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sent31-0909211326/iPodと極楽鳥 ......

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ジャカルタは、大きな街だ。新しくて巨大な、ピカピカのショッピングモールとその駐車場に吸い込まれていく綺麗な車と、壁の崩れた赤屋の貧しい家とボロボロのパジャイ( 三輪バイクタクシー)の同居する、古くて新しい都会だ。まずは、人間の数よりも、バイクと車のすさまじく多い事におどろく。そしてその走り方にも驚く。一昔前の我が日本。三河,淡路ナンバーの傍若無人とも言えるような運転は、日本各地を自動車で旅する人ならば衆知の事実だった。さしもの彼等も、ここでは微塵も太刀打ち出来まい。自分では、誤解だとおもうのだけれど、仲間うちでは、運転の荒い事で有名らしい。その私でさえ、ここジャカルタの街では、神経が5分もつかどうかなのだ。彼等は、すべて間違いなく天性のレーサーに違いない。
 人,車、バイク、パジャイがハエの如くに交叉点に群がり、それが直交する集団と、信号の変わり目でたちどころに交じり合う。加えて、左折する一団は自由に交叉点に進入できるために、人の横断たるや、慣れぬ旅行者には、命がけの覚悟だ。ところが不思議にも、その不安というか恐怖は、2-3回ほど文字どうりの冷汗を書くと、彼らの誰もが、貴方をして「けしからん!」と、向かってくるような殺気立った気配がないことに気づく。日本を含めて、先進国といわれる国の人となりというか、いかにも人に冷たく感じる気配、つまりは自分に牙を向いているような気配を感じたことのある人間にとっては、不思議な気持ちが湧くのも事実だ。ここの彼等にとっては、人も,車もバイクも、そのぜんぶが、自分にとってただの「邪魔な一台」な訳で,分け隔てなどないかのようだ。優劣も優先も権利も義務もなく、ただただ、他の車や人をすり抜けて、自分こそが前に進むことに専心するかのような、一括りにすれば、「ちょいと危険で平和な交通ラッシュ」なのである。
 この喧騒からの結論は、このインドネシアしかり、そして香港の巨大な空港やアパート群のひしめきと人々の流れしかり、過日訪ずれた成都や北京の活気しかり。そうそう、そのどれをとっても、もはや我が日本は、どう転んでも、かつてのヨーロッパが長くそう呼ばれたようにだ、いわゆる「アーベントランド」であることは、動かしがたい事実なあと感じてため息が出てしまう。
しかし、現代的な「街」の成熟度の尺度の一つ、インフラの整備となると如何ばかりだろうか。上下水道、空気や地質の汚染等など。パッと見は、水の問題。それも上水より下水が問題だと思われた。回教の人々が8割近いから、食物や水の問題は、伝統的な左手の扱いが関係するかなと、正直行くまでは思っていた。ところが、見ると聞くは大違いとはその通りだった。ラマダン(断食)の季節の最後に行ったのだが、驚いたことに、ショッピングモールの一角で、両手でケンタッキーをたべている若い女性の屈託のなさや,余り表立っては言えないのだろうが、運転手達は、なにやら弁当を持参して、日々の断食明けの午後6時を待たずにそいつを食べている様子を見るにつけ、ちゃんと問題は理解されていて、事情は思ったより深刻でも何でも無いのかも知れないと思い直している。むしろ抗菌、無菌グッズの氾濫する、アーベントランドの住人の我々の方が、むしろひどく自分を弱さに貶めているのだ、と言えば言えなくもない。
 人は生き物だから、ダイナミックに動く。アリとて同じだ。アリもヒトも社会を作る。だから社会もどんどん変化していく。忙しさにかまけて、とりあえず精神で動く現代人。その時代の流れがいいも悪いもない。みな、とりあえず、とりあえずを繰り替えして、日々を顧みようとしない。だからして、まったく誰もその流れに竿ささなければ、我々の生き様は、ただうごめくかのような昆虫のそれとたいして変わらない。いやいや、社会活動の整合性から見れば、アリの集団の方が明らかにヒトのそれより上なのである。誰かが竿をさし、ハッとして皆が考え、うごめきが意味のある行動に移ったときにこそ、ヒトは人になる。  ここで、白昼夢的に、 モアレム氏とプリンス氏の進歩的な著書「迷惑な進歩」を読みながら考えた。。。。
