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sent34-01110092148/細胞の意思とMr.ジョブスの死1......

inhalts

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細胞の意思とスティーブジョブズの死

(その1)

 Fukusimaーこの世界的に有名な地名。そのもととなった、稀有な大震災津波以上に世界中の人々の心に影を落とす地名となってしまった。

このことへの鎮魂の意味も含めて、この文章を書きます。

 主な文献として、

     
  1. 細胞の意思 団まりな NHKbooks  
  2.  単純な脳、複雑な「私」 池谷裕二 朝日出版社
  3.  免疫の意味論 多田富雄 青土社
  4. 抗体医薬と自然免疫の驚異 岸本/中嶋 講談社
を引用させていただきました。いずれおとらぬ、おもしろい啓発的な書籍です。ぜひおすすめします。まちがった読み方をしていなければよいのですが。

このところの体たらくで、政治に倦む人は多いだろう。昔にすこし(。。。)遡ると、私の場合、学生運動吹き荒れたのさなか青春を送り、友人達が右と左に分かれて闘うのをみてうんざりし、「権力」と弾圧される側の「労働者」に分類されたなかで、権力=お金、つまり汚い、みたいな構図をうんざりするほど見せられた。その結果、そんなものにかかわっている暇はないと感じながらも流れから抜け出せずに只中にいた経験がある。その時は、決して美化する訳ではないとことわっておくけど、権力側は権力側で、必死な感じが伝わって来た時代でもあったから、鉄砲もって邪魔者殺すぞ、みたいな、暴力や金にまみれた胡散臭い政治や権力のイメージだけではなくて、自分たち「弱者」に、実体として向かってくる、イヤな奴的ノネナール臭をはっきり感じとれた、生臭~い政治や権力だったと思うのだが、単なるノルタスジックな勘違いだろうか。
今の政治はと言えば(と言うと、政治をそのまま昔の「権力」と同義に扱っている感があり、違和感を持つ人も多いだろうが)、ソマリアやルワンダで飢えで死ぬ子供がいようがいまいが、エジプトやリビアで人々がどうなろうが、アフガニスタンやイラクでどれだけ爆弾で人が死のうがお構いなし。もっと身近で端的な例としては、まだ白骨のまま漂っている人がいるだろう三陸海岸のガレキを放置したまま(と言うより、一生懸命なお巡りさん達と一緒に放置したまま、かな)、放射能を発しながら回遊する魚の拡散を放置したままだ。それだけではなく、莫大な国の借金の返済が急務なのに、これだけの豊富な熱水鉱床を海底に持っているから、その開発を急いで返済を急がなければいけないのに、まさにその熱水鉱床にホイホイ放射能を垂れ流す奴、こどもの甲状腺にたくさんセシウムを貯めるやつ、奴、やつ。。。この瞬間に、ただただ、東大とか、最高学府を出ているのに、口汚くやじることしか出来ないだけの政治家俳優が、国会というバーチャル番組のスタジオで、茶番をやってるのを見せられる、と言う感じがもっとも当たっているような気がする。そしてそんなものを見せられる自分が嫌になる。彼(か)の様子が、あまりにバーチャル感100%すぎて、そこに加齢臭すら感じられない。政治茶番には、「人の意思」と言うものを感じさせない。ただ、流れ出る電波というか、どこか「遠い国のビデオ」を見せられているような、無機質無感動な世界だ。
3.11を経験した日本人の一人として、この虚像というか、虚しい現実において、いったい、人の意思(Will)とはなんだろう、とつくづく考えさせられる。それで以下の事を考え考え書いている最中(さなか)に、心配していたスティーブンジョブスの死が伝えられて涙が出た。コンピュータという機械を人の為に使いやすく、あくまでスタイリッシュに使いやすく、進化させた稀有の天才の死だ。彼のこだわりが、無機質になりがちなコンピュータと言うモノを人に親しく近づけたインターフェースのような人物だった。彼こそ、良い意味で「意思が全て、脳が全て」であった。
そう、脳がすべてである、という考え方が確かにある。人という生き物は、動物として生きて来たというより、今の生きもので唯一「意思」を感じてしまったために、他の動物と一線を画さざるを得なかった孤独な生き物である。そのことを神の意思と隔てなく感じている人も多い。私も脳が全てであると感じて、孤独に苛まれる一人である。されどされど、脳がすべてではあるのだが、脳とは、決して意思の代名詞ではないことを日々己れの警鐘にし、思い上がらないようにしたいとも思う。我々は神ではないのだから当然ではある。(つづく)