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sent32-01008161745/アライ熊のカンカン(10 ......

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sent32-01008161745@ この1ー2年は、、、患者事情も良く読めない日々が続いている。去年の新型インフル騒ぎもその一環を担っている。今年に入ってからひどく暇で、逆に閑古鳥のなく4月以降が忙しく、冬と夏が逆転してしまった。8月に入ってからは、なんとなく、例年どおり「二八(医療機関では、2月8月が患者さんが少なく暇と昔から言う)」になったが、本来なら、冬の忙しさも遠のいて、夏から秋にかけての学会シーズンやら、ばたばたして、壊れたり傷ついた器具を修理したり、物品を冬に備えて整備したりの時間をすっかりやられたのである。それも手伝って、なんと4月以来、この「ちょっと一言」も「ちょっと一息」になってしまっていた。すみませんでした。では、短いのですが、、、いつもどおり。
 1945.8.15 に玉音放送の天皇の詔勅があって65回目(終戦の次の年を1回として)の終戦記念が昨日だった。政治に関与しないと言いつつも、このところの政治の混迷は、内容はまったく違うが前世紀終盤のイタリア政府の汚職事件にも似て、なんとも形容しがたく、恥居るような居心地の悪さを世界に置ける日本国民に与えている。さらにそれのみならず、つけをなんども払わされるような沖縄県民のやるせなさは、ヤマトンチューの私としては、誠に肩身がせまいと言わざるを得ない。この問題から少々。
 普天間に対する政府の態度と極東に於いての日本の立場を考えてみると、、前首相は、公約当時国防に対する自分の認識が浅かったことを国民につげた。名護市長選で自然を守ろう派の人たちが僅差で勝った時、一年前の時点で前首相は単純に「それみろ、追い風だ」と感じたのではないだろうか。それが今のこのざまである。現首相は、去年この問題には、いっさいコメントしていなかったように覚えている。いま、自分が筆頭の立場になったのにやはり同じであれることがすごいと思う。彼には○○○○がついているのだろうか。
 一般に、日本に居ると、軍隊の動きに疎くなる。それこそ華やかに、ワールドサッカーやにこやかなサミットの裏で、様々なシミュレーションだけでなく、どっかの軍艦と潜水艦が威嚇しあったり隣り合わせのアメーバの様にテリトリーが変化しながらの毎日だ。例の韓国の哨戒艇の事件だった然りだ。ひところよく放映されていた、アメリカ産やらイギリス産のスパイ映画は、現実離れしている感覚を日本人が持ち、完璧なフィクションと感じていたのは、たぶん平和ぼけで、むしろ虚々実々が本当のところだということをこの事件は物語っている。
 歴史をひもとくと、韓国や北朝鮮のみならず、広大なる中国とは実際に虚々実々だ。太平洋戦争のきっかけになった日中戦争なんてその典型だった。その中国。広大な陸に比して海の面積は少ない。山間に10億の民の資源を探るより、開けた沿海にという経済、軍事両面での動きはわからないではない。特に資源の問題は、どんどん深刻になるだろう。
 かつてというかひょっとしたら今もかもしれないが、ソ連が、北海道までを領域にしようと企んだように(だからして、北方4島の返還なんぞあり得ない。たぶん、2島を返還する見返りに、かなりの海上領域を占領にかかるのでは、なんて本気で思っている)、中国は、日本人の付けた「日本海」という海のすべてを接収しようとしているように思える。南西諸島から五島列島、沖縄の諸島の間をかれらの潜水艦がおおきな鮫のように行き来する日も遠くないのではと思う。遠慮しているのではなくて、まだ数がすくないだけだろう。そういう傍若無人ぶりを押さえるのは、国連を中心とする国際世論だろうが、経済の発展や規模から、その中心になるのは、これまた中国だろう。すでにそのように見える。ここは一つ賭に出て、今のうちに、アメリカによる国防、つまり「安保」を捨て、永世中立を宣言、自国軍を創設し、徴兵制をひくしか、ポッポ、そしてアライグマのカンカンたちの民主党がその名を後生に残す方法はないと思われわれるが諸君は如何かいな。
