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sent34-01110092210/細胞の意思とMr.ジョブスの死2 ......

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(その2)
脳が全て。なぜか。。いくつかある考えの中で、大脳生理的な例えを挙げよう。たとえば、急に球が飛んで来て頭に当たりそうになる場合を考える。ある研究では、なんと「避けようと意思」を持つ前に行動が始まり、その後避けようと意思が生じるらしい。あるいは、身に覚えもある人もあるだろう、信号レース。この信号レースで言うならば、もともと、青の信号で発進する前、黄色で既に動作が始まり、青になったら出るぞと思うというタイミングでの動作なので、感覚的にはっきりはしなくなるが、この場合、実際は、「黄色になったら準備するぞ!」という意思が働く前、つまり黄色になる刺激が入るわずか前から脳の発火がはじまり、そのあとで「黄色になったら準備!」と意思が発動し、青になった直後に「出れた!」と自分の動作(アクセルを踏むなど)を感じた後に発進することになるようだ。これは感覚的に、大変ややこしい。実験的にはすでに、脳の準備ー>意思ー>動いた=知覚ー>脳の指令=運動、の順であることは解っているらしいから、感覚と事実は違うということだ。ここに罠がある。
さて、球をうまくよける例に戻ろうか。飛球を避けたと思ってから行動していることが事実であれば、意思を開始点とするなら、ひどく怪我することになる。これでは実際に困る。だから本当は、意思とは無関係?に、球を避けているわけだ。すなわち脳の準備ー>回避行動ー>避けた、という図式がなりたつとして、この図式は、意思による、「避けよう」ー>避けたという図式とは、一致しない。他の例えで言えば「飛び出し」だ。運転中に不幸にも子供の飛び出しがあったとする。うまく回避できた時には、壁の後ろから飛び出す子供を意識する前に、行動が生じることは、割とすんなり理解できる。我々は、こう言う時、非科学的に「霊感が働いて良かった」、という感じ方を出来る特質もあり、あまり疑問を持たないが、少なくとも科学的に、避けようー>避けた、つまり、意思ー>行動という単純な図式で説明しようとすると、説明が出来ない。
ここで、先の信号レースを更に考えることにしよう。よーいドン!で飛び出しても、各々結果にバラつきが生じる、と言う事実は、運動神経や、自動車の性能だけではない、「脳のゆらぎ」が関係するようだ。脳の発火つまり揺らぎ=脳の自発活動である。 入力(発進するプロセスの開始)+ゆらぎー>出力であることが解っているから、青信号で発進する前、黄色で既に動作が始まり、変わったら出るぞ!と思うというタイミング。しかもこの瞬間でも脳は常に揺らいでいるから、発火(集中)が始り、脳の活動が起こってから、意識(あるいは意思)が、発進と指示。その揺らぎ(集中)の程度で、結果早く出たり、遅く発進したりするという訳だ。このことを球を避ける例に当てはめれば、結果は自明の理だ。
どうやら、「意思」というのは、脳の自発的活動の産物に過ぎず、外界から何者かがアタックしてきた時、それに反応する一連の刺激反応の活動の「自己認識分」を支えるだけ、その能力つまり、危険の回避という成果をだすパーセンテージ(度合い)に、直接結びつくものではない様だ。
しかも、ランダムな脳の発火自体は、その脳の持ち主とは無関係?に、脳細胞の発火を繰り返しすうち、実験室のモニター上(脳自体のスクリーンでは、有名な利根川先生の説明では確か視床上)に、ある綺麗な模様を作るようだ。つまり、発火する神経細胞は、ランダムな発火を繰り返しているうちに、いつのまにか秩序を持つ。文献に、多くのいわばアリのような集団がいて、一匹ごとに、小さなスクエアを通ったらオセロゲームみたいに白から黒に反転させる碁盤のような装置の上に自由に行動させると、そのうち全体で一定の行動パターンが出来上がるという例が書いある。
脳の発火は、最初ランダムでも秩序を持ち始める(創発というようだ)こと、一旦行動が始まると、それは秩序をもって「自動的」に整列してゆく事は、なんとなく想像出来る。これはもちろん、アリ個人の「意思」や実際のアリはフェロモンにより他のアリとの会話?をしていることが解っているから、本物のアリさん達で実験を行えば、バイアスも入るだろうけれど、これを機械でプログラムする、すわなち、

  1.  白に一致したら黒にかえる 
  2.  黒に一致したら白に変える
という2つの命令のみのプログラムを作って実行させる。すると、白黒反転繰り返しているうち、一つの方向に整列して伸びていくという「行動の秩序」が、自然に出来るらしい。つまり、必ずしもアリさんを「意思のある個体」と考えて、そのバイアスを心配する必要はないということだ。もっとミクロに、ランダム微小電気刺激を加え、磁場を作って電子を集合させても同様の創発的秩序がみられるだろう。
決して悲観的な感想ではないが、これらの事から逆に、大雑把に言って、アリさんが「意思」をもって行動しても、このあとの細胞さんが意思に沿って行動しても、我々の偉大なる大脳の意思による行動も、ある「秩序をもつ行動」が結果である事象に対しては、大きな差を生じないような気がする。私は、文献2を読んでそう思った。(つづく)