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sent30-0807311725/愛犬まりの死1 ......

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シリーズ途中だが、うちに最大の不幸が訪れた話を聞いてほしい。サミット三角氏事件も終わってまー無事に終わってよかった、っと思っていたのもつかの間の事だ。うちのヨーキーまりが死んだ。13年以上も一緒に暮らした小さな相棒。。。私が浜町で篠田医院を引き継いだのが94年10月。まりは10月19日生まれだ。その11月に室蘭のペット店で割とやすく買った。下痢が止まらず苦労して、ラックビーやアドソルビンをあげたと思う。2週後元気になって店に行く。その時の店主の言質から推測すると、どうも死にそうだから値引きしたらしかった。こうして、すでにいたケンという10歳上の同じヨークシャーテリアの2匹、ピーというインコとの奇妙な1人2匹1羽の生活が、今の方安庵に移るまで長く続くことになった。休みの日には、2匹と一緒に、上に書いた滑空場に駐機していたヘリのところにいき、飛行の前後をゆっくり散歩した。それ以外は、可哀想ではあったが、毎日8時から19時ごろまで、音羽町の小さな一軒家の薄暗い居間でのお留守番人生(犬生だが)が5年続くことに。お昼休みには、車を飛ばして何とか20分位顔が見れはしたが。仕事が終わって帰宅。皆の食事を作り、ほっとしてテレビをつけると、まりも安心したように私の胸にくっついて寝た。元気な時でも2キロ弱しかないから大変小さい体だが、若いころは賢いだけでなく、大変元気な犬だった。ある時に、きっと前から欲しかったのだろう。私がスモモを食べていて、種が落ちたのをサッと拾い食いしてしまい、胃の切開をした以外は。
99年6月からは現在の場所と部屋に移り、そのうちなぜか人間の家族?が2人増え戸惑っている様がおもしろかった。ところが、01年11月に輪厚のパーキングエリアの芝生でいつも通り疾走中に突然倒れ、ショック状態に。意識なく呼吸なく、耳をつけると相当な徐脈だった。そのちょうど一週間前、アメリカの救急隊員が、犬の人工呼吸をしていたのを咄嗟に思い出し、生まれて始めて、犬の人工呼吸をした。息を吹き返したあとも暫くは、ほとんど動かなかった。私はなぜか、環境ホルモンのセイだと直感し、今でもそう思っている。犬は芝生が好きだ。そこには、ゴルフ場ではなくとも殺虫剤がまかれている。小型であるほど、足や、鼻などからの侵入が強烈だろうからだ。更に悪いことにそのすぐ後、新年を開けてしばらくして、「笹かま」をタッチしてチョウダイポーズをしていて喉に詰まらせ、後ろに転倒し、後頭部を骨折。プレショックとなり意識が無くなる。低酸素、徐脈、鼻カテをつけて、ペットボトルを切ったものをマスク代りにして酸素を与え、左目が異様に飛び出しているので脳浮腫を疑いグリセオールを使って、目はなんとか引っ込んだ。しかし其れからというもの、左顔面のけいれんと肢位異常が続くようになった。興奮すると、右に偏奇しながら走り、左目は視力がなくなるようだった。酪農大学に連れていき、CTを取ってもらったり、札幌の動物病院で、ペット検査の事前挿管で状態が悪くなったりと、色々あったが、何しろ性格が気丈なので乗り切った。
意思の力はヒトもイヌも自らを助ける。相棒ながらエライ!と思った。気丈と言えば、逸話がある。これらのいろんなことがある前の夏あたり、金太郎池の中の半島状の部分でお散歩をしていると、小さいからバカにしたのか、岸を歩くまりの周囲にカモ達が寄ってきた。それをじっと見ていたと思ったら矢に羽に、彼らに飛びついた。カモはとっさに飛びたち、残るは水面。ザブンとばかり水に飛び込んでしまい、驚いてもがいていたが、無事泳ぎ戻り初めての水泳。ところが今度はカモが怒ったのか数を増し再び迫ってくる。これは逃げると思いきや、彼らを無視したように歩いていたと思ったらなんと再び、水に飛び込んだ。笑ったわらった。本人は大変真面目なぬれ姿であった。またある時は、気に入らない人など見ると、突然に猛然と追いかける。かなりの背の男性でも逃げ出す。私は、「まりー!ばかやろう!」(告白すると、まりにバカと言う訳はないのです。失礼!)と追いかけることもあった。ワンちゃんにもやはり同じ。ずいぶん遠くを歩いている柴犬など見つけるとする。そしらぬ顔で、お散歩つづけ、、と思いきや、いつの間にか、突進して、いきなり、前方から足と喉と鼻を同時に3段攻撃。もちろん口があまりに小さいから、噛み傷すら残りはしないが、まりの何倍も大きな相手は、この事態に驚くばかりで、スタコラさっさと逃げ出す。こう言う事が何回かあった。いつもではないので、何か彼女なりに「とても気に入らない」理由があったのだろう。私も不思議とその相手が大変嫌いになった。もちろん後頭部骨折と姿勢異常の後は、なにしろ体が言うことを聞かなくなり、不自由になったし、老化も急に進行したけれど、そういう性格はまるで変わらないようだった。それにまりは、「ワン、キャン」は生涯一度も言わなかった。ただ、いろんな「ウー」を使い分けた。たぶん、最初の6年、ひたすら一軒家でお留守番をしていたから「ワン」の言い方が習得できなかったのだろう。-つづく