 而して、去る8月6日は、戦後66回目の「8月6日」だった訳で。ここで、ホウ!とばかり、歴史的な出来事があった。アメリカの大使や、先勝国の大使たちが列席したのである。あのクソ暑い式典に、傘もささずに白い顔が見えていた。そして黄色い顔の国連事務総長は、壇上で平和を訴えたのである。「ちょっと一言」でもなんどかこのことを取り上げたことを考えると、やっときたか的な世の中の進歩である。今になって世界は、ようやく、「抑止力」なんて幻影をすてないと、テロ的核に対抗できないことを悟りつつあるようだ。北朝鮮に続いてイランが核を持つ。パキスタンは既にもっている。自爆できる人たちに核が渡れば、ちょっとネジが狂うとどうなるかだれだって想像出来る。そんなこんなで、地味だが画期的な世の進歩であるのに、それだけの腹をもてない我が首相のスピーチは、なんとも色あせた、というか、時代の読めてない、単なる身内の選挙対策的な情けなさだった。考えてもみよう。無名からのぼりつめ、二世なんて高嶺の花よ的だったカンカン。言ってみれば「アメリカンドリーム」の典型みたいなわれらがカンカンにしてみれば、もっと飛べばよいのに。
 話戻って、普天間に対するアメリカの態度。今更ながらに「抑止力」に固執しているのだろうか。環太平洋の軍事的均衡に腐心しているのは、果たしてアメリカ国民の総意だろうか。それともアメリカは、やはり、なんどか問題になったような、軍政の国になってしまったんだろうか。日本人としては、あまりふれたくないが、戦前から戦後10年ぐらいの古きよきアメリカ、民主主義の国から変質したのだろうか。いやいや彼らだって、日本がもっと頑固した方がよかったに違いない。5月あたりの中国の不可解な態度。海上保安庁の船にヘリが威嚇したり、調査線に調査線が追っかけたり、何を意図しているのか不明な動き。普天間の問題あたりのかれらのしたことはよくわからない。偶然だったのだろうか。うがってみれば、アメリカの出方を見たんじゃないだろうか。アメリカは表立ってなにもしなかった。本気で普天間で日本に頭に来ているなら、「そうれみろ」的に日本や世界に日米安保と普天間の大切さをアピールすると思ったがしなかった。中国でも多分問題となっているだろう軍部という独立した組織。北朝鮮ではすでに独裁者一家はたんに、象徴に過ぎないのじゃないかと思えるような事が時折ある。ことほどさように中国共産党が、有事の際に軍のすべてを統制できるか不安がある。これらの「感じ」は、雑駁ではあるが、それほど間違っていると思えない。
 そしてその感じは、アメリカでも同じこと。軍に「協力してもらって」アフガニスタンやイラクに派兵しているような感じのするところが危なっかしい。いま、そのイラク撤退が現実になろうとしている。つまるところは、テロ側の勝ちだ。ベトナムの二の舞。一体日本は、どうしてこんな弱っちいアメリカに負けたのだろう、ってつい思ってしまう。それは置いといて、アメリカ軍のいないアフガニスタン軍はなんら「平和への抑止力」になりえない。
 くりかえしになるが、これらの安保や軍事問題に対する日本の態度。ニガテを克服し、表と裏をうまく使って外交で乗り切ることだと思う。昨日松岡全権大使の国際連盟脱退の場面をテレビで見た。大変に英語はうまく、知能もよいのだろうが、わるいが、●●としか言いようがなし。本人申し訳なく思ったらしいが、ウケは反対だったようだ。外交と軍事のうらおもて。戦争はしないが一番。お互いにひどくきづつくし人命はリセットできない。金もかかる。
 もどって普天間。結論は、日本はなにもしない。金もださない。それが一番。それは、ある意味「武器をもたない戦争」だ。日本は金も資源もない。糖尿病と同じだ。食べなければ食費も医療費もかからない。こういう戦争を一度してもよいのかもしれない。決して人を殺さない戦争である。それが外交というものではないだろうか。国内もまた同様であろう。「金をつかわない」というところから発想をしなおして、利権との戦いをしない限り、金ダルマは膨らみつづける。その金ダルマ、実はダイナマイトで、既に導線に火がついているのであるから。 (100816)