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sent30-080515-2/煽動の時代(0805) ......

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 世界の平均寿命では、日本は ダントツ一位(ま、正確には、香港やスエーデンなんかと同率2位見たいなことだが、、)である事実は、ものすごいことだ。細胞は、遺伝子が複製することで生まれ、細胞死という終末まで生きることが出来るが、その経過時間(一生)の有る時点でミスが遺伝子や細胞質に入り込み、癌が発生したり感染による死を迎えたりする。我々と同じアジア発症?の鳥インフルエンザ。その増殖の過程で、人型H5N1が出来れば、新しいインフルエンザの誕生だ。島国である日本は、防疫上非常に有利であると同時に、公衆衛生が行き届いて感染症が少ないのが、寿命を押し上げている。銃などによる社会的死亡も少ない。
 実感として、今の日本の医療やその技術はアメリカなどに比べ5年は遅い。それでも、世界最長寿国なのである。それについで、イタリアや韓国、アメリカなどだ。それは、経済の活力や競争力でこそ20位以下かも知れないが、アメリカが最先端医療で頑張っても日本には5年以上寿命でたらないのは皮肉だよね。でも確かに頑張っていることを誇ってもいい。日本は世界大戦の前には、平均50年(才)だったから、戦後であることと長寿が関係している。食料との関係で言うと、日本の最長寿県の沖縄が西洋式に変化した食料事情で、戦後動脈硬化が増えたのも皮肉だが、素直に考えれば、脱脂粉乳とパン、バターの食事、清潔な食べ方(焼く、手洗い)などGHQ政策の成功と言える。うがった人は、そういう国を滅ぼすような食料に、賢明な日本人が組しなかったからだと言う。ひねくれた事だ。単に、食品の選択の幅が広がったと考えれば良いと思う。それだけではない、まったく素直に考えれば、お年寄りが、沢山の病院にかかり、おやつほどの薬をもらうことがそれを可能にした、国民皆保健制度の成功と言っても良い。その両方が、寿命には貢献している。忘れてはいけない。日本の高齢者ほど、薬をのむ人々はいないのだから。またーいつもの皮肉かって?どうして? だって、こんな事情の日本が、すべてが劣等になった経済や学力などの国力の指標を差し置いて、戦後常に最長寿国なんだよ。おやつほどの薬がそれに貢献してなければ、一体どうしてか言ってごらんよ。ところがそういう自分を肯定する「良い医療」には目を向けず、そういう素敵な保健制度をヒタスラ経済理由からいじくり回し、供給不安定、品質保証のない後発品を老人に強制し、所得の低い老人からは、医療費負担を増やして、無理やり薬をとりあげ、介護保険で自律性を取り上げ、一人で生きる力を取り上げ、挙句の果てに75歳以上を「後期」高齢者として、長寿を疎む政策に転換したのは、一体だれ? そこに冷酷な邪悪を感じるのはお年寄りだけではない。我々一人一人がその「圧迫」を感じている筈だ。日本の近未来に、老人がそうやって減らせたとして、それで赤ちゃんが増える訳ではない。つまり、総人口が減る。いればこそ、日本の老人は知識水準の高いからなにか「国のお役に立つ」のに、若者も増やせないのに老人減らして一体どうするんだ。薬は毒ではない。薬はくすりなんだ。大切なのは、取り上げることではなく、正しく使ってもらうことじゃあないか。日本の保健、医良が頑張ったから戦後日本は最長寿国になれたし、なって久しい。長寿国になれば、単一民族の日本人だから、労働外人口がどんどん増える。だから、朝令暮改。自らの否定というわけだ。これで、メタボ対策を良い、医療費削減できるだろうがさらに長寿人口を増やしつづけるつもりだろうか。長生きだが、僅かな年金をいろんな天引きで取り上げられ、心の安らぎを得られない日本の高齢者は、長寿故の苦悩を背負うことになる。
 更に輪をかける電子カルテ騒動。電子媒体にして、医療請求を一体化し、そのカルテもレセプトの一部として提出させ、プライバシーを患者本人からも、それを診る医者から取り上げる。やがて診療内容にnoをいい、ガイドラインを盾に無理やり、医師から医療の裁量を取り上げるだろう。それが、旧ソ連の「医者はトイレ掃除」とどこが違うのだろう。第一医師も老齢人口が増えるのだ。コンピューターカチャカチャ言わせる時間があれば、きちんと患者を見たい! と考える先生も多い筈だ。そういう人から生きがいを奪ってはいけない。かれらこそが戦後日本を最長寿国にした人達なのだから。