 まあ、ほとんどは受け売りだが、進化の意味から見た痴呆を考えて見てみよう。例えばアルツハイマーは、だんだん物忘れがひどくなり、自立した生活が贈れなくなるのだが、本当のところ、アルツハイマーとは病気なのか、そうでないのかは、まだ分らない。。血管性の痴呆は、動脈硬化の破綻(脳梗塞や脳出血など)があって生じるから病気だろう。前者は、通常の神経細胞が脱落、アミロイドを中心に、神経突起の絡み合った大きな斑状の老人斑という物質に置き換わる。後者では、ドーパミンなどモノアミン神経伝達物質の枯渇がみられる。ただ、痴呆につかわれる、アリセプトという薬の薬効は、このあたりの改善と関係するようだから、両方の痴呆ともドーパミンと関係する。遺伝子では、apoE(アポリポ蛋白EーつまりLDLコレステロール,カイロミクロンなどの脂質を血流に乗って運ぶトラック蛋白で、遺伝子はいくつかの対立遺伝子ーEだからギリシア文字でεをつけてそれぞれ、ε2は動脈硬化、ε4はアルツハイマーの危険因子、ε3は正常型とか分けられてはいるが、ヒトの集団の環境、例えば熱帯とか寒帯とか、日照時間とか、食べ方とかでアクセスが違ってくるだけで、総合的には脂質トラック物流遺伝子でくくれると思う。参照は ここ系へのアクセスが増える。この事自体は、コレステロールを増やせば、紫外線がビタミンDの生産効率を上げるからして、北欧でメラニンの少ない人達の役に立つらしいが、動脈硬化疾患、アルツハイマーをも増やす原因の一つだから諸刃のやいばだ。で、このアルツハイマーの姿特に遺伝子の問題と、子孫を増やせないヒトの集団が、なぜ長寿を更新するのか。特に女性で、と言う問題とが不思議に交錯するのだ。
 老齢の閉経以後の女性が増加すること、つまり、世界中に、経験が多く且つ生殖に関係しないX染色体が増える事は、 エピジェネティックなスイッチを遺伝情報として、卵子、教師として、子孫に伝えやすくなることかもしれない。では、男性が長生きしてアルツハイマーにならなければテロメア(染色体の端についたキャップのような染色体保護部分。遺伝子が元気でも、それで、細胞は新生するときに染色体も分裂するから、この時に、使われて短縮する。短縮が続いてなくなれば、癌になったり、細胞死が起こる。)が長くなければ癌になり死ぬ。男性は通常生殖能力は、老齢になってもだいたい大丈夫だから、アルツハイマーにも癌にもならない形質を若い女性に伝えやすくすることが閉経以後の女性が増加することの目的かもしれない。ただ、アルツハイマー自体、女性がより多い事は置いといて。
これが閉経以後の女性長寿の理由だとすれば、今度は、アルツハイマーの男性が、生殖機会が極端に減る可能性が増える事の意味も分ろうというものだ。この私の思いつきのトラの巻、モアレム氏とプリンス氏が書いた先に上げた本からの例を借りると、iPodを進化させるのに、電池交換不能にしたAppleの作戦があてはまる。アップルは、電池交換に出すと、わずかな金額で新しいiPodを送って来ると書いてある。なあるほど、コンピュータのバーションアップと言えば、普通ソフトのダウンロードバージョンアップを思い浮かべてしまうが、確かに、それプラス、ハードのバージョンアップも同時に行わなければ効率が悪い。特に機械の容量が限られている場合はそうだろう。なあるほど、アップルの一見奇抜なアイデアは、理にかなっている。この例の示すところはそのまま、ヒトの進化を語っている訳だ。つまりは、テロメアが速く消費されると言う事、言い換えるとアルツハイマーは、その男性個体の癌化を防いでいると考えてみると、種の保存の原則に則って、自分の種の利益になるように、自己犠牲的に仕事や子造りに勤しみ、種自体の進化と集団全体の環境改善に取組んだ男性へのご褒美のようにも思えて来た。それは、病気ではなく、「極楽死へのモラトリアム(執行猶予、という意味だけど、決して悪い意味ではない)」とでも言うべきだろう。ちなみに日本人の平均寿命は女86歳男79歳、インドネシアのそれが65歳と62歳。アルツハイマーの有病率が急に増えるのが65歳前後だから、このモラトリアム、意味深ではある。(090917)