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sent32-0100414950/桜と人生その1 ......

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さて、今日は自分の人生について考えてみた。例によってつまんないと思うけどしばしお付き合いお願いしたい。でもなんか自分のソフトの不具わいか長すぎた?のかわかんないが一つにまとまんなかったので、その2もありますごめんなさい。
さて本題に入る前に、と言ってはなんですが、、、
人にはいろんな好みがある。そして、生涯に渡ってそれがあまり変わらない人から、出会った人や考えの成長に伴ってめまぐるしく変化する人まで様々である。よく変化する人でも、よく考えてみると、自分の嗜好が様々変化してきたようでいて、その実はたぐり寄せてみると初めてわかる糸、指向の糸を持っている場合も多いだろう。私の場合、その指向というか、嗜好の糸のキーワードは、「動く、まわる」と言う動詞である気がするのだ。皆さんはどうだろう
 回る、まわる。自転車、その車輪、車、コンピュータ(ハードディスク)にヘリコプターという具合である。あるいは、動く道具を使う、という人間としてのメソッド(行動様式)が好きとも言えるかも。例を取れば、ヘリコプターなぞは、もろ「回転」しているオブジェクト(道具)ではある。若い頃は、典型的な20世紀後半型の人間であるように、車こそは命であった。けれど、評論家のように、なるたけ多くの自動車に乗ったかといえば、それほどでもない。70年代、80年代には、よく3年ごとに乗り変える人がいて、最初3年は壊れないとか、車検が来る前に変えるとか、適当な理屈で乗り換える人が多かった。乗り換えれば、下取りとの差額を払い続けることになる訳で、それ、つまり、ちゃんとローンが払え、新車を乗り継ぐ事が、社会的成功の雛形のようなところもあったのだと思う。私と言えば、1台に5ー6年と決めてはいたが、それ以上のことも多い。ポルシェ2.7Lのエンジンに換装したワーゲンのタイプIIIカルマンギアなぞは、父が6年自分が11年と親子2代で17年も乗った。気に入ると感情移入して、相棒の一人のように感じてしまうせいだと思う。今のフィアットパンダという自動車は、気に入って2台目だからやはり計15ー6年は乗った計算だ。途中、アウディ80クワトロとか、ランチャインテグラーレなどもいじくり回して乗った。改造しなかった車の方が少ない。それらは機械としては非常に素晴らしく、特にインテグラーレは、まるで良くできた筋肉のような車だった。いま、ロボットスーツなる補助具がある。萎えた筋肉が力を取り戻すまで、さも自分の手足のように僅かな力で健常のように動ける。夢のような補助具。それに近い。つまり車を乗り回すのではなく、着こなす、という感じが相応しかった。思った場所や位置に、瞬時に到達する道具。あれは本当によくできたスポーツカーであった。一面、例えば加速力だけとれば、大きな排気量の大きな馬力に車には勝てないが(と言っても発進から100kmに到達するのに7秒もあれば十分だったが)、ある2点間を結ぶ、山あり、他にありのコースをひたすら速くと言うのであれば、今の時代を持ってもたぶん、あれにかなう自動車は考えにくいだろう。洞爺湖を回って苫小牧から函館まで250kmほどを高速道路がない時代に約3時間と言う記録がある(。。かもしれないがはっきりしない)。確かに飛ばしたし、ほとんど、車線の右側にいたかもしれないが、私は、信号では止まり、横断歩道では止まり、民家の地区では標識+10km位を守っての事だから、無茶苦茶したわけではない。本当に飛脚のような自動車だった。
 同じイタリアの自動車でも我がパンダは、わりと華奢な感じに似合わず頑丈だし、ストロークの多めなサスペンションだが、きっちりとカーブを回り、このパンダ最終型になるエンヂンは、今いったランチャのターボチューン200馬力を越えるエンヂンに比べれば、53馬力1100ccと4分の1という非力さだが、元気で根性があり、加速でけっして息をつかないので、一度雪道になれば、並み居る4クそこのけ状態でスイスイ走るほどにバランスがいいのである。オーストリーのプフ社だったと思う(今度でるミニクーパの「田舎者」という4クも確か手がけるのでは。会社の名前はかわったかも知れない)が面白い4輪駆動で、簡単4駆だが、ただ者ではない4クだ。エンジンとシャシに反応の良いハンドルをもってすれば、北海道の凍った雪道をフロントはカーブの内側を向いたまま、スーッと交差点を回って行け、カーブの頂点の手前でちょっとアクセルを強めるとちゃんとお尻がチョイとすべり始めるので、ハンドルを合わせて戻して行けば、ドリフトしながら綺麗に曲がる達人なのである。間違った角度でコーナに入ってしまっても慌てない。すこしカウンタをあてて切り直せば、すぐ直せる。もちろんハンドルをもっていない助手席の人間はツーッと滑る感じがもろ伝わるから、オオっとかアア、とか、まー若干ビビることになって申し訳ないことだが、なあに大したことはない。事実寝ていればわからないようだし。深すぎるクラッチは若干問題だが、アクセルは足の裏に張り付いた感じで以心伝心。1970年台後半に設計されたチープなイタ車で、凍った道を30年以上後の設計の凝った4輪制御システムの車を後目にスイスイ走る様は、我ながら胸のすく限りで誇らしいパンダ君ではある。自分としては、特に古いものが好きだとは思っていない。機械はただただ、基本がしっかりしていて、簡単かつカッコが避ければ、それだけで楽しい車なのである。でっかいエンジンも高いシステムもその喜びは多分くれない。失敗しても、綺麗にクルクルまわり、放物線を描いて、外に飛び出さないから、クラッチをうまく切ってやれば、やがて、目の前が行く先側になるから、ドッグクラッチバリにギャンとギアを突っ込めば、3回ぐらいお尻とカウンタで、きちんと前に進む。ビバ、20世紀の自動車よ!状態である。10年以上も同じこの車に乗れば、1ー2cm単位のずれが分かるから、風でコロコロ転がる不埒者のビール缶の口側だけを潰して、後続の自動車が跳ね飛ばす危険なぞも回避できる。私は、感だけれど、こういう物作りは、残念ながら、日本人には出来ないと思う。速く安全に人を運ぶ、という命題には、トヨタの問題にお構いなく、日本の技術力は世界一だと思うが、サッカーも出来そうな自動車は作れない。これこそが、私がパンダを気に入った根拠になっている。しかし、さしもの我がパンダ君も年には勝てず、ボディの下回りは穴だらけ、この7月には10万キロ走ったところで退役となる。悲しいことだ。そして私も一緒に年を取っていく。相棒のまりが死んで3年目になる。奴もドッグズイヤーどおり+苦労させたから13年で逝った。ごめんね。
。。。少年期を過ぎ、青年期を過ぎ、壮年を過ぎ、やりたいことをやったかやらずか分からぬウチに齢を重ねて着た。年齢や疾病なんかで余命が明確になる頃になっても人はキチンと「自分でいられる」のだろうか。今のいま、まだ新しい感じのボーイング777に乗って、ゴウゴウという現実のエンヂンの音を聞いてしばしまどろむ自分がいるのは事実なのだろうか。ふっと、朽ち果てて、骨となって暗黒の中に横たわっている自分を想像すると、実存やら存在やらの難しい哲学的定義はさておいて、果たして自分が、この世に存在していることすら、なんらかの仮想に過ぎない気がしてくるのは私だけだろうか。生と死。この数年の自分や周囲の変化を考えると、そこに行き着いて困ってしまう、というか慄く。