 それに今回の意思決定の不透明さ。どこでどう決まったのか。少なくとも国会ではない。国会でドタバタしているのはテレビで見ている人もいた。すぐに決まったらしい。もともと、政府が、識者でつくる、何とか審議会で、教育医療などを審議して、法案をつくり、各省の大臣が提案し、国会で了承されるのでは。結局は、やろうと思えばそういう手続きは必要ない政令、省令の類と同じという事だろうか。その是非は、国会で問うたり、反対も出来るだろうに、そういう「目に見える」経過は一切なかった。コトは日本人の尊厳に関る問題なのに。
 麻疹にしてもそうだ。確かに恐ろしい感染症ではあるが、この10年以上摂取率の向上に本気になっていなかったのに、流行を流布して学校関係者にワクチン奨励を垂れ流し、聞き込んだ父兄がなにが何でもウッテヨ!という状態になっている。これは明らかに操作だ。ワクチンそのものは、体にとって異物であるからには、ワクチン摂取による脳症も報告されている。安全と言っても万全なんてあり得ない。2年前まで、ワクチンそのものは、一度うっていても、いつまでも有るわけじゃなし、もう一度打った方が良いです、と言ってお母さんに進めていたこの私が言うのも、なにか気が引けるが、ここまでマスコミ操作的な摂取奨励をするから、却って反発を覚える。確かに何年も前から日本の麻疹摂取率は世界的に見てかなり悪く、麻疹輸出国であることは事実な訳で、摂取率の向上は大変結構だし賛成だ。けれど、それは、この10年、摂取率が何故上がらなかったのかを冷静に判断し、それに対する理性的な反省でなければならないはずだ。民意の煽動のような態度は、科学的態度ではない、上記の医療保険の話でもしたけど、民意を左右しようとする邪悪をそこにも感じるのは私だけではないはずだ。このような、情動的な日和見的予防注射パラノイアの熱が冷めたら、あるいは本当にワクチン禍が生じれば、当然のごとく反動が起こるだけだ。
 理性の欠如と言えば、オリンピックの聖火リレーの問題。あれも煽動だ。中国に入った国境なき記者団の方々。なぜかパパラッチダイアナ殺人事件を思い出した。聖火リレーを邪魔する見たところは、民権派見たいな人たち。僧服をきた若者が商店を叩き壊している。本当に仏教徒、それともニセモノ?私には、日本の捕鯨船に、障害性薬物を投げつける環境保護団体と称する人たちとダブった。もともといままでも、聖火リレーはいろんな邪魔が入っていた。今回に限ることではない。ところが、今回は格別だ。オリンピックはもともと「国同士の代理戦争」としての役割があることは皆が承知したことだ。だから、スポーツの中で、解決するべきだ。主張が正しかろうと誤っていようと、「邪魔」は野蛮な行為であることに変わりなく、そういう人は、あのタイマツを奪おうとする行為で、スポーツの精神を汚している。すでに民主的ではない。品位を欠く抗議は、人の心に訴えないと私は思う。ここでちょいと断っておくが、私は個人的に生きてきた。組織には馴染まない。自分の存在理由を最大限生かす生き方をしてきたものから言わせてもらえば、これは、チベットの人々の尊厳を踏みにじる茶番にしかならない。中国が反発し、今後も死刑や弾圧をもって彼らを遇することは目に見えていて、ずっと先に独立したとしても今日から何人もその日まで死や苦痛に曝すことは一目瞭然だからだ。「結果の為には犠牲を」というのは、もともと強いものの論理だ。神やあるいは、仏教とのガンジー的理性とは相容れない論理だ。日本は、領土が狭く、近隣の大国と領土問題で揉めている。日本人にとっては他山の石ではないこの問題。チベットはもともと中国に併合されたとすれば、これは、領土問題だから、「内政干渉」であるはずがない。国際社会がただしく手続きを踏んで干渉すべき問題だ。それは両国(ここでは、中国とチベット)に敬意をはらうやり方の干渉でなければならない。どちらかが善でどちらかが悪的な「邪魔」は、だから必ず背後に利害が存在すると私は思う。代理戦争の結果には、暴力の昇華、平和への希求という高邁な知恵がある。そんなスポーツの祭典は、邪魔により一方を悪人に仕立てて、「人権」を云々する輩の入り込む余地はなく、単に人間の尊厳を汚す行為である。平和を希望し人を解放しようとするものは心もまた邪悪で有ってはならない。真の人間の叡智が試されている。全ての領土問題は、利害の対立故に、一方が悪、または「間違っている」という主張が対立する。求められるのは、その対立に対しての大観的な叡智なのだろう。
だからすぐには解決することはなく、期限をきられたスポーツの祭典にそれを突きつけて、紛糾させようとするのは、すでに、石を投げ込んで波紋を観察する隠れた邪悪の存在を証明している。愚かな事だ。