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sent31-0905092245/アジアから新インフル1( ......

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アジアという単語は今密かに、我々日本人の心に響く最たる単語の一つだ。ちょいと考証してみる。
 日本という国の立ち位置という観点からアジアを見てみる。北はモンゴル、南はインドネシア、西はアフガニスタン、東は我が日本と言うところが、一般的な「感覚的」アジアだと考えている。我が愛しの知念里奈演じるミスサイゴンのいるベトナム、ビルマの竪琴のミャンマー、ガンジーのインド、荘厳なアジアの寺院ネパール、言わずもがなの中国や韓国そして不思議の国北朝鮮。私も若い頃は、ありがちな西洋嗜好があったから、ヨーロッパに憧れつつ、安保反対と言いつつも米国製自由を自由と考えた世代ではあるけれど、同胞とは、という問いにはやはり、アジアの国々なり、と答えたいのは、身体的共感というか、更には、原体験的なこころの叫びのようなものだろう。東京は町田での学生時代には、新橋にあるインドネシア料理の店によく通ったものである。サテやチャプチャイなどはよく食べたと思うし、美味しかったという記憶がある。
 国境線はそのほとんどが日本と同じく海にあり、線が引かれる大地は、東ティモール、マレーシア、パプアニューギニアの3国だけというのも何かしら親近感がある。唯一最大の違和感というか、理解の域を越えるのが、2億4千万の人口の約4分の3がイスラム教徒である、ということだろう。私自身は半世紀以上生きて来たが、イスラム教徒と話したことは一回しかないのだ。彼の西ドイツに留学していた時、同じくアラブ人留学生と一度ドイツ語で話したことがあるのだ。互いに右から筆記する、ということをアラブ人はとても喜んでいた。この程度の記憶しかないから違和感が強いのだろう。まあ、心なしかホッとするのはイスラム法による統治を宣言せず、世俗主義を国是としていることだろう。とまれ近々行ってみたい国の一つではある。一体どんなところだろう。
 その隣国シンガポールは、インドネシア同様日本と、深い関係のあるところで、聞くところによると日本の医師免許があれば開業できると言うほどの日本びいき?らしい。そういう点インドネシアではどうだろう。ジャカルタでは大きな日本人会やタケノコ診療所という日本人医師による日本人のための?診療所があるようだ。日本人学校などはアジア一の規模だと聞く。
 一体あの大戦では、日本軍は彼らの国を侵略したのか、しなかったのか、本当のところは何故か不明だ。それは、戦争という異常な事態に当事した国々の、秘められた過去と直接に係わる事だからだろうか。戦後の半世紀以上の時の流れのなかで、現実を生きる互いの国の利害もからんで、過去への解釈は変容し、結局一概にどっちがどうと言えないのが「歴史的事実」だ。私のような世俗にまみれた人間に言えるのは、日本語を話し、日本人を受け入れる人々が居たり、制度上の寛容さが存在するという事実だけだ。もちろんそうではない人が大勢いるのも事実ではあっても、我が日本に関心を持つ、同じアジアの国や人々を、過去がどうであれ、大切に扱うことが、日本の立ち位置を明確にする善なる行為であることは疑いがないし、それを武士道と呼んでもあながち時代錯誤ではない、と思うのだ。
 他方産業や、経済の面からアジアを眺めてみる。先ごろ脚光を浴びた単語に、「ブリックス(BRICs)」というのがあるのはご存知の方も多い。この4つの重要な国(ブラジル、ロシア、インド、中国)は、2040年には、そのGDPが先進7ヶ国を越える予定。その国内総生産GDPとやらを今一度考えてみる。。地球儀に目を移せば、先ほど触れたインドネシアは、その総人口2億4千を数える大きな国なのである。そのGDPは、すでに世界の20位と、先進国のスエーデン、ベルギーと並んでいるのに驚かされる。来るべき世界経済の牽引役は、果たしてBRICsなのだろうか。エセ評論家達がよく言うように、人口イコール消費能力という単純な図式を考えれば、かかるインドネシアはすでに有力な候補じゃないか。正統なる先進国の後継は、今まさに定まらない、経済的群雄割拠の時代というのが本当の姿の様な気がする。
 サブプライムという単語。例えば銀行さんに、20年モノの長い貸付などお願いするとして、「お宅は、優良ですから」とか心にもないことを言いながら銀行さんが示すところの長期金利をプライムレートと言う。このように、優良な金利のサブの金利(つまりは高金利だろう。あるいは信用がサブつまり低い、の意味も含むだろう)で貸すローンであればサブプライムローン。しかしながら、結果から帰納すれば、今回の金融危機は、20世紀型産業構造の破綻だと思う人も多いに違いない。人の暮らしを便利にする道具をひたすら作りつづける企業。消費者は、便利な生活を夢見てひたすら買い求める。鉄鋼、石油などの基幹産業に支えられた、自動車や電気が戦後の代表選手だった。21世紀近くになると、次は「ITの時代」とか言われて、パソコンやそのソフトが台頭し、一家に一台の自動車が一家の一台のパソコンに姿を変えた。ごく普通の職場でも、無理やりパソコンを使わされ、その真の必要性に戸惑いながらも、それが時代というものだと割り切ってきた消費者たち。今になって、自動車がなくても暮らせること、逆にパソコンがあっても食事ができるわけじゃない事に気づいた多くの人々。それなのに、大きな代表的な企業戦士は、人々の豊さの尺度の中心に座っていた、財産(statesments)の象徴が住宅だったころはとっくに過ぎたのに、消費者がそれを追い求めると踏んだ。
 そして、今の自動車の生産者もまた、同じ誤謬を犯しているようだ。結果として、大きな需要と供給のアンバランスが生じた。それは確かに、若い国は、労働人口も多いだろう。日本、イタリア、ドイツ、それにスエーデン(Bricsにならって、JIG-s ジジーズとでも読む?)等は、その反対を行く。年よりの多い国々だ。これらの国は、優れた自動車を生産して来たが、その国は労働人口が低下してきており、自動車を作るのはロボットで、なんとか生産性の低下を防いでいる。が、生産物は今や高すぎて、若い国の人々では買いにくいほどだ。一方で、死亡率はそれと反比例し、老人の多い国は死亡率が低い訳だから、よい自動車を作ってお金持ちになり、医療の水準が上がれば、老人が増え、とどのつまりは生産性が低くなる、という図式が見えてきている。当然のことながら、医療や介護に持ち出す金は増え、労働力は海外にあり、そうやって安く作った製品は、国内では安いので売れるはするが当然のことながら利益率が低い。こうやって回収したお金は、海外のその労働者にそれほど残らないので、そこでの医療水準などは上がらず、死亡率が高いまま。つまるところ、得られたお金は、かのJIG-sの中では、その低い死亡率が、回り回って介護費用、医療費として消費されるのである。そんなことよりも、化石燃料にいつまでも頼っている産業はジリ貧になるのは、自然の摂理とも言えるのに、目をつぶって自動車や石油製品を作り続けている。そんな20世紀型企業に未来があるはずがない。ある意味、消費者をバカにしている。