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sent34-01110102050/細胞の意思とMr.Jobsの死3 ......

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(その3)
 別の観点からこの事をさらに考えてみる。文献3の免疫の意味論のなかにある、イディオタイプ論の話を読んで思うことだ。つまり、T細胞や、インターロイキンなどが発見され、T細胞はプロセスされた抗原(病原体なら、これをマクロファージ軍がカプリと食べて、そのからだの一部をフードプロセッサーがするようにピースに分解したもの)をT-ヘルパー細胞軍にわたして、MHC(自分のピース)と比較して、異物であると認識する、という事実が分かるまでは、幾多の数のイディオタイプ(ピース)と抗イディオタイプ(ピースにハマる別のピース)のネットワークという概念で免疫は説明された歴史がある。つまるところ、パズルのピースのようにそれらは結合でき、そのピースとたまたま合う自分以外のピース(非自己)を認識したときが、免疫の反応という訳だ。したがって、そのピースは既に存在するはずだからして、非自己は既に内在するという、形而上的だが、美しく秩序ある仮説であったと思う。このこと、つまり、パズルのピースという「自らの意思」を排除したシステムを考えることが果たして正しいか、という反論はその当時からあった。この仮説は、現在間違いと分かるのだが、自己と非自己の峻別、そしてその真逆の「寛容」こそが、免疫細胞の意思と考えることを、これもまた否定は出来ない。ある抗原(外敵ピース)があるとして、それの受容体の接合部(外敵ピースがはまる自己ピース)だけを考えれば、依然それは、上に述べたイディオタイプネットワークである。これを仮に「マッチング」と表現しよう。
 そのマッチングを最初として、3次元構造の各ピースが、糖鎖細胞膜の上、中(チャンネルという)、細胞内と、通過または伝達により、最後には反応物質の分泌をする、などの反応がカスケード(自動的、定常的な反応群)として美しく進行する様は、ランダムな発火がいつのまにか秩序を形成する、先に述べたような「意思」を持つことによく類似していると私には思えるのである。
大脳のゆらぎー>そして秩序の形成(これは、上に書いたように、実際に脳の発火を記録するスクリーン(例えば針電極の電位やMRI)に映し出されるので、単なる言葉ではなく、実験的事実である)に描き出される、創発的な秩序と同じ事のようにに見えてしまうのである。う〜ん、考えが煮詰まってしまった。煮詰まったので、見方を変えてみる。次は、細胞を形作る細胞。これも「意思」を持つかもしれないと言う話だ。
 もともと、遺伝子にしても、特にプラスミド(主に大腸菌などで話題になる、核ではなくて、まわりの細胞質にある、たいていは環状のDNA)などは、原始生物の遺伝子であることはわかっているし、遺伝子中に存在する多くのトランスポゾン(遺伝子の中を転移する塩基のトラポゾ君)も、もともと他生物遺伝子である。自己の細胞一つ一つにしても,もともとアメーバと仕組みは同じなのであるから、単純バッサリと、「細胞には意思なんてない」と言い切ることが自体が難しいと思う。さらに最近は、マイクロロボットが、実際の細胞を使って、DNAモデルを作ったり出来るようになった。まあ今のところは、単に実際の細胞で作っている「DNAのモデル」だろうからDNA型の人工組織ぐらいにしかならないと思うけど、近い将来は、ロボットが、実際のアミノ酸(C,A,T,G)とか積み上げて,実際の人工エクソン(蛋白合成可能なDNA立体モデル)を作るだろうから、人工のトラポゾ君の出現もすぐ目の前である。ワクワクするような、そして恐ろしいような。。。出来ちゃったこいつらに、「意思」があったらば、本当に恐ろしい。
 では細胞の意思についての実際の研究はというと、ちゃんと存在するようだ。文献1からすると、細胞の意思とはつまり、普通に存在する、「抜きん出た前頭連合野の存在によって、自発的な意思や創意工夫の出来る特別の生き物」つまり我々人間様だけが持てるものと言う研究の数々の裏返しだ。
