思っている。しかもこの時、けっしてR国は、あと2島を返さないと言ったわけではないのだそうだから。P大統領は、うまくお付き合いすれば、ここの合意までは、渋々にも納得するのではないかと思う。あとは、地道な信頼関係の構築だ。Pさんの態度は、多分大戦のR国の参戦のしかたが、そういう抑制を本当は誇り高いR国にさせているのでは、と思ってしまう。けれど、同じ黄色人種のC国K国は、どうやら相手が違う感じだ。長い歴史の間で、日本人が、西洋人から、バカにされ陰口を叩かれながらも、負けじと身につけてきた、議論は冷静にというような態度は、通用しないようだ。かつての日本と同様に、20世紀の後半で、敵であり、有効国でもあるアメリカを追った我々と同様に、遅れて出発した産業大国の2国。程度抑圧された中での発展をとげて、いま翳る日本と決定的に違うのは、彼らは戦勝国として、発展途上にある、と言うことだ。だから、かれらに感情の抑制を期待するのは誤りだと思っている。しかも、戦勝国と言え、アメリカのように直接軍事的に、あるいは、イデオロギー的に優位にたってはいない戦勝国だ。これは、バカにしているわけではなく、それまでの植民地的立場こそは解消されたが、まだ仕返しはしていない状態に居つづけていると言うことだ。アラブの民ではないが、目には目を。これは、生き物の常である。その事を忘れて交渉してはならないと思うのだ。アメリカは日本に、原爆を落とした。トルーマンの孫が広島に来て、いみじくも謝罪したように、絶対的に勝った。相手を滅茶滅茶叩きのめした。立ち直れないぐらい相手を打ちのめしたからこそ、無残なことをした、と謝る心の余裕のようなものを持てるのは、これも人の性だ。C国もK国も、そんな態度は間違っても取れない。例え。。いじめられていた男がマッチョな友人に助けられ、「もう許してやれ」と友人に言われ、拳をいったんおろしたような、そんな状態のまま半世紀以上の時が流れている、と言うことだ。かたや、我々の側だの問題だ。我が日本。マッチョな敵にやられた小人族の国としては、戦争なんて、もう済んだことじゃないかと忘れようとしても、いつまでたっても70年前の玉音放送を想い出さされる。当時の勝ち負けのままの人間関係が続いているような屈託があるのに、オメーらが悪いんじゃけェあやまらんかい、っていつまでも言われているような。そんな屈託。我々の見せかけの冷静さ、自己抑圧は、諸刃の刃でもある。小人族は、金貸しでもある。自分の懐に、湯水のごとくお金がある訳ではないけれども、金貸しだ。自分を打ち負かした相手には、実はもう、たくさん金を貸してある。さて、そこのあなた。あなたもその小人族の質屋なら、一体どうする。
 一昔前までは、国境といえば、フランスとドイツの国境のように、地面に書いた一本の線だった。今やそれが東進し、チグリス川を越えて、南下し、インド洋にやって来た。片やゴビ砂漠を越えて、極東にもやってきた。水面に線を書くことを21世紀になって、ヒトが覚えた瞬間だ。水面に線がかける知恵?を持ったわけだ。しかし、地面ならば、線で、ケーキを切るように、その下も切れてしまう感覚なのに、水面だと、下を潜水艦が通れるのだからなんとも危うい。ここが決定的に違う。10m先に見つけた金を目を盗んで横取りできる盗賊の前のロープのようなものである。元来生き物は、「見える誘惑」に弱いものだ。
 そんな事とは別に、私は、妄想のように、だれか、今の「領土の戦い」には、影で頑固をする化石のような老人がいる、と思い込んでいる。私の妄想の中のその老人は、自分はやがて、10年もすれば自分は果てるから、いまは、相手に妥協は出来ないと思っている。こんな頑迷な態度は、厳しい交渉のなかにあっては破綻しか呼ばない。一番の例は尖閣だろう。日本は冷静を呼びかけるが、それは、島を所有してしまったからだ。取られた方、それが正しかろうがどうだろうが、取られた方は、冷静でいらはずがない。取られた、と思い、前述したような心の屈折を持つ方が、武力に訴えないほうがむしろおかしいと言うものだ。戦力は、プラモデルで言えば、C君は、クラスで1、2を争う数の軍艦を持っているんだもん!
