Back to Howawan's Homepage to index to Yahoo's Homepage

sent32-0100414955/桜と人生その2 ......

inhalts

sent32-0100414955@
ここで、

  1.  仮定する。その一。発育や発達なんてものはゲームだ。変化していくという時間軸を設定するからこそ出来るゲームだ。バーチャルリアリティ。本当は、思考し、体を動かし、体性感覚で、3D体感を得ている現在の自分という確信以外には、なにもないのだという気さえする。自分の現在を信じて止まないのであるからこそ今の自分は存在している。有機的生物は、自身の存在を疑ったら、生きるという意味は失われることになるのではないだろうか。。
  2.  仮定その二。ではゲームではないのだろうか。人の一生というクラスを考える。その人の一生をフェイズ(多章;この場合は生まれて、死後まで)としてプログラムし、自分自身にメッセージを送り、人生を開始するメソッドを実行しようとしようか。フェイズ1を誕生から死まで、フェイズ2とは死後とするメソッドも現実感覚に当てはめると、その根拠は乏しいように思う。え? フェイズの取り方が変だって? じゃあ、たとえば、私が死んでから、我が愛犬まりと出会える、根拠がないから感覚としては「ありうる」と得心することが出来ない。それは、信じることではあっても、真実である証拠はなにもない。人は現実しか感知し得ないからだ。現実感覚を失うと、サンドボックス、砂中の楼閣、蜃気楼のように、自分を失う。。。深い霧に突入したパイロットが空間性失認を起し墜落するかのごとく。だから生きるしかない。フェイズ2が非現実であれば、こちら側にいて愛犬のクローンを作った方がはるかに出会える可能性を感じるのは俗っぽいかもしれないが現実的なようだ。若い人ならば、無限の可能性を感じるかまったく考えない。こういう年齢になってみて、一日一日を大切に生きることの意味が分かってきたからゆえの迷いなのだろう。ここまで読んでみて?ではあなたは、どう人生のフェイズを採りますか?難しいのでは。
 ここから推して、日本の国力を考える。なーんて言うと、皆さんは、「どー関係するよ。カンケーねー」と思うだろうが、日本の将来を憂えるより、日本という国のそして国民の今がどうあるかを考えることになる、と私は思う。やっぱ「関係ねー!」って?いんや。関係すると考えます。
 iPhoneは日本では生まれず、フィンランドのように学力はなく、Amazonのように巨大な野望は抱けない。アメリカに追従し貧富の差は開くばかり。鯨やマグロは思うように食べさせてもらえない。食糧自給率は低く、自立はできない。生産性では韓国に抜かれ、国債では中国に抜かれ、、、と良いところはないと考える人も多いようだ。現実、日本人として、かなり自信を失っていないだろうか。ここに、前述が関係する。。日本人の個人資質レベルでは一体どうなのだろう。私は、医療を生業とし、下手なプログラムを作り、ヘリで飛び、ピアノを弾き、っとすべて中途半端とは言え続けてきた。その為、各界のレベルというものを十分しっている。そこから、日本人の匠の特質は、知らない、できないではなく、知らしめない、であろうと言う。自分自身は、そこを根拠とするつよい劣等感の中でおもしろ半分にいろんなことをやって来た。自分なんて、100年たってもその道の匠にはなれない!そういう感覚だ。それほどに、世の中で本気の個人を探せば、あるのである、いるのである。ただ、彼らは、あえて自らを知らしめない。それをよしとしない人がいて、嫉妬からか知らしめないようにしているかのようだ。知らしめる事。それを世間では、「その道で知られる」と言う。文字どうり、まわりが騒ぐまで知らしめない。世界でスティーブンジョブス(iPhoneを作った人)の名前を知らないものはなく、リーヌストバルズ(Linux作った人)を知らないものはない。けれど、日本人でiPhoneを作れる人は?と聞かれれば、私は迷わず、いると思うと答える。リナックスを作れないといわれれば、そんなことはないと答える。 小型ヘリの操縦の世界選手権で、日本人は常勝である。ピアノやバイオリンでは言わずとしれず、運動だってたしかに冬のオリンピックは、一部除きはかばかしくないが、それは、健常者の部だけのことである。障害を持つ不幸で、したたかな強さを身につけた日本人は、まことに強い。誇れるだけに強い。多分に、通常モードでは平和にかまけて見えるし、どこか本気ではない日本人。けれど本気になると不気味に強いので叩かれる日本人。これは日本人の世界における特質なのだ。奥ゆかしいじゃあないか。知らしめない。日本人の匠にとって、知らしむる事は、業務外なのである。だから、オリムピックの優勝者たちは、実は 本当は気はずかしいのかも知れない、なんて考える。それは匠には華々しすぎるからだ。むしろ我々同胞のために無理してくれてるんじゃないかと思えて来る。
 アジアでも、戦略を持ち、財産を得るために打って出るのは、隣国の自分を超信じる事の出来る優秀な人たちに任せればよい。日本人は自らの人生の一日一日をしっかり生きる。自己の存在と現実世界との接点を探りながら、手探りで生きる。「生き方」そのものが日本人の特質であり、匠なのだろう。大勢の社会という群れの中でありのように生きながら、。江戸時代の大衆という概念、近くは戦後成長期の日本人のうさぎ小屋発言。それを日本人自身も信じたわけだが、これも実は、日々のパンや穀物を食し、排泄することに疑問を持たない、生のエネルギーそのもののような感覚を他国の人が抱いて、日本人自身にも感染したので、今の日本人は自虐的なんだろう。考えれば、今話しているような日本人の特質を是としたら、とっても考えにくいことだ。
 自殺。大きな地震で人名の失われたハイチは、自殺率が世界で、下から10番以内。対して日本は、上から数番目で、しかも1番から日本までは、すべてロシアと旧東欧なのである。うつ、と言う言葉が、医学的意味合い以上に横行していて、何から何まで、悲観全てがうつ、見たいな風潮が今ある。自分の存在を問う事その物が 「うつ」と言われかねない状況だ。自ら死んではいけない。。そのために、ほとんどの力を使う。これが、日本の桜的生き方、格好良く言うと美学なんだろうと思う。鎖国でもグローバルでも、そういった比較による問題よりも、自らの人生の問いながら、日々苦しみながらも自分をしっかり生きようとする。この生き方そのものが、本当の日本人の特質だとすれば、それは、そのこと自身がすでに匠であるようだ。自らもそうありたいと願っている。回転するものへの固執は、もしかすると、輪廻への期待かも知れない。私もまた日本人である。(100412)