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sent30-089062215/四川ー秋葉原2(0809) ......

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パンドラの壷
四川省の地震は、まだ続く。だがそれは、 スマトラ沖地震と決定的に違う側面がある。それはとても人災を思わせる。ヨウ化銀の降雨じゃあるまいし、スーパーマンにあったような原爆による地震とか考えている訳じゃないが、水や二酸化炭素は、地層に含まれると、量や周囲のカプセル的構造から圧が高まる。それによる 地震も想定されるという。山峡ダムというダムがあった。つまり人災という意味だ。あの津波は悲惨だったが、あくまでも自然の地形で説明されれば納得できるが、四川省の場合は、発展、経済特区、ダム、耐震構造などが、説明されれば納得できるという意味だ。
 いろんな凶悪事件を起こす日本人に共通なのは、青少年の頃はフツーな子が多いことだ。青少年の フツーとはなんだろう。目立たない、悪いことをしない、家族とうまくいく?そういうことだろう。しかし、40分から一時間、あの硬い勉強机に座り、それを8時間ぐらいこなして、睡眠を8時間、食べるのを2時間とすると、あと6時間しか残らない。中国で激しく労働するともっと残らないような気がするが。うちの小学生は3時間ぐらいは友達と遊んでいる。自分は親友が常にいたから、そいつらとほぼ6時間は一緒だった。それは大まかな記憶で、正確にはわからない。すると違いはこの約4分の1日をどう過ごすかによって人間は変わるのだと思う。6時間として、6歳から18才まで6x12x280(365日の3/4という意味)の約800日のひととの関わり方が人間形成に大きな違いを生じる。残りの10x12x280の1400日分を引いた1,000日分と一年の1/4がうんこやご飯や病気や休日(なんにもしない日)になる計算だ。20年までの自分のための800日。大学というところはフツー、遊んでばかりいる。280x4で約1100日 短大でも5-600日ある。だから、タメ遊びが出きるので、お金に余裕があって試験が気にならない人は日の6時間を勉強したとしても、とにかく行くと元が取れて良いものだ。
さてと、うちの小学生は6時間「人と遊ぶ」ということに集中している。遊んでないと死にたくなるようだ。 つまり、これだ。労働を別に計算して、生きる為や疲れて休む時間をのぞく、日に6時間の「我が為に人と交わる」時間故に、「我あり」の部分で四川と万世橋は繋がる。関係ない様でいて両者は、心理学でよく使う ルビンの壷の関係なのだろうと思う。ちょっと強引?だからここから図式的に表現すれば、簡単なのだが、もっと掘り下げてみよう。
定義が必要だ。遊び時間6時間を個人パワー最大として、壷の内側イコール「実体」と決める。遊び時間0時間は個人パワー0 イコール壷の外側「影」とする。四川では、住民は遊び時間0時間勤勉に生活し、勉強する。労働は国のパワーだから、個人の実体はない。つまり影だ。インフラは全部自治体や共産党まかせ。もちろん人々は、地震が起きる活断層の上ということも過去の甚大な被害も知っているだろう。けれど、日々の生活には関係ないところで、学校や家屋が崩壊し影は死亡し、あるいは取り残される。 万世橋では、住民(この場合通行人だが)は遊び時間6時間。最大パワーで実体だ。行き交う人々は自由に往来し、インフラなどに興味もない。影に刺される、突っ込まれるなどとは想像もしていない。けれどその営みには関係ないところで、実体の消滅イコール死に襲われることになる。
に描けば、話が見えてくるだろう。簡単にまとめると、四川省では影が殺され、万世橋では実体が殺されたことになる。しかも実体も影も人の表裏だ。だからもし、四川省で、日本の平均的な労働者の様に 実体を持って暮らしていれば その影インフラつまり政府に殺されたことになるが、四川省では、インフラそのものが壊れた事にしかならない。逆に万世橋が中国ならば住民(通行人)は影だからインフラが壊れた事にしかならないことになる。恐ろしいことだが、それらは表裏だ。恐ろしいことだが、「救援」もまず、相手が実体であることを確認しなければ、単に、インフラに吸収されることになって、日本人の感覚での「人助け」にはならない証明がされる。ルビンの壷ならぬ、パンドラの壷だ。このパンドラの箱、恐ろしいから横文字で書いたが、壷の内外で見れば、walker= infra、killer= peopleであるのがお分かりだろう。
万世橋だが、これによると、彼(殺人者)は人々であり、住人(通行人)イコール 政府であることになる。彼にとってみれば、彼をこのように育てている社会を殺したことになる。まことに彼の主張する通りなのだ。殺された方は実体であるから、前途有望な「個人」として無念の最後を遂げるのに、彼が殺したのは、忌むべき社会そのものだからこの悲劇は、起こるべくして起こったことになる。大変残念な事だ。だれかこのパンドラの壷の誤謬を指摘してほしい。そうでなければ悲しい。 (080906)