 原始生殖細胞の例が文献に挙げられていて目をひく。癌細胞は自己増殖(単一クローニング)するが、それに近い活性を持つ正常細胞に、原始生食細胞がある。原基から始まり、後腸の組織ないを腹側から背側にぬけると、腸間膜に入って登り、中腎と体腔にはさまれた位置で停止する。彼らの最終目的地、尿嚢に発して、中腎−>後腸へと動くことが、旅をする「意思」なのか否かという訳だ。組織を形作る細胞にしても適材適所に集まって、次第に見事に整列することが、「意思」たりえるのか。細胞を「誘導」するものは何なのか、遺伝子か、それとも細胞が自発的意思で行うのか。発生の時、各細胞集合点(臓器だったり、血管だったり)に集合する事実を細胞の意思として証明しようとする研究もユニークだと思う。培養下でもこのような細胞の「意思」は存在し、不思議な移動を行うという実験がなされている。塩分濃度、光、酸素、あるいはインターフェロン様の物質など、影響するパラメータは様々考えられるから、そのメカニズム全体が解明されたと言うには心許ないから、若干短絡的ではあるけど、それらがカスケード、あるいは一連の化学反応のように、単に「反応」なのか、それとも、一個のミトコンドリアの元の生物のように、意思をもって旅をすると考えるかは、そろそろ結論をだそうとしても良いぐらいにいろんな事が解ってきている。この本を読んでいると、臓器に裏と表がある事実、各胚葉の細胞が、それぞれの役割分担をうまくこなして、表裏を形成する発生的現象すなわち一つの臓器を他臓器と区別して製作する作業も、本当に細胞の意思なんかではない!と否定する根拠は、本当はあまりないようだ。この発生過程では、少なくとも意思をもつはずの「脳」という、恰好の説明可能なる司令塔は存在しない。その指令が実は遺伝子由来と考えても、じゃあその行動が発現するトリガーはなんだろうと思う。遺伝子がルールを刻んでいるから、その通りにやってるだけなのか。この文献1には無関係だけど、遺伝子とは何か、については、先の文献2に、高校生が遺伝子について質問したとき、その著者が以下のように答えている。私も決して高等とは言えない自分のロボットを作りながら同じような事を考えたことがある。
 著者曰く、「遺伝子は、よく生命の設計図だって言われるけど、でも僕から見れば、これは設計図じゃない。だって僕らの遺伝子ってたったの2万2000個しかないんだよ。そんな少数の情報では、人体は組み立てられない。いや人体どころか、小さな家屋ですら建築出来ないよ。あれは設計図じゃなくて、いわばシステムの「ルール」(の一部)じゃないかな。そのルールに基づいて、生物の材料たちがせっせと単純な作業を繰り返している。すると物質から生命体が生まれてくる。そういうことでしょ。だから、わずか2万個そこそこの遺伝子でこと足りる。」
 このことを考えてみる。遺伝子は、医学的な立場からは、整合を繰り返しながらコピーや組み換えを行っているから、いろんな外因があり、それが環境順応や勝ち残りに見合わないならば、新しい遺伝子の組み合わせが遺伝子に追加される。ここで、環境を自分の意思のままに変更可能な我々ヒトには、だから、ショウジョウバエほどの遺伝子は不必要だ。この意味では、この先生の言うことは、あまり当たってないと思う。けれど、ロボットの、例えば複数のモーション用のモーターを、小さなマイコン基盤のたった16個ぐらいのポートに0と1を与ることで制御するとき、そのプログラム自体は、設計図でもあるが、一つ一つの繰り返す関数(運動のパターンや、1つまり電圧を加えるパターン)を制御するメインの関数つまり、ルールでもあるので、この脳科学の先生が、遺伝子=設計図を遺伝子=ルールと対峙させたところについては、ちょいと誤謬を感じはする。けれど、おおまかに言って、考え方そのものには共感出来るし、真理をついていると思う。こう考えれた結果、先の原始生殖細胞の旅を「細胞の意思」と決定する必要はないと思うのである。 (つづく)