 まあ、幸いなことに、と言うか、国連総会が開かれ、舌戦となった。それは、国連自体が、国際連盟に変わって、戦後の20世紀を支えてきた、アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国の五つの戦勝国の会議だからして、どれだけ実効力のある、フェアな場であれるかは別として、年号が飛び交い、ヤルタ会談やらポツダム宣言などが出てくる。こう言う、近い時代の史実についてのディベートの方向なら、とことんやればよいと思う。けれど、その発言内容たるや、とても中学生程度にもなっていないような国の代表者を相手に、けれど、しかしを繰り替えしていても、突然泣くか怒り出して、なぐりかかってくるのが関の山とも思うが。とは言え、お互いの国民、片や4000年の歴史、片や、他国の科学文化を取り込んだ大多数の賢明な国民同士は、本当の事、正しい歴史を知らされてないのだから、ここは操作せず、確度の高い情報が、平和を好み、理性ある大多数の彼らに届くことを願うばかりだ。
 最後に、私なりに考えた、解決法を言ってみたい。皆さんはどうおもわれるでしょうか。基本的に、領土は、互いの国民の心の原点の一つであるから、戦争で奪取しない限り、終わらないというのが基本的な考え(おそらく事実)だと思います。だからそれ以外、が解決と言うことになる。まず、C国がわが国のように、ビザなし交流を呼びかけてくるなどという可能性は0に等しいだろう。なんせ、彼らにしてみれば、自国を一時支配し、殺戮を繰り返しその後敗戦した国が、また領土を奪っておいて、冷静に、冷静に、なんて言っている訳だから。一旦国有化したのなら、万が一、静かになるようなら、台湾に無償貸借し、台湾を通じて、C国と共同漁場(台湾を1とすれば、3国)とするのが良い。国防上および、戦後処理の過程で、日米安保により守られる同島は、管理者を民間人とし漁船の安全管理を行い、灯台を設置する。 竹島。竹島は共同統治とし、男島、女島両島そのものを平和の碑としてしまう。女島には慰安婦の碑を、男島は、両国の男の祈りの島にし、年に一回、愛する人を失った両国の男性が集い、腕相撲大会を行って、例えば亡き分かれた女性たちの供養をしてもよい。ついでに、北方四島は、国防上の理由から、歯舞、色丹ではなく、可能なら歯舞、国後を日本領、色丹、択捉をロシア領と暫定し、話し合いは継続、4島を無関税の共同利用地として、交易の拠点にすると良い。つまり、海にも国境線を引き、住み分けるとしても、その国境は、ヨーロッパの地面のそれに見て取れるように、燐国との交流ラインでもあるわけで、であれば、交易のハブとするべきであり、戦いの交点にすべきではない。なんの益もないからだ。実際、戦争して収益が上がるのは、葬儀会社ぐらいのものだ。
 いまだに70年以上も前の戦争の勝ち負けで相手に言い合うのは、それこそ大人のすることとは思えない。なぜなら、互いの子供たちは成長するし、彼らに罪はないのに一体何を植え付けるのだ。若く、柔らかい彼らに必要なのは友人でありライバルだ。インドネシアの人々がいみじくも言ってくれたように、下品な気もする。この問題から離れて、テロと言いながら、イスラム世界との諍いもそうだ。それぞれの神の絶対に許そうはずもないような、下品な人間勝手な理由を掲げて、コーランを焼き、聖書を焼き、人命を奪うことがなおも信心だと言いきる果てしのない愚かさ。人間臭すぎる教会同士の争い。いい加減にすべきだ。霊長類のヒト。それを(勝手に)頂点?とする進化や動植物連鎖を大切に守らず破壊する輩。その身内だけを生かすような身勝手な所業をすて、あるいは金輪際加担せず、宇宙を見据え、いかに全ての友たるわんニャンや動植物君たちを地球という箱舟に載せつづけるかに腐心し、叡智を結集出来るように、ヒト属全体が自己改革をしなくてはならない時期に来ていると私は思う。細胞達がそうであるように、知恵もまた、再生や新生しなければならないだろう。生まれ変われよ、ヒト! ナーンてね。(